校長日誌
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第1学期終業式校長講話
日本を語れるか?
第1学期も今日で終了します。皆さんにとって、この4カ月はどうでしたか? 細かいところまでこだわり、丁寧に真摯に物事に向き合えましたか?是非、振り返ってみてください。いつも言っていることですが、節目、節目で自らの行動をしっかり振り返ることは皆さんの成長にとって欠かせないことです。
この1学期の皆さんの頑張りが数字によって表されたのは、先ほど発表があった第1回の英研の結果です。今年度は準1級が15人、2級が95人も合格しました。昨年の同時期と比べて大きな飛躍です。校長として大変嬉しいです、皆さんの日々の努力が結果としてはっきり表れる検定試験。これからも果敢にチャレンジしてください。
明日からの夏休みには「勉強合宿」「海外研修」や「部活動の合宿」なども予定通り実施します。しかし現在、新型コロナの感染者数はかなり増えています。2年生は学年閉鎖になっています。楽しみにしていた行事が中止にならないよう、一人ひとりが感染予防対策をしっかりしてください。皆さん一人ひとりの行動が各行事の実施や成功を決めるのです。慎重に行動してください。
また7月14日には、4年後の2026年度に本校が新しい学校になることが発表されました。しかし新校のコンセプトを見ると現在の和国と大きな変化はありません。これからも今と変わらず「国際感覚や語学力を身に付けたグローバル・リーダーの育成」に努めていきます。少なくとも在校生の皆さんの和国での生活も何一つ変わることはありません。安心して学校生活を楽しんでください。
さて今日は「日本を語れるか」について話したいと思います。
7月8日、参議院選挙の2日前、安倍元総理大臣が演説中に銃で撃たれ死亡するという事件が起こりました。このニュースは国内だけでなく、世界を駆け巡り、世界中の人々に衝撃を与えました。実際にカナダやアメリカ、オーストラリアにいる私の知り合いからも「ショックだ、どうして日本でこんなことが起きるのだ?」といったメッセージが届きました。
今回の安倍元総理の死亡が世界中にショックを与えたのには2つの理由があると思います。1つ目は、憲政史上最も長く総理を務め、日本の国際社会での地位を高めた、海外でも有名な総理大臣であったこと。260の国、地域、機関から1700以上の弔意が届いたという事実は彼の国際的評価の高さを物語っています。
もう一つの理由は、「日本は最も安全な国である」と認識が世界中に広まっていることです。事件後の海外のニュースや新聞を見ても、「世界で最も銃規制の厳しい日本でこんな事件が起こるのか」といった論調のものが多かったのです。「日本の安全神話は崩れた」といった見出しが世界を駆け巡りました。
私はそこでふと思ったことがあります。「自分は日本の銃規制について、外国人に説明するほどしっかりとした知識があっただろうか。」ということです。恥ずかしながら私自身も答えはノーでした。確かに日本で銃を持っている人を見たことないけど、法律的な十分な知識はありませんでした。
また別の話題ですが、現在アメリカでは人工妊娠中絶の問題で多く揺れています。それは6月24日、アメリカの連邦最高裁判所が「合衆国憲法は中絶する権利を与えていない」として「中絶は合衆国憲法で認められた女性の権利」だとした49年前の有名な Roe vs Wade裁判の判決を覆しました。そして、中絶に関する判断を各州に委ねたのです。これは、アメリカ社会のとってものすごい衝撃であり、私も今後のアメリカの社会に不安を感じました。
この結果、保守的な州では中絶が禁止され、一方リベラルな州では中絶が合法であると大混乱になっています。このことはアメリカだけでなく多くの国に影響を与えています。
では、日本の人工妊娠中絶はどうなっているのでしょう。法律的には認められているのでしょうか。今、人に説明できるだけの知識を持っていますか。
このように、我々に身近な社会制度、法律について、以外と知らないものです。あまり意識をしていないことが多いのかもしれません。しかし外国人からこのようなことを聞かれ、答えられないのは恥ずかしいことです。知的レベルを疑われます。
歌舞伎や落語などの日本の伝統芸能や、アニメ、漫画などについては趣味の領域ですから「あまりよく知りません」で通用するかもしれません。しかし自分が生きている社会の制度や法律については、「知りません」では通用しません。
日本では、タトゥー(入れ墨)の施術は医療行為で医師免許が必要なのか?日本では、なぜこれまで離婚した夫婦の親権は世界では普通の「共同親権」ではなく「単独親権」だったのか。答えられますか?
グローバル・リーダーを目指すみなさんには、是非、このような日本の社会の制度、法律について、常に気を付け他人に説明できるような知識を持っていてほしいと思います。
学校でもディベートの授業などでこのような社会制度や法律のことを学び議論することもあると思います。しかしそれだけでは不十分です。常に日々のニュースに関心を持ち、このニュースの背景にある制度や法律はどうなっているのだろうと疑問を持ち、自ら探求する姿勢を持ち、人に説明できる力を養ってください。
明日から約40日の長い夏休みが始まります。コロナ感染や事故に気を付けて、常に探求心を持って多くの事にチャレンジし、充実した日々を過ごしてください。
9月1日、元気に登校してください。
令和4年度入学式式辞
新緑が芽吹く春、すべての生命が躍動するこの佳き日に、保護者の皆様をお迎えして、令和4年度埼玉県立和光国際高等学校入学式を挙行できますことは、本校教職員にとって大きな喜びであります。
ただ今、入学を許可いたしました319名のみなさん、ご入学おめでとうございます。在校生、教職員一同、みなさんを心から歓迎いたします。
保護者の皆様におかれましても、お子様のご入学、誠におめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。
本校は、1986年に全国初の公立の国際高校として開校し、36年目を迎えました。「国際社会で必要とされるグローバルリーダーの育成」という目標を掲げ、生徒・教職員が一丸となって、特色ある教育に取組んでまいりました。新入生の皆さんも、今日からそのチームの一員として、本校の新しい歴史を創っていってほしいと思います。
さて、皆さんは本校の校風や特色に興味を持ち、入学後の充実した高校生活をイメージしながら一生懸命に勉強し、高校入試という大きな壁を乗り越えて、本校へ入学されました。今日、晴れて本校の門をくぐった気持ちはどうだったでしょうか。きっと、これから始まる3年間の高校生活への、大きな期待と緊張感で身の引き締まる思いでいることでしょう。今日のその気持ちを3年間ぜひ忘れずに、たくさんの事に挑戦してほしいと思います。そのスタートとなる入学式にあたり、私から心掛けてほしいことを3つ申し上げます。
