菅義偉前首相の追悼の辞が胸を打った理由、日本の「悪しき型」から脱却

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菅義偉前首相の追悼の辞が胸を打った理由、日本の「悪しき型」から脱却Photo:Pool/gettyimages

9月27日に行われた安倍晋三元首相の国葬儀で、菅義偉前首相による友人代表としての追悼の辞が注目された。日本で「スピーチ」に注目されることは少ないこともあり、スピーチライター・トレーナーとして私はさまざま思うところがあり、ツイートしたところ多くの反響があった。そこで、今回は菅前首相の追悼の辞に関して考察したい。(株式会社カエカ代表 兼 スピーチライター 千葉佳織)

「スピーチライターが書いたのか」という噂

心打つスピーチをした人があらわれると、必ずこんなことを言う人たちがいる。

「スピーチライターが書いたんじゃないか」

今回の菅前首相による追悼の辞が、スピーチライターが書いたかどうかはわからない。しかし、スピーチライターとして言いたいことが二つある。

一つ目は、スピーチで発せられた言葉は、誰が原稿を書こうが、スピーチをした人のものであるということ。「話者が自分で書いてないから」という理由だけで、スピーチライターが介入することを批判する風潮はやめるべきだ。

というのも、多くのスピーチライターは、クライアントであるスピーチする本人の話を丁寧にヒアリングし(私の場合は2時間程度)、その人の言葉のまま文字に起こし、のち一緒に構成を考えていくなどの作り方をする。それはまさに、「有名人が書籍を書く工程」と似ている。スピーチライターと本人による丁寧な仕事ができれば、原稿には本人が書く以上に思いが伝わるものが実現されるのだ。

「スピーチは外部委託したらその人のスピーチではない」といった考え方は、伝え方の大切さが浸透していない日本の古い考え方だ。

二つ目は私の個人的な見方だが、今回の追悼の辞は菅前首相本人が書いたものだと考えている

政府関係者らへのヒアリングを行い、今回の言葉を見て総合的に考えた結果、今回の追悼の辞は菅元首相本人が書いたものだと考えている。特にスピーチ冒頭は特徴的で、「これはスピーチライターなら書かないのではないか」という描写があったからだ。

一体どんな描写だったか、振り返って解説していこう。

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