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「釣りキチ三平」の父、漫画家・矢口高雄さん死す...81歳、すい臓がん 昭和の釣りブーム立役者

[ 2020年11月26日 05:30 ]

16年10月、秋田空港の「釣りキチ三平」のレリーフの前で笑顔の矢口高雄さん
Photo By 共同

「釣りキチ三平」で知られる漫画家の矢口高雄(やぐち・たかお、本名高橋高雄=たかはし・たかお)さんが20日午後5時46分、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で死去した。81歳。秋田県出身。葬儀は近親者で行った。喪主は妻勝美(かつみ)さん。後日、しのぶ会を開く予定。緻密な描写で自然と人間の関わりを描き、昭和の釣りブームの立役者だった。

遺族によると、矢口さんは今年3月ごろから腰の痛みを訴え、5月の連休明けに検査入院し、膵臓がんと診断された。通院治療を続けてきたが、今月13日に体調が悪化して再入院。19日に退院し、自宅で家族と団らん。だが、翌20日早朝に寝室で吐血しているのを妻勝美さんが発見した。

何度呼び掛けても目を覚まさなかったため、救急車を呼んだという。その後、搬送先の都内の病院で息を引き取った。「矢口プロ」スタッフでもあった妹良子さんは「苦しまず静かに安らかに逝きました。最期に家に帰れて良かった」と話した。

葬儀は24日、近親者だけで行われた。棺には「釣りキチ三平」が表紙を飾った週刊少年マガジンや自身の作品、ファンレターの返信用に使っていた絵はがきなどが納められた。

矢口さんは秋田県の高校を卒業し銀行員となったが、少年時代の夢が捨て切れず、30歳でデビュー。当時3歳と1歳の娘がいた。1973年に週刊少年マガジンで「釣りキチ三平」の連載開始。秋田県の山村で暮らす釣り好きの少年・三平三平(みひら・さんぺい)が活躍する物語は、釣りを本格的に扱った初めての漫画とされ、釣りブームを起こした。連載は83年まで続きテレビアニメや実写映画に。01〜10年には「釣りキチ三平平成版」を発表。だが長女由美さんが12年に45歳の若さで闘病の末に死去。自身も前立腺がんを手術した。心身ともにダメージは大きく、15年には本紙の取材に「もう描けない。私の漫画家人生は終わりです」と語り、ここ10年は新作発表が途絶えていた。

88年から発売を続ける「矢口高雄オリジナルカレンダー」は新作カットも発表していたが画業50年を迎えた今年を最後とし「この辺が潮時」と話していた。

矢口家代々の墓は秋田県にあるが、由美さんの遺骨は矢口さんが「1人にしておけない」と都内の自宅に置いていた。遺族は都内に墓地を設け、2人の遺骨を納める意向。幅広い世代に愛された漫画家は愛娘の傍らで眠りにつく。

だいやまーく矢口 高雄(やぐち・たかお)1939年(昭14)10月28日、秋田県増田町(現横手市)生まれ。58年に増田高を卒業後、羽後銀行(現北都銀行)入行。69年に「長持唄考」が漫画誌ガロに掲載され、70年「鮎」でプロ漫画家となる。「釣りバカたち」「マタギ」「ニッポン博物誌」「蛍雪時代」「激濤(げきとう)」「羆(ひぐま)風」など、自然と向き合う人間の姿を描いた。エッセー集「ボクの学校は山と川」は90年に教科書に漫画付きで採択。09年、地域文化功労者表彰。マンガジャパン設立に尽力し、監事を務めた。

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