1つ目は「自分の考え、意見を持つ」ということです。国際社会は今、多くの課題を抱えています。ウクライナでの戦争が象徴するように、世界の各地でこれまでの国際社会の秩序が破壊され、自由や人権、民主主義が脅かされています。また気候変動、経済格差など簡単に正解が見つからない問題が山積しています。「国際社会で必要とされるグローバルリーダー」になるためには、まずは今世界で何が起きているのかを知り、探求し、深く考えることが必要です。そしてそれらの問題を解決していくための「考え、意見」を持つことが重要です。いくら外国語が流暢に使えても、自分の考え、意見がなければ、国際社会で通用しません。是非、本校での3年間で多くを学び、探求し、深く考え、自分の意見をしっかり持ち、発信できる人になってください。
2つ目は「多様な価値観を認める」ということです。社会のグローバル化とは、なにも海外だけの話ではありません。日本の社会における「内なるグローバル化」は確実に進んでいます。現在、我が国には約282万人の外国人が暮らしています。また、埼玉県内の外国人も増え続けており、令和3年6月末で19万8千人、県の人口に占める割合は2.7%となり、約50人に1人は外国人です。今はコロナの影響で、一時的に世界の人の動きは止まっていますが、コロナが収束すれば再び世界中から多くの人々が我が国を訪れ、この国を支える人材となってくれるでしょう。みなさんが社会に出るころには、外国人と働き、共に暮らすということがあたりまえになるのです。ですからみなさんには、多様な文化、宗教、価値観に関心を持ち、オープンな心で接し理解しようとする態度を養ってほしいと思います。近い将来、世界中から集まる人々と共に、平和で豊かな多文化共生社会を築いていくのは、まさにみなさんなのです。こういった「共感力」、「共生力」といった力は、机に向かっているだけでは養うことはできません。本校での3年間で、行事や部活動、海外研修やボランティア活動などに積極的に取り組み、多くの人と触れ合い、学び合い、語り合う中で育っていくものです。是非、本校での3年間で多くのことに挑戦し豊かな人間性を養ってください。
3つ目は「国際社会で活躍できる人材の資質とは何か」を考え続け、その資質を養ってほしいということです。そのヒントとなる言葉を紹介しましょう。日本人女性で初めて国連事務次長・軍縮担当上級代表に就任し、世界的に活躍している中満泉さんの言葉です。「謙虚さや自己主張が苦手といった日本人の資質が、国際舞台では足かせになるという考えを私は一蹴します。教育レベルの高さや勤勉さ「押しどころ」と「引き際」を心得たバランス感覚など、日本人であることは逆に強みになります。また、日本人は地道に努力して、何でも一生懸命にやりますから仕事を安心して任せられると信用されています。たとえば時間を守るとか私たちの体に染みついているごく基本的なことが、国際社会で働くときには評価されるのです。」是非、この言葉をしっかりと噛みしめてほしいと思います。明日からの高校生活の過ごし方の指針となる言葉だと思います。3年間この言葉を忘れずに、一生懸命に勉強し、約束と時間を守り、何事にも真摯に向き合い、将来の夢に向かって進んでいってください。
最後に保護者の皆様にお願い申し上げます。学校教育においては、学校・家庭・地域の連携が不可欠です。特にご家庭の協力なしには教育の成果は期待できません。私たち教職員一同、一丸となって指導にあたる所存ですが、各ご家庭におかれましても、本校の教育方針をよくご理解いただき、健康的な生活習慣や家庭学習について、ご指導いただきますようお願い申し上げます。
結びに、限りない可能性をもった新入生の皆さんの大いなる成長を祈念するとともに、保護者の皆様には本校へのご理解、ご協力をお願い申し上げ、式辞といたします。
令和4年4月7日
埼玉県立和光国際高等学校長
鈴木 啓修
令和4年度第1学期始業式校長講話
「大人になること」とは
皆さん、おはようございます。まずは春休み中大きな事故もなく、こうして今日、みんなで元気に体育館に集まり、令和4年度1学期始業式を開催できたことを大変嬉しく思います。
3月末の国際理解委員による募金ですが、約6万2千円が集まり日本赤十字主催のウクライナ人道危機救援金に募金することができたそうです。ありがとうございました。しかし非常に悲しいことですが、ウクライナでは、今なお戦争が続いています。死者、負傷者、そして避難民が増え続けています。またロシア軍の一般市民に対する残虐な殺人も明らかになってきています。私たちは「まさかこんなことは起きないだろう」と思っていたことを目の当たりにしています。
本校の校歌にもあるように、世界は長い歴史の中で、国々がせめぎ合ってきました。人類の歴史は戦争の歴史といってもいいかもしれません。しかし21世紀に入り、まさか主権国家が、しかも国連安保理の常任理事国が他の主権国家を武力で侵攻するということが起きるとは、誰も想像していなかったと思います。
私たちは国際社会における「秩序」の大きな転換点を目撃しているのかもしれません。銃を持った人が家に入ってきて、「ここは俺の家だ」といって居座ってしまう、そんな世界が始まる入口にあるのかもしれない。
しかしそんなことは絶対にあってはならない。これまでの秩序は絶対に守らなければならない。
だからこそ皆さんには、まずどうしてこんなことが起きてしまったのかを、歴史を含めてしっかり学んでください。そして今後の世界の秩序を守っていくにはどうすればいいのかしっかり探求してください。そして今後、ウクライナへの長期的な支援が必要となります。どんなに小さなことでもいいので、私たちが今できることは何かを考え行動してほしいと思います。
さて、この4月からの国内での大きなニュースの1つとして「成人年齢の引き下げ」があります。ここにいる新3年生は、これから誕生日を迎えると法律上、成人になるわけです。心の準備はできていますか。
3月30日の毎日新聞で、この話題を特集していました。その中で大阪教育大学の白井利明教授が「相互調整力」という言葉を使っていました。白井教授は青年心理学の専門家で、青年心理学からすると18歳は大人になる出発点だそうです。理想にこだわるだけでなく、現実を受け止めて生きていこうとする。親や教師、それ以外の大人や社会と出会って、広い視野で親や自分の生き方の考えられるようになる。親子の「相互調整」とは、親の意見を聞き、それが自分の考えと違う時には親に伝える責任を感じ、親子がよく話し合って合意まで持っていくことです。そしてこれは、民主主義の営みの基本であり、民主社会の基礎であると言っています。
私は「なるほどそのとおり」と思いました。みなさんはどうですか?今年、また来年に成人になるみなさんは、「大人になる」ってどういくことか、是非1度考えてみてほしいと思います。「相互調整力」という言葉、覚えておいてください。
さて、今日から令和4年度、2022年度がスタートします。新3年生は3年生らしく、新2年生は2年生らしく振舞う準備はできていますか?そして今日の午後には、いよいよ新入生が入学してきます。是非、新入生を温かく迎え入れてください。そしてここにいる皆さんは、新入生が憧れるようなロールモデルとして、学校行事などで彼らをリードしていってほしと思います。
