日誌

2学期終業式校長講話

投稿日時 : 2021年12月23日 principal カテゴリ:

歴史から学ぶこと

皆さん、おはようございます。今日で2学期が終了します。2学期は緊急事態宣言の中、分散登校でスタートし9月いっぱい続きました。みなさんにとって、様々な不都合や我慢をすることもあったと思います。しかし10月からはコロナの状況も落ち着き、マスク着用は続いていますが、かなり通常に近い学校生活が送れたのではないかと思います。そんな中、今の表彰であったとおり、多くの生徒が様々な大会やコンテストで優秀な成績を修めたり、各種の検定で素晴らしい成果をあげたりしているのを見て本当に嬉しく誇りに感じます。3学期も是非、色々なことにチャレンジしてほしいと思います。

さて、今日は「歴史から学ぶこと」についてお話しします。今年は1941年の「真珠湾攻撃」から80周年ということで、12月8日あたりではテレビや新聞などでは、様々な角度から真珠湾攻撃を検証していました。真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦までの経緯については皆さんも授業で勉強したと思います。1937年に日中戦争を始めた日本。その後、日独伊三国同盟の締結や、南部仏印への進駐。それに対しアメリカは日本への石油輸出を全面禁止にました。そして最後の日米交渉でもアメリカからのいわゆるハルノートの提示で決裂。ついには真珠湾攻撃に至ったと歴史の事実として学んだと思います。しかし、そもそも何が根本的な原因なのか、どの出来事が最終的に開戦の引き金を引いたのか、その辺のところは盛んに研究されていますが、歴史的な解釈、位置付けは大変難しいところがあります。史実を研究して真実に迫ることは大切ですが、日本とアメリカのどちらが原因なのか、どちらが悪いのかといった議論は不毛であり、意味のあるものではありません。どうであれ日本は自国の国力も考えずあの無謀な戦争に突入し、とんでもない悲惨な結果をもたらしたことは事実です。

当時の状況で皆さんに是非、注目してほしいのは国民の熱狂ぶりです。日中戦争が始まった時、国民は日本軍の快進撃に大いに沸きました。また太平洋戦争開戦後も多くの国民は、フィリピン・マニラ、シンガポール陥落のニュースに歓喜しました。当時の国民の多くは、日本軍の快進撃を熱狂的に支持したのです。昭和史の探求を続け、今年1月に亡くなった作家の半藤一利さんは、生前「国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてはいけない」と語っています。また「絶対というものはない」とも語っています。彼は「日本は絶対勝つ」と大人たちに教えられ、その後悲惨な東京大空襲を生き抜き、そして敗戦を迎えた経験から「絶対」という言葉を嫌っていたのです。

私は最近、政治家や専門家が中国、北朝鮮、韓国などに対して「毅然な態度で臨む」というセリフが増えているように感じとても不安です。政治家たちは常に私たち国民の反応を見ています。「毅然とした態度」という言葉に、もし私たちが熱狂的になれば政治家たちは必ずその方向に進みます。「毅然とした態度」という言葉に私たち国民は、熱狂的になってはいけません。国民が政治家の言葉に熱狂的になる…そんな雰囲気、空気というものが国をおかしな方向に導いてしまします。「絶対に日本は正しい」という外交はうまく来ません。うまくいかないどころか、危険な方向に向かってしまう可能性すらあります。

12月5日の「読売新聞」こんな記事がありました。日本は1941年、真珠湾攻撃と同時に、実はマレー半島への上陸作戦を開始しイギリスとも戦いました。日本軍はマレー半島でイギリス軍を撃破し、多くのイギリス人を捕虜にしました。そしてその捕虜たちは、タイやミャンマーで鉄道建設などに動員され、東南アジア各地で劣悪な環境で働かされ、多くの死者も出ました。捕虜の中で生き残った人たちは、戦後も長く日本への反感を抱き続けました。元捕虜のジャック・カプランさんは1998年、イギリスを訪れた天皇陛下がロンドンでパレードを行った際、沿道で「日の丸」を焼き日本軍から受けた扱いに抗議しました。イギリスの大衆紙や日本のメディアがこれを報じ、カプランさんはにわかに注目を浴びました。その後のカプランさんのことはマスコミも全く取り上げませんでしたが、実は彼はその4年後の2002年に、日英の戦後和解に取組む民間団体が企画した「和解の旅」に参加して箱根や広島、そしてイギリス軍捕虜の墓地がある三重県などを訪れました。カプランさんは戦後の日本人と触れ合い、軍国主義の日本人との違いに驚き、戸惑い、恨みで固まっていた心は解け始めたそうです。そして旅の終わりにカプランさんは「日本人への恨みを墓場まで持っていかなくて済みそうだ」と語っていたそうです。そして遺族によるとカプランさんは、帰国後も日本で知り合った人々と手紙をやり取りするなどの交流を続け、2004年に88歳で亡くなったそうです。日本軍と戦った人、捕虜になったイギリス人のほとんどは亡くなっていますが、今も戦後和解の地道な努力は続いているという話です。これは日本とその敵国だった国との戦後和解の取組みのほんの一部のお話です。真珠湾攻撃で亡くなったアメリカ兵の遺族と日本兵の遺族も、今年80周年の慰霊祭を開催し、民間による和解の取組みが続いています。

いずれにせよ、こういう話、過去に何があったかを知るということが皆さんのような若者にとって大切です。イギリスと日本との間にこのような事実が過去にあったということを知っておくことが大切です。皆さんが近い将来、イギリスに語学研修や留学する機会があるかもしれません。その時にこの過去の事実を知った上で行くのか、そうでないのかは大きな違いです。別にこのことを話題になるからとかいうことでなく、お互いの過去に何があったかを知った上で、目の前のイギリス人を見つめることが大切なのです。皆さんの心の中での感じ方、物事の見方に大きな違いが生まれるからです。

私たちの「今」は過去があって存在します。過去と全く切り離された「今」はありません。人、自然、そして人間社会も過去と深くつながっているのです。ですから皆さんには、歴史の事実を客観的に学ぶことの大切さをしっかり認識し、歴史から学ぶ謙虚な姿勢を持ち続けてほしいと願っています。

最後に、フランスの歴史学者、パトリック・ブシェロンの言葉を紹介して、終わりにしたいと思います。

〜歴史学の姿勢は、史実を巡る対立を鎮め、和解を醸成することだ。〜

それでは1月7日に元気に登校してください。

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