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2016年08月

中学、高校の六年間卓球部にいた。
中三の時には部長で、高三の時は主将を務めた。

元々運動神経がメチャクチャ悪くて、体育の成績も凄く悪くて、卓球なら自分でもできるかなくらいの軽い考えだった。

この考えはある意味ではとてつもなく大きく間違ってたけど、ある意味では当たってた。

というのも、公立中学の地区大会レベルだけでいうとほとんど練習しない選手もたくさんいたからだ。

僕は毎日自己流だったり、先輩にしごかれたり、夜の体育館の開放に通いつめて、昔強豪校だったらしい自分の中学のOBに「今の現役ってこんなレベルなの?」と笑われながら練習を繰り返した。
すると面白いように勝つようになっていった。まあ、ギリギリ県大会にいけないぐらいというレベルの話だが。

進学した公立の高校には幸いにも「卓球レポート」という雑誌に連載を持つほどの監督がいた。

高一のデビュー戦。地区大会で少し目立って活躍した僕を指して「上田みたいに技術で劣っても気迫で勝っちゃうこともあるんだ。だから皆頑張れ」みたいなことを部員の前で言われて、複雑な気持ちになった。

その後、監督の言うとおりの練習をこなすと、面白いように技術は上がり、僕は市の大会で入賞したり市選抜に入ることができた。中一の時に卓球を始めた動機からするとえらい進歩だ。

で、この監督はツテも凄くて女子全国2位の学校に出稽古に行かせてくれたのだ。その学校には全日本女子の当時の監督がいた。

少しは自信を付けた主将の僕はそこで年の変わらない女子相手に子供扱いされ、ベンチから笑い声も聞こえた。

その女子選手のほとんどもプロにはなれない選手達。

そこで完全な現実を見た。

毎日好きなことをやって食ってくことは無理だとはっきり諦めた。


今年、僕は初めてオリンピックをしっかり見た。理由は分からない。ありがたいことに毎日のようにライブや仕事を頂いた8月。家に帰ってTVを付けるといつもちょうど良い時間にやっていたからかもしれない。

卓球を見て、感動した。

学生時代、監督に借りた世界選手権のビデオを見ても「こんなの俺でもできるよ」と訳の分からないことを言い続けていた僕がだ。

なんでこんな心境の変化が起きたのかを考えた。

高校の時に感じた
毎日好きなことをやって食ってくことは無理だとはっきり諦めた。
が覆ってるからじゃないか。いや、正確には覆ってないけど。覆そうとしてる感じを楽しめてるからじゃないか。

いや、ただオッサンなっただけちゃうん。と、つい先日単独ライブを見に行った、「太陽の小町」という大阪出身の尖ったコンビにもし言われたらタコ焼き投げつけたるわ。ということで、笑点今週はこの辺で。
相方とルシファー吉岡さんと仕事に向かう電車。向かいには偶然、森達也さんが座ってた。

オウム真理教のドキュメント 「A」「A2」。佐村河内守のドキュメント「FAKE」などを撮った監督だ。

人違いの可能性もあったので先日FAKEを見たばかりの相方に確認すると「マジだ」と小声で一言。ルシファー吉岡さんは全く知らなくて一人興奮から取り残されていた。

我々が少しうるさかったせいか、気難しそうに「銃」というタイトルの本を読んでいた森さんはイヤホンをした。

憧れの好きな人に出会った時、嫌われたくなくて全く話しかけられない自分と、次いつ会えるか分からないから思いきって話しかけようとする自分が毎回闘う。

電車を降りようとした森さんに、「森さんですよね?昔から凄い好きで見させてもらってます」と言うと、気難しそうな顔から一転、物凄く腰低く会釈された。

地上波で撮ろうとしてたドキュメントが地上波で流せないから辞めろと言われて、結局会社を辞めてフリーランスになって自主製作で映画を撮って、世論やマスコミの一方的な報道に一石を投じ続ける現役の本物のロックンローラーに出会って、電車を降りた三人は電波に乗るべく仕事へと向かった。

お前は自分の言葉を電波に乗せられるのか?と問いかけられていたのかもしれない。

いや、考えすぎ!と軽ーいツッコミの入る楽屋にいてもストレスのたまらなくなってきた昨今です。
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