最後に学校行事について1つお知らせがあります。昨年度から6年計画で実施されるはずだった大規模改修は、今年度はありません。理由は財政的な事情であるということです。1組から4組の教室は今年、綺麗になるはずでしたがそうはならず残念です。そして行事予定についてですが、結論から言うと、このことによって変更はしません。つまり「みづのき祭」は、予定通り6月に実施します。「えーなんで、9月に変更してくれ」という声が聞こえそうですが、3月末にお知らせした行事予定に変更はありません。
理由は2つ。1つ目は「みづのき祭」を9月に戻すと、他の行事をかなり変更しなければならず、進路指導などへの影響が大きいということ。また、毎年3月末に、県教育委員会から次の年度に大規模改修があるとかないとか言われて、行事予定を変更していたら、学校が混乱するということです。しばらくは和国が主体的に、「6月みづのき祭」を実行し、定着させたいと考えています。
2つ目の理由は、昨年6月に開催してみなさんは立派に実施することができたという実績があること。しかも今年は昨年の経験がありますから、さらに充実した「みづのき祭」を皆さんならやることができると思ったからです。是非みなさんには理解してほしいと思います。そして素晴らしい「みづのき祭」を期待しています。
新年度は海外研修を含めたより多くの行事を計画しています。コロナでどうなるか予断は許しませんが、より明るく楽しい2022年度にしていきましょう。
3学期終業式校長講話
「らしさ」について
まずはじめに今回の国際理解委員の皆さんによるウクライナの人々のための募金活動について本当に感謝しています。ありがとう。
この募金活動は、国際理解委員が自発的に担当の先生に提案し実現しました。その提案の中で委員のみなさんは「困難を抱えている人たちに対して、物やお金を与えるだけが支援の方法でないし、この募金がウクライナの人々の生活の改善に有効な支援になるかわからないが、何もしないより、何かできる事をしたい」という思いだったそうです。多分、日々ウクライナの人々の惨状をテレビなどで見て、居ても立っても居られない気持ちだったのでしょう。私はその気持ちこそ人間として本当に尊いと思います。そして感動しました。理屈でなくまずは行動する。皆さんのような若い人たちにとって、それこそが尊いのだと思います。私が研修でいたJICAの「支援」の基本的な考え方は「お腹を空かせた人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」ことでした。つまり技術を教え、人を育てることです。しかし今回のウクライナで起きていることは戦争であり、そんな悠長なことは言っていられません。今苦しんでいる人々を救うことが必要です。そういう意味で、今回の募金活動は大変意義のあることだと思います。これから多分、長期的な支援が必要になります。ですからみなさんには長期的な視点でウクライナを見つめ、思いを馳せ、何ができるかを考えてほしいと思います。またなぜこんなことが起きてしまったのか、そしてこれからの世界がどうなっていくのかについてもしっかり勉強してほしいと思います。
さて、今日は「らしさ」についてお話をします。皆さんも報道で知っていると思いますが、アメリカのトランプ前大統領が、今回の非人道的なロシアのウクライナへの軍事侵攻について「プーチンは天才だ。でも私が再選されていたら、こんことは起きなかった。」と発言しました。私は唖然として言葉を失いました。トランプが大統領だった4年間、彼は様々な混乱と分断をアメリカのみならず世界中に引き起こしました。人種差別問題で分断をあおり、移民に対して厳しくあたり、環境問題をないがしろにし、新型コロナ対策も真剣に取組みませんでした。またアメリカ第一主義を掲げ、中国をはじめ、イラン、EU、NATO、WHOなど、様々な国や国際機関とケンカをしてきました。しかし、こういった政策的な問題の他に、普通のアメリカ人がとても憂慮していたことがありました。それは「大統領らしさ」ということです。英語では、「presidential」といいますが、トランプ大統領はあまりにも「presidential」でない、大統領らしくないという問題です。そもそも王室のないアメリカは大統領に品位や尊厳、思いやりなど一国のリーダーとしてふさわしい人間性や資質を求めます。さらにアメリカは世界一の大国、世界のリーダーであるわけですから、それに相応しい振る舞いや言動を求められるわけです。しかし攻撃されればその倍返しで反撃する。それも口汚い言葉で相手を罵倒する。あの環境活動家で当時17歳のグレタ・トゥーンベリさんに対しても馬鹿にした発言をする。そして人々を、そして社会を分断していく。選挙に負けてもそれを一切認めない。そんな人物がホワイトハウスにいたということは、多くの普通のアメリカ人にとって耐えられないことです。私の知り合いのアメリカ人の多くは「national embarrassment、国家の恥、」だと言って嘆いていました。良識あるアメリカ人にとっては、このような世界のリーダーらしからぬ人物が自分たちの国の代表であることに本当に恥ずかしく思っていたのです。
なぜこの話をしているかというと、人は自分の地位や立場に相応しい言動、振る舞いをすることが大切だと私は思っているからです。政治家、会社の社長、警察官、医者、学校の先生、それぞれの立場に相応しい「らしさ」が必要だと思います。私も若い頃は、「らしくない」って「カッコいい」などと思ったこともありました。しかし大人になり歳を重ねていくうちに、やはり「らしさ」は大切だと思うようになりました。人間は年を重ねることで物の見方や考え方が変わるものです。私は和国の校長らしくありたいと思っています。
かつてイギリスの首相のウインストン・チャーチルは次のような言葉を口にしました。
"If you are not a liberal at twenty, you have no heart. If you are not a conservative at forty, you have no brain"
「二十歳の時にリベラルでないなら、情熱が足りない。40歳の時に保守的でないなら、思慮が足りない。」つまり人間は年を重ねることで、歴史や伝統に基づいた「らしさ」の大切さに気付いていくのです。守らなければいけないものの大切さを感じるようになります。
ここ数年、世間ではブラック校則が話題になり、生徒と先生がともに校則について話し合い変えていく動きが起きており、マスコミにも取り上げられています。このこと自体、私はいいことだと思います。しかしその時に忘れてはならないのが、この「らしさ」、「和国生らしさ」です。先生方がよく「品位」という言葉を使います。この「品位」という言葉の意味を、そして「和国生らしさ」とは何かを、今一度よく考えてほしいと思います。
和国は皆さんの日頃の活躍や、生徒ボランティアの協力によって素晴らしい学校説明会ができたことで、今年は特に高い倍率を誇る人気校として注目されました。中学生やその保護者、地域の大人も憧れと期待の目をもって和国を注目しています。先生と生徒がよりよい和国を創っていくために話し合いをすることは大切です。でもその時には、守らなければならないものを知っている大人の意見も聞いて、まさしく「落としどころ」を見つける知恵を養ってほしいと思います。みなさんには、是非このことを忘れないでほしいと思います。そして今後も和国が、ますます良い学校になるよう先生方と皆さんが協力していくことを期待しています。
