【マイホームさえあれば安心だった日本人の人生設計。だがこの十数年ですべての前提が忽然と消滅してしまった。生命保険、年金、医療、教育、不動産、資産運用、市場経済を取り上げ、人生を自らの手で設計する知識と技術を伝授。】
「
不道徳教育」の役者が書いた随筆である。あの本の著者程ぶっ飛んでる感はないけが、あれに感銘を受けてはいるわけだから、やはりそっち側の人なんでしょう。
「財政再建は覚醒剤合法化」で、という主張も同じである。裏の金を表に出すことで、闇に消えていってしまう金に課税できるとともに、地下経済を衰退させる効果も期待できる、と。
この手の論はかなりよく聞く話ではあるんだけど、正直オレには分からない。理屈は分かっても"薬"に手をだしたことがないせいか、それが心身にどんな作用を及ぼすのか分からないんで、経済効果という面だけでしか肯定できないのだ。
自分には分からん"薬"で、なにやらラリッた連中に囲まれて生活するのも気味悪いんだよな。
つっても、合法化されりゃオレも試してはみるだろうけどね。
それにしても、経済の話はからっきしダメなくせに、こういうの読みたくはなるんだなぁ。まともに理解もできんのに。
なんつうか、いろんな人がいろんな理屈を述べてるわけだけども、どれもそれなりに尤もらしく聞こえちゃうんだわねぇ。困ったことに。
とりあえず高福祉社会を求めている奴らだけは、胡散臭いから眉に唾つけて聞いとくようにはしているんだけど。
そうそう、福祉といえば傾聴に値することを仰ってますよ。
米国の貧弱な社会福祉に比べて、ヨーロッパは公的年金や医療保険、失業保険が充実している。日本が目指すのは、そうした福祉国家だと言われる。
ドイツやフランスをはじめとして、ヨーロッパ諸国はどこも極右政党の台頭に悩まされている。それに比べて米国では、人種差別的団体は存在するものの、移民排斥を掲げる政党が国会で議席を獲得することはない。
一見、無関係に見えるこのふたつの話は、同じコインの両面である。米国に極右政党が存在しないのは、福祉が貧困だからだ。ヨーロッパで組織的・暴力的な移民排斥運動が広がるのは、社会福祉が充実しているからである。(p228,福祉のない豊な社会)
何故なら、福祉にまわせるパイが限られている故により貧しい「弱者」が現れると、自分の取り分がなくなることを先進国の「弱者」は知っているからだ。
そうなると、福祉を当てにして移民になられたんじゃたまったものではないという、国民の側からの当然の怒りが沸騰するわけだ。
「弱者」が「弱者」を排斥する悲劇的な構図が、皮肉にも高福祉社会の実現によって作られてしまう。
ではどうすべきか。
著者の結論は、経済的な成功を掴む"機会"は平等に与えられるべき、ということ。
結果平等を求めるのは「カルト社会主義」であろう。あくまでも機会平等ってことにある。
誰もが労働条件の良いところを求めて、移動できる自由、働く権利。
その結果は自分持ち。
なんで福祉が貧弱であるはずの米国に移民が流れてくるのか。福祉を当てにしてではないとしたら何か?
やっぱりそれは、自由の魅力なんだろう。
そんな米国でも移民排斥の動きが活発化してきているという話を聞く。それはTerrorへの警戒心だけではなく、福祉国家化していることへの怒りの表れであろう。
移住してきて、すぐさま生活保護申請されたんじゃかなわねえっつうのは、あたりまえの感覚である。
この当然の感覚が分からんカルト社会主義者が日本には多いようで、最早どの政党もカルト化しているように思えてくる。
長年保護されてきた者は、その「保護を受ける」という権利が既得権となってしまい、自分で生きられなくなっているのかもしれない。引きこもりが長引くほど、自立しにくくなるように。
誰にでも善い顔しようとする国家は危ない。特に、「弱者」であればあるほど善い顔をしようとする国家は危険だ。そんな国家はもたない。共倒れという結末が待っているだろう。