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12月16
赤いパンツの頑固者 田村潔司

かつて社会現象にまでなったプロレス団体UWF。彼はこの団体でプロレスラーとして生まれ、育ち、そのファイトスタイルを愛してきた。格闘技の技術を生かしたプロレス、それは従来のプロレスファンからは「今までに無い真剣勝負」と賛美され、日の目を見ない武術家達からは「擬似格闘技」と非難された。

時代が流れ、過激な総合格闘技団体 PRIDEが誕生すると、プロレスは世間から見向きもされなくなった。

世の中には田村潔司の理想とする闘いを表現できる場所は無くなっていた。

ネームバリューのあるプロレスラーと格闘家との対戦を売り物にしていたPRIDEは当然、田村潔司にもオファーを出した。

寝転がっている対戦相手を踏み付ける、馬乗りになって相手の顔面をひたすら殴りつづける、ルールが過激化し、ファンの熱もそれに比例して上がっていくPRIDEのマットに立つことを田村は頑なに拒否した。
拒否し続けて1年半、表舞台から姿を消していた田村は突然PRIDEのリングに上がる決意をする。巨大なマーケットPRIDEで、自分が理想とするUWFのスタイルを広めるための葛藤の末に出した決断であった。

田村の初参戦が決まったPRIDEでは、試合前の煽りVTRが流れただけで会場中のファンが大熱狂の渦に包まれていた。

「顔面を殴って、流血したり、それを見て喜んでいるファンっていうのはバカだと思う。」

大歓声に包まれていた会場は田村の一言で一瞬にして静寂に包まれた。

その試合、田村は理想の闘いを表現できないままレフェリーストップで敗北した。

ルールを否定し、観客を否定し、現実の壁に向かって理想という信念を叩き付けようとする。

それは彼が単なるアスリートではなく、単なる格闘技者ではなく、プロレスラーだからだ。

生き様そのもので闘うことを表現するプロレスラーだからだ。

思考停止して連戦連勝するアスリートの闘いもいいけれど、田村潔司の゙闘い゙をまだまだ見つづけていきたいと僕は思う。

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