最後に、来月には2年生はいよいよ3年生に、1年生は学校の中心として活躍する2年生になります。そして新入生を迎えます。それぞれ3年生は3年生らしく、2年生は2年生らしく振舞いができるよう成長してください。
では4月7日、元気に登校してください。
第33回卒業証書授与式式辞
式 辞
厳しかった寒さも和らぎ、春の息吹きが感じられるこの佳き日に、PTA会長・増田真由美様、PTA・後援会顧問・吉田功治様のご臨席を賜り、保護者の皆様をお迎えして、ここに埼玉県立和光国際高等学校・第33回・卒業証書授与式が挙行できますことは、卒業生はもとより、教職員にとりましても誠に大きな慶びであります。
只今、卒業証書を授与された318名の卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。入学以来、3年間の努力が実を結び、めでたく卒業するみなさんに心からお祝い申し上げます。
みなさんにとってコロナ禍が始まってからの高校生活は、我慢することの多い2年間だったと思います。1年生の締めくくりである3月からの約3ヶ月にもおよぶ臨時休業。学校の中心として活躍しようと張り切っていたみなさんにとって、出鼻をくじかれた思いだったでしょう。また、その後も度重なる緊急事態宣言の発令などにより、部活動の大会やコンクールが中止になったり、思うように活動ができなかったこともあったでしょう。また、みづのき祭などの学校行事も、大きく制限された環境の中での開催でした。さらに海外研修や修学旅行が実施できず、実体験から学ぶ機会や仲間との思い出づくりの場も奪われてしまいました。毎年当たり前のように行っていたことができなくなり、初めてコロナ禍前の生活が、いかに貴重であったかを痛感した人も多いと思います。もしかしたらコロナの影響で、家庭においても何か辛い思いをした人もいるかもしれません。しかしみなさんは、そうした全ての事から何かを学び、前向きに努力をし、乗り越えることで今日の日を迎えることができました。改めて心からお祝い申し上げます。
卒業は人生にとって大きな節目であり、新しい世界へ羽ばたく出発点であります。この輝かしい門出に当たり、私から3つのことをお話したいと思います
1つ目は「意思決定プロセスへの参加」ということです。この2年、コロナ禍の世界において私たちの心を曇らせたことがあります。それは民主主義への攻撃です。香港では国家安全維持法が施行され、人々から自由や人権が奪われています。ミャンマーではクーデターが発生し、現在も軍と市民との間で激しい闘いが続き、多くの人が犠牲になっています。そして今回のロシアによるウクライナへの軍事進攻。人間の尊厳はもとより、少なくとも冷戦後30年間続いてきた世界の秩序と民主主義を破壊する戦争が、今この世界で起きているのです。まさに歴史の分岐点を目の当たりにしているのです。
では民主主義が脅かされる時、つまり政治や社会がおかしな方向に進もうとしている時、みなさんはどうすればいいのか。それこそが「意思決定のプロセスに参加する」ことです。自らの意志を社会に示し、物事を決めるプロセスに参加することです。自分の意見を言葉にし、間違っていることには間違っているとはっきりと伝える。そして正しいと信じることを訴えていく。そうすることで意思決定のプロセスに参加し民主的な社会を創り上げていく当事者になることです。それは皆さん1人ひとりの義務であり責任なのです。選挙で1票を投じること、つまり選挙権を行使することは勿論ですが、しかしそればかりではありません。平和的なデモに参加する、SNSで意見を発信する、会議で発言するなど、自分の意志を示す方法はいくらでもあります。この4月に成人となるみなさんには、是非、責任のある大人として民主的な社会の「守り手」になってほしいと切に願っています。
2つ目は、「共感する心を持つ」ということです。これからみなさんは新しい世界に羽ばたいていきます。新しい環境に身を置き、新しい多くの人々と出会うことになります。自分と全く違った考え方、価値観を持った人と出会うことでしょう。また異なった文化や習慣、言語や宗教を持った人々とも出会うことでしょう。そんな時「この人は自分と違う」といって理解しようとすることを諦めたり排除したりしないでください。理解しようと努力する心、共感する心を養ってください。そしてもしどうしても「共感」できない時は、少なくとも「落としどころ」を見つける知恵を持ってください。自分と違った価値観を認め、理解しようとする「共感力」、そして共に生きていこうとする「共生力」は、本校の教育方針であり、グローバルリーダーを目指すみなさんにとって必要な資質です。そして、みなさんの人生を豊かにすると共に、これからの日本の社会も豊かにしていくのです。
そして最後は「和国で出会った友人を大切にしてほしい」ということです。コロナ禍はもう少し続くでしょう。人との接触を避ける生活やオンラインでの会議や授業、そして人との繋がりや親睦を深める機会がなかなか持てない日々が、4月からの新生活でもしばらく続くかもしれません。そうした生活の中で、もしかしたら寂しさや孤独を感じてしまうかもしれません。そんな時、大きな力となるのが和国で出会った友人です。3年間、共に生活し育んだ友情は、たとえ皆さんがそれぞれ違う道に進むとしても変わることはありません。寂しい時、不安な時、遠慮することなく連絡を取りお互いを励まし合い助け合ってほしいと思います。和国で出会った友人は間違いなくみなさんにとって一生の宝物です。大切にしてください。
最後になりましたが、保護者、ご家族の皆様におかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。この3年間で立派に成長されたお子様の晴れ姿を目にされ、喜びもひとしおのことと存じます。皆様には入学以来、本校の教育方針をご理解いただきまして、終始温かい御支援と御協力を賜りましたことを心より感謝申し上げます。
結びに本日、このように第33回卒業証書授与式を保護者の皆様と共に挙行できましたことに感謝すると共に、318名の卒業生のみなさんの輝かしい前途を祝し、今後の限りないご活躍を心から祈念いたしまして式辞といたします。
令和4年3月11日
埼玉県立和光国際高等学校長
鈴 木 啓 修
3学期始業式校長講話
Think Outside the Box
皆さん、新年明けましておめでとうございます。昨日の雪で今朝の登校はちょっと大変だったと思いますが、まずは大きな事故もなくこうして3学期の始業式が迎えられることを大変嬉しく思います。
冬休みはどうでしたか?充実した時間を過ごすことができましたか?今回は2回目のコロナ禍の年末年始でしたが、帰省や初詣などの人出は、昨年に比べて少し多かったようです。皆さんの中にも、今年こそいい年になるよう地元の神社やお寺に出かけお願いした人もいると思います。特に受験を控えている3年生諸君は、受験に成功するよう神仏に手を合わせた人も多いと思います。しかし神仏に手を合わせただけでは受験は成功しません。「人事を尽くして天命を待つ。」という言葉があります。まずは最後の最後まで人事を尽くしてほしいと思います。
さて2022年、令和4年という年を迎えたわけですが、この新しい年の最初の講話にあたり、今日は「Think outside the box」をテーマに話をしたいと思います。皆さんは「Think outside the box」というフレーズを知っていますか。これは「既存の枠にとらわれない、独創的に考える」という意味のよく使われるイディオムです。この「これまでの枠にとらわれない独創的な発想・創造性」という資質は皆さんのような、これからしっかり学問をし、社会に役立つ人間になろうと考えている若者にとって、とても大切だと思い今日のテーマとしました。
昨年の11月22日に「ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム〜次世代へのメッセージ」というイベントが北海道大学で開催されました。今年は「材料で未来を拓く」がテーマでした。フォーラムでは新しい化学反応をとおして、材料の新しい機能の研究をしている北海道大学の前田智教授や、LEDの開発で2014年にノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学の天野博教授が基調講演を行いました。前田教授は100万回以上実験をして、やっと1つの革新的な化学反応が見つかる、それほど開発には時間とコストがかかるという話や、その一方で、コンピュータの性能が向上することで、計算化学が効率化しているといった話をしました。また天野教授はインベンションは1人でできるが、イノベーションは一人ではできない。これからの時代は、理学・工学の研究者が社会的価値の創出を担うビジネス起業家などと協働してイノベーションを起こさなければならないと語っていたそうです。
さらに、このフォーラムでは「作ってみたい夢の材料」をテーマに高校生がアイディアを発表しました。その中の1人、北海道紋別高校の1年生が「屈折率1の物質を作りたい。コロナ禍でアクリル板が広がったが向こう側が見えづらかった。屈折率1の物質が開発できれば、光が屈折しないので見やすくなる。」という発表をしました。するとそれを聞いた天野教授は「私たちは眼鏡のレンズやコンタクトレンズに、今見ている情報に加えてインターネットの情報も映し出す、未来型のディスプレーの開発に取り組んでいる。それを実現するためには屈折率1に近い材料が必須だ。非常に素晴らしい視点だと思う。」とコメントしたそうです。
私たちの日常で困っていること、変えたいことについて既存の枠にとらわれずに独創的に考えることで、新しいアイディアが浮かぶ。今はできるかどうかわからないけど、そのアイディアの実現に向けて、今日からやるべきことをこつこつと努力する。素晴らしいことではありませんか。新しく奇抜なアイディアを持っただけでは、なにも生まれません。まずは興味を持った分野の基礎をしっかり学び、先行研究を知り、その分野のこれまでの歩み、歴史を学びながら新しいものを創造する。2学期の終業式で私は「歴史から学ぶ」というお話をしましたが、人文科学だけでなく自然科学でも、研究する分野の歴史と対話することはとても大切です。研究分野の歴史、先人の歩みを理解した上で、これまでの枠にとらわれない独創的な発想が生まれるのです。
このフォーラムには、1973年に「半導体のトンネル効果の発見」でノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈博士がビデオメッセージを寄せました。その中で江崎博士は「我が人生、何をなすべきか。人生はあなたが主役を演じるドラマであり、そのシナリオが問われる。試行錯誤を繰り返し、人生のドラマの主人公を的確に演じ社会に貢献してほしい。安定した社会では将来は現在の延長線上と思いがちだ。しかし変革の時代には、革新的なものが誕生し将来は創られる。決定的な役割を演ずるのは個人の創造性だ。行きがかりやしがらみにとらわれてはいけない。既成概念を超えるところに発見のチャンスがある。」と高校生にメッセージを送りました。まさしく「Think outside the box」のすすめです。
今は変革の時代です。新しいウイルスとの闘い、気候変動、資本主義の行き詰まり、民主主義の危機。この世界の現状を見渡してみれば、決して安定した社会とは言えません。皆さんが社会で活躍する10年後、20年後に安定した素晴らし社会になっているよう、皆さんの創造性に期待しています。
それでは今日から始まる3学期、創造性が発揮できるよう、日々努力してほしいと思います。
2学期終業式校長講話
歴史から学ぶこと
皆さん、おはようございます。今日で2学期が終了します。2学期は緊急事態宣言の中、分散登校でスタートし9月いっぱい続きました。みなさんにとって、様々な不都合や我慢をすることもあったと思います。しかし10月からはコロナの状況も落ち着き、マスク着用は続いていますが、かなり通常に近い学校生活が送れたのではないかと思います。そんな中、今の表彰であったとおり、多くの生徒が様々な大会やコンテストで優秀な成績を修めたり、各種の検定で素晴らしい成果をあげたりしているのを見て本当に嬉しく誇りに感じます。3学期も是非、色々なことにチャレンジしてほしいと思います。
さて、今日は「歴史から学ぶこと」についてお話しします。今年は1941年の「真珠湾攻撃」から80周年ということで、12月8日あたりではテレビや新聞などでは、様々な角度から真珠湾攻撃を検証していました。真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦までの経緯については皆さんも授業で勉強したと思います。1937年に日中戦争を始めた日本。その後、日独伊三国同盟の締結や、南部仏印への進駐。それに対しアメリカは日本への石油輸出を全面禁止にました。そして最後の日米交渉でもアメリカからのいわゆるハルノートの提示で決裂。ついには真珠湾攻撃に至ったと歴史の事実として学んだと思います。しかし、そもそも何が根本的な原因なのか、どの出来事が最終的に開戦の引き金を引いたのか、その辺のところは盛んに研究されていますが、歴史的な解釈、位置付けは大変難しいところがあります。史実を研究して真実に迫ることは大切ですが、日本とアメリカのどちらが原因なのか、どちらが悪いのかといった議論は不毛であり、意味のあるものではありません。どうであれ日本は自国の国力も考えずあの無謀な戦争に突入し、とんでもない悲惨な結果をもたらしたことは事実です。
当時の状況で皆さんに是非、注目してほしいのは国民の熱狂ぶりです。日中戦争が始まった時、国民は日本軍の快進撃に大いに沸きました。また太平洋戦争開戦後も多くの国民は、フィリピン・マニラ、シンガポール陥落のニュースに歓喜しました。当時の国民の多くは、日本軍の快進撃を熱狂的に支持したのです。昭和史の探求を続け、今年1月に亡くなった作家の半藤一利さんは、生前「国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてはいけない」と語っています。また「絶対というものはない」とも語っています。彼は「日本は絶対勝つ」と大人たちに教えられ、その後悲惨な東京大空襲を生き抜き、そして敗戦を迎えた経験から「絶対」という言葉を嫌っていたのです。
私は最近、政治家や専門家が中国、北朝鮮、韓国などに対して「毅然な態度で臨む」というセリフが増えているように感じとても不安です。政治家たちは常に私たち国民の反応を見ています。「毅然とした態度」という言葉に、もし私たちが熱狂的になれば政治家たちは必ずその方向に進みます。「毅然とした態度」という言葉に私たち国民は、熱狂的になってはいけません。国民が政治家の言葉に熱狂的になる…そんな雰囲気、空気というものが国をおかしな方向に導いてしまします。「絶対に日本は正しい」という外交はうまく来ません。うまくいかないどころか、危険な方向に向かってしまう可能性すらあります。
12月5日の「読売新聞」こんな記事がありました。日本は1941年、真珠湾攻撃と同時に、実はマレー半島への上陸作戦を開始しイギリスとも戦いました。日本軍はマレー半島でイギリス軍を撃破し、多くのイギリス人を捕虜にしました。そしてその捕虜たちは、タイやミャンマーで鉄道建設などに動員され、東南アジア各地で劣悪な環境で働かされ、多くの死者も出ました。捕虜の中で生き残った人たちは、戦後も長く日本への反感を抱き続けました。元捕虜のジャック・カプランさんは1998年、イギリスを訪れた天皇陛下がロンドンでパレードを行った際、沿道で「日の丸」を焼き日本軍から受けた扱いに抗議しました。イギリスの大衆紙や日本のメディアがこれを報じ、カプランさんはにわかに注目を浴びました。その後のカプランさんのことはマスコミも全く取り上げませんでしたが、実は彼はその4年後の2002年に、日英の戦後和解に取組む民間団体が企画した「和解の旅」に参加して箱根や広島、そしてイギリス軍捕虜の墓地がある三重県などを訪れました。カプランさんは戦後の日本人と触れ合い、軍国主義の日本人との違いに驚き、戸惑い、恨みで固まっていた心は解け始めたそうです。そして旅の終わりにカプランさんは「日本人への恨みを墓場まで持っていかなくて済みそうだ」と語っていたそうです。そして遺族によるとカプランさんは、帰国後も日本で知り合った人々と手紙をやり取りするなどの交流を続け、2004年に88歳で亡くなったそうです。日本軍と戦った人、捕虜になったイギリス人のほとんどは亡くなっていますが、今も戦後和解の地道な努力は続いているという話です。これは日本とその敵国だった国との戦後和解の取組みのほんの一部のお話です。真珠湾攻撃で亡くなったアメリカ兵の遺族と日本兵の遺族も、今年80周年の慰霊祭を開催し、民間による和解の取組みが続いています。
いずれにせよ、こういう話、過去に何があったかを知るということが皆さんのような若者にとって大切です。イギリスと日本との間にこのような事実が過去にあったということを知っておくことが大切です。皆さんが近い将来、イギリスに語学研修や留学する機会があるかもしれません。その時にこの過去の事実を知った上で行くのか、そうでないのかは大きな違いです。別にこのことを話題になるからとかいうことでなく、お互いの過去に何があったかを知った上で、目の前のイギリス人を見つめることが大切なのです。皆さんの心の中での感じ方、物事の見方に大きな違いが生まれるからです。
私たちの「今」は過去があって存在します。過去と全く切り離された「今」はありません。人、自然、そして人間社会も過去と深くつながっているのです。ですから皆さんには、歴史の事実を客観的に学ぶことの大切さをしっかり認識し、歴史から学ぶ謙虚な姿勢を持ち続けてほしいと願っています。
最後に、フランスの歴史学者、パトリック・ブシェロンの言葉を紹介して、終わりにしたいと思います。
〜歴史学の姿勢は、史実を巡る対立を鎮め、和解を醸成することだ。〜
それでは1月7日に元気に登校してください。
第2学期始業式校長講話
グローバル・リーダーの資質
まずは、長い夏休みを終えて、皆さんが元気に学校に戻ってきたことを、大変うれしく思います。この40日はどうでしたか?部活や補習をがんばりましたか?本をたくさん読んで教養を高めることはできたでしょうか?1分1分を意義あるものにできたでしょうか?それぞれがそれぞれの時間を過ごしたことと思いますが、この節目にこの夏休みをどう過ごしたか振り返ってみることが大切です。
今、新型コロナウイルスについては、デルタ株が猛威を振るい、10代の若者にも感染が広がっています。本校もあさって金曜日から分散登校を始めます。この後、担任の先生などから詳しいお話があると思いますので、指示をしっかりと聞いてください。今こそ皆さん一人一人が、高い意識を持って感染拡大防止に取り組む時です。
さて今日は、グローバルリーダーの資質について話したいと思います。この夏休みは大規模改修の影響でいつも使っている職員玄関が使えず、私は生徒玄関から出入りしていました。ですから、いつもより多くの生徒とすれちがいました。すれちがう生徒のほとんどは、しっかり挨拶してくれました。「こんにちは」と元気よく挨拶されると、とても清々しい気持ちになりました。礼儀正しい本校生徒を誇りに思います。これは日本ではある意味、見慣れた光景ですが、一旦、日本の外に出ると決して当たり前の光景ではありません。私はアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどの高校を訪ねたことがありますが、本校の生徒のように元気に挨拶してくれる人はいませんでした。
また、JICA(国際協力機構)に研修に出ていた時、東南アジアやアフリカなどの開発途上国に行きました。それらの国々のお店に行った時、店員さんがとてもぶっきらぼうだったり、スマホに夢中で接客すらしない店員さんが沢山いたことに驚きました。日本では考えられないことですよね。まあ、これは文化や風習の違いですから、しかたがないことだと思います。いずれにせよ、日本人の礼儀正しさは世界一だと思います。
そもそも日本の礼儀正しさや、他人を気遣う思いやりなどの道徳観や価値観は、昔から日本の社会に根付いた文化です。他人の感情や考えていることを、言葉にしなくても敏感に察知し読み取る能力、自分がどのように振る舞うべきかを、自分と他人との関係性によって決定してく文化が根付いています。
北山忍という社会心理学者が、これを「相互協調的自己観」と呼んでいます。日本をはじめてとして、東アジアでみられる自己観であると言っています。これは言語習慣を見ても明らかです。英語は一人称を示す言葉、すなわち自分のことを示す言葉は "I" の1語しかありません。しかし日本語は「私、僕、俺」など相手との関係やその場の状況によって敏感に使いわけます。先生が生徒の前で、自分のことを「先生」と呼んだり、子供の前で父親が「お父さんは…」と言ったりするのは日本語だけの特徴であり、言葉からも人間関係を重視するこの社会の規範が見えてきます。このような協調性を重んじ自分と他人との関係性を大事にする習慣は、長年、日本の社会に根付いた文化であり大切にすべきだと私は思っています。
しかし戦後、この日本的な文化・価値観は否定される傾向にありました。「日本人は同調主義的で権威に弱い」と戦前の価値観は全て悪いものだと主張する、いわゆる「進歩的知識人」といわれる人々から批判されてきました。戦前の軍国主義や全体主義はこのような日本社会の体質が一因であり、これからは欧米のように主体性を持ち確固たる自己を備えた「近代的個人」に日本人は変わらなければならないとされました。
さらに1989年のソ連崩壊による冷戦の終結、そして、その後の世界的に急速に広まるグローバル化がこの流れを決定的にしました。ヒト・モノ・カネ・サービスが国境を越えて世界中を自由に移動していく世界では、日本古来の価値観よりもグローバルな価値観、もっと言えばアメリカ的価値観でやっていかないとだめだということです。欧米型の個人主義、自律性、主体性、自己責任などの価値観が絶対的に正しいとされました。
教育界でも「グローバル人材の育成」を謳い、主体的で自己主張ができる人材を育成しようとしてきました。でも本当にそれだけでいいのでしょうか?日本人が長年、受け継いできた人間関係を大切にする価値観を否定していいのでしょうか?私は違うと思います。
もちろん自分の意見や考えを言葉にして伝えること、議論をすることは大切です。この先、世界中からやってくる外国人と共に暮らしていく多文化共生社会では、「以心伝心」というわけにはいきません。言葉ではっきり伝え、文化や価値観のことなる人々と理解し合うことが求められます。
そのためにも「落としどころ」を見つける知恵が必要です。主体的に学び行動していくことは大切ですが、周りの人と協調し、一致点を見出すことが必要です。異なる価値観や文化を持った人々と共存していくということは、まさしく「おとしどころを見つける」ことなのです。
また今、世界を冷静に見渡すと、このグローバルスタンダードは行き詰ってきていると感じます。世界のいたるところで、自国の価値観、文化を取り戻そうという動きは様々な形で現れてきています。
現在、アフガニスタンで起こっていることを見れば明らかです。自分の価値観を一方的に押し付ける。しかもそれを武力で押し付けることが、いかにうまくいかないかがよくわかると思います。
そしてもっと言うと、日本の伝統的な価値観が世界中で注目されています。私が訪問した開発途上国の多くでは、日本人の真面目さ、勤勉さ、正直さを尊敬の念を持って見くれました。「おもてなし」という言葉に代表される他人のことを気遣う優しい心が今、世界の人々を惹きつけています。
ですから皆さんには、是非、真面目で勤勉で礼儀正しく、人の気持ちを察することのできる優しい和国生でいてほしいと思います。それこそがみなさんが「グローバル人材」に成長するための基礎的な素養だと私は思います。
最後に、日本人女性で初めて国連事務次長・軍縮担当上級代表に就任し、世界的に活躍している中満泉さんの言葉を紹介します。
「謙虚さや自己主張が苦手といった日本人の資質が、国際舞台では足かせになるという考えを私は一蹴します。教育レベルの高さや勤勉さ「押しどころ」と「引き際」を心得たバランス感覚など、日本人であることは逆に強みになります。また、日本人は仕事を安心して任せられると思われていることも強みです。日本人は地道に努力して何でも一生懸命にやりますから信用されています。たとえば時間を守るとか私たちの体に染みついているごく基本的なことが、国際社会で働くときには評価されるのです。」
どうですか?励まされますね。
本校は、「国際社会で必要とされるグローバルリーダーの育成」を教育目標に掲げています。そして教育理念の1つに「自国文化の理解」を挙げています。今日お話ししたような視点で我々の文化や価値観を見つめ、自国文化の理解し異文化を尊重していける真のグローバルリーダーに成長してほしいと願っています。
それでは2学期、それぞれの人がやるべきことをしっかりやり、充実した時間を過ごしてください。
令和3年度第1学期終業式校長講話
共通善
皆さんおはようございます。今日で1学期が終了します。今年は昨年とは違い、4月当初から学校を開くことができました。また「みづのき祭」も6月に開催され、忙しい1学期だったかもしれません。満足のいく1学期を過ごすことができましたか?
私は始業式で、今この一瞬を精一杯生きること、今やるべきことを一生懸命に取り組むことが、コロナ禍で先の見えない今を生きる皆さんにとって大切なことだと話しました。「Make each minute count.」「一分一分を意義あるものにせよ。」みなさんはできましたか?是非、振り返ってみてください。自分の行動は自分自身が一番わかっています。この1学期の終わりという節目で、しっかり自分の行動を振り返ってください。それが次への成長に繋がります。
さて、今日は「共通善」についてお話しします。我々人類は、この1年以上新型コロナウイルスと戦ってきました。この戦いの中で我々はこれまで考えたこともなかったことを考えさせられました。「オリンピックは何のためやるのか、誰のためにやるのか、スポーツの意義とは」など、コロナがなければ考えもしなかったことかもしれません。また今回、国は様々な業種のお店や施設に営業の制限をかけました。特に居酒屋などのお店にお酒を出すなという要請をしました。私にとっても生まれて初めて見る光景です。国家が私権、私の権利をどこまで制限できるのか、大きな議論になっています。「居酒屋に行ってもお酒が飲めない」という戦後の歴史の中で、初めての状況を目の当たりにして、多くの日本人は戸惑い、これまで考えたこともない国家権力について考えさせられています。
そもそも国家権力と国民との緊張関係は、2500年前の古代ギリシャの時代から続いている議論です。人類はこの国家と国民との関係がどうあるべきか、長い間試行錯誤してきました。国王や貴族が国民を支配する封建社会から、市民革命などを経て、共和制や立憲君主制など様々な国の形、統治の在り方を実験しました。また、近代の民主国家になっても、立法府と行政府のどちらがより強い力を持つほうがいいのかなど、為政者が国民を統治する最善の形というのは、今も見つかっていないと言えます。そして国家が国民を統制する有効な手段として法律があります。法律を定め、やってはいけないことを定める。違反したものは罰する。とても効果的な方法です。法治国家の基本です。
国家と国民との力のバランス保つために法律は必要だ。しかし正しい法律とは何か? 理にかなう法律とは何か?今度はこういう問いが出てきます。この問いに対して、多くの政治学者や哲学者、社会学者が答えを出そうと考えてきました。
この問いに対する答えの一つのヒントとなるのが、先ほど紹介した「共通善」という言葉です。これまで、多くの社会学者や哲学者がこの言葉について語っていきました。古くはアリストテレスが「政治学」の中で「ポリスの最大の利益は共通善である」と言い、18世紀の政治哲学者ルソーは「社会契約論」の中で「一般意思」という言葉でこの共通善を語っています。最近では白熱教室で有名なハーバード大学のマイケルサンデル教授が、コミュニティーの大切さを語る時、この「共通善」という言葉を使っています。簡単に言うと、国を統治する為政者は「共通善」、つまり「共通の利益」のために政治をしなければならないということです。そして政府が国民の共通善を代表する限り、国民は政府に服従すべきである。もし支配者が私的利益だけを追求しようとすれば、国民は国家権力に従う必要はない。ある意味当たり前なことです。
しかしここからが大事です。さらに国家と国民との力のバランス保つためには、国民の方も共通善、共通の利益を考えなければならないと多くの哲学者は言っています。自分のことだけを考えたり、利己的な行動を国民がとれば、国家と国民の力のバランスは崩れ健全な民主主義は成り立たないのです。そして、そのためには、国民は「知性」と「誠実さ」そして「徳」を備えていることが前提となります。何が倫理的に正しいかを判断できる、優れた知性と人格が国民に求められているのです。
今日、皆さんになぜこの話をしているかというと、この部分が大切だからです。みなさん一人一人が、倫理的に正しい判断ができるために、優れた知性や人格を持つことが求められているのです。共通の善のために豊かな教養と人間力が必要なのです。
今の日本では、戦前の反省を踏まえ、権力者が「何が倫理的に正しいか、道徳的であるか」を言うことは、まずありません。菅総理が「これは道徳的に正しいからやりなさい。」などと国民に言うことはありません。もし言ったら、それこそ炎上するでしょう。そんなことを言ってくれるのは、皆さんの家族か学校の先生ぐらいでしょう。
しかし、この価値観が多様化した現代社会において、何が「共通の善なのか」とても難しい問題です。家族や先生が教えてくれる価値観も、その人、個人の考えです。100%正しいかわかりません。
だからこそ皆さんには、教養を身に着け、人格を磨き、自分の頭で考え、何が倫理的に正しいか、何が共通の善になるかを判断する力を持ってほしいのです。
今日、皆さんにお話ししたことは、大変難しい哲学的な問いです。しかし和国生の皆さんは、このような哲学的な問い、倫理学的な問いから目を背けてはいけません。
当事者意識を持って、理想の民主主義の形について議論し、発言し、そして行動してほしいのです。それこそが、本校が育成を掲げている「教養力」と「人間力」であり、これから国際社会のリーダーとなる皆さんの義務でもあります。
明日から始まる約40日間の夏休みが始まります。是非、教養を身に着け、人格を磨く時間にしてほしいと思います。部活動や補習を頑張り、たくさんの本を読み、充実した日々を過ごしてください。それでは、9月1日に全員、元気に登校してください。
令和3年度入学式 式辞
式 辞
新緑が芽吹く春、すべての生命が躍動するこの佳き日に、保護者の皆様とともに、令和3年度入学式を挙行できますことは、本校教職員にとって大きな喜びであります。
ただ今、入学を許可いたしました318名のみなさん、ご入学おめでとうございます。在校生、教職員一同、みなさんを心から歓迎いたします。
保護者の皆様におかれましても、お子様のご入学、誠におめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。
本校は、1986年に全国初の公立の国際高校として開校し、35年目を迎えました。「国際社会で必要とされるグローバルリーダーの育成」という目標を掲げ、生徒・教職員が一丸となって、特色ある取組を実践してきた学校です。新入生の皆さんも、今日からそのチームの一員として、本校の新しい歴史を創っていってほしいと思います。
さて、皆さんは本校の校風や特色を知り、入学後の充実した学校生活をイメージしながら、一生懸命に勉強し、高校入試という大きな壁を乗り越えて、本校へ入学されました。今日、晴れて本校の門をくぐった気持ちはどうだったでしょうか。きっと、これから始まる3年間の高校生活に大きな期待と緊張感で身の引き締まる思いでいることでしょう。今日のその気持ちを3年間ぜひ忘れずに、たくさんの挑戦をしてほしいと思います。そのスタートとなる入学式にあたり、私から心掛けてほしいことを2つ申し上げます。
1つ目は「自分の考え、意見を持つ」ということです。国際社会は今、多くの課題を抱えています。ミャンマーをはじめ、世界の各地で自由や人権、民主主義が脅かされています。また気候変動、経済格差など簡単に正解が見つからない問題が山積しています。国際社会で必要とされるグローバルリーダーになるためには、まずは今世界で何が起きているのかを知り、探求し、深く考えることが必要です。そしてそれらの問題を解決していくための「考え、意見」を持つことが重要です。いくら外国語が流暢に使えても、自分の考え、意見がなければ、国際社会で通用しません。是非、本校での3年間で多くを学び、探求し、深く考え自分の意見をしっかり持ち、発信できる人になってください。
2つ目は「多様な価値観を認める」ということです。グローバル社会グローバル化とは、なにも海外だけの話ではありません。日本の社会における「内なるグローバル化」は確実に進んでいます。現在、我が国には約288万人の外国人が暮らしています。また、埼玉県内の外国人も増え続け、令和2年6月末で19万6千人、県の人口に占める割合は2.7%となり、約50人に1人は外国人です。今はコロナの影響で、一時的に世界の人の動きは止まっていますが、コロナが収束すれば再び世界中から多くの人々が我が国を訪れ、この国を支える人材となってくれるでしょう。みなさんが社会に出るころには、外国人と働き、共に暮らすということはあたりまえになるのです。ですからみなさんには、多様な文化、宗教、価値観に関心を持ち、オープンな心で接し理解しようとする態度を養ってほしいと思います。近い将来、世界中から集まる人々と共に、平和で豊かな多文化共生社会を築いていくのは、まさにみなさんなのです。こういった「共感力」・「共生力」といった力は、机に向かっているだけでは養うことはできません。本校での三年間で、行事や部活動、海外研修やボランティア活動などに積極的に取り組む中で、多くの人と触れ合い、学び合い、語り合う中で育っていくものです。是非、本校での3年間で多くのことに挑戦し豊かな人間性を養ってください。
本校に代々継承されているSchool Motto で「RST」というものがあります。これは、「Read, See, & Think. 」の頭文字をとったもので、「読んで、見て、そして考えよ」という、本校の校歌にも謡われているモットーです。 3年間、この言葉を忘れずに、たくさんのことを学び、自分で考え、自分から行動し将来の夢への扉を開いて進んでいってください。
最後に保護者の皆様にお願い申し上げます。学校教育においては、学校・家庭・地域の連携が不可欠です。特にご家庭の協力なしには教育の成果は期待できません。私たち教職員一同、一丸となって指導にあたる所存ですが、各ご家庭におかれましても、本校の教育方針をよくご理解いただき、健康的な生活習慣や家庭学習について、ご指導いただきますようお願い申し上げます。
結びに、限りない可能性をもった新入生の皆さんの大いなる成長を祈念するとともに、保護者の皆様には本校へのご理解、ご協力をお願い申し上げ、式辞といたします。
令和3年4月7日
埼玉県立和光国際高等学校長
鈴木 啓修