[フレーム]
新聞購読とバックナンバーの申込み

【ぼうこうがんを患った主な著名人】サンド伊達は早期発見、小倉智昭氏は全摘手術、松田優作は手術拒否

[ 2022年1月12日 22:02 ]

崔洋一監督
Photo By スポニチ

映画「十階のモスキート」「月はどっちに出ている」「血と骨」などで知られ、日本映画監督協会の理事長も務める崔洋一監督(72)がぼうこうがんと闘病中であることを12日、本紙に明かした。20年4月に全摘出手術を受けたが、1年後の検査で右腎、リンパ、肺に転移していることが判明。今月4日から新たな治療をスタートし、寛解を目指す。

ぼうこうがんを患った主な著名人は以下の通り。

しかく伊達みきお(サンドウィッチマン) 昨年3月にぼうこうがんであることを公表した。痛みのない血尿が出たため、病院で検査を受けたところ、ぼうこうに2センチほどのがんが見つかった。ステージ1の初期で、手術ですべて摘出した。喫煙が主な要因に挙げられていることから、今年元日から禁煙を始めたことを明かしている。

しかく山本浩二氏(元広島監督、野球評論家) 19年1月の検査でぼうこうがんが見つかり、4月に手術。同月にはステージ3の肺がんの手術も受けた。4度の全身麻酔を伴う手術を経て、20年2月のキャンプ取材で現場に復帰した。

しかく小倉智昭氏(キャスター) 16年にぼうこうがんを公表し、医師の勧めで18年11月に全摘手術を受けた。昨年9月に肺への転移が明らかになり、「もともとのぼうこうがんが肺に転移し、ステージ4になりました」と告白。抗がん剤治療で完治を目指すことを宣言した。

しかく黒沢年雄(俳優) 10年に発売した著書で、08年にぼうこうがんで内視鏡手術を受けたことを公表。昨年1月にはブログで、「それにしてもその他に8回のガン手術をして転移を1度もした事がない不思議な僕のガンだ...」(原文まま)と、ぼうこうがんの2度を含む8回のがん手術を受けたことも告白した。

しかく菅原文太(俳優) 07年にぼうこうがんが判明したが、人工膀胱に違和感を抱き、摘出手術を拒否。放射線治療、陽子線治療による膀胱温存療法を受けた。14年、転移性肝がんによる肝不全で死去した。

しかく松田優作(俳優) 88年、米映画「ブラック・レイン」の撮影中にがん告知を受けたが、念願のハリウッドデビュー作だったこともあり、治療を拒否して撮影を続行した。89年11月6日に死去。40歳の若さだった。

続きを表示

芸能の2022年1月12日のニュース

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /