小学生のころ。 1月になると、古びた文房具が段ボール箱に入れられて、教室前の廊下にずらりと並んでいました。 「ご自由にどうぞ!」 子どもたちは大喜びで文房具を吟味します。かくいう私も鉛筆を2〜3本もらって帰りました。 のちに、それが阪神・淡路大震災のときに寄付された「残り物」と知りました。 ▼▼▼ 1994年12月生まれの「私」私は、生後40日目に「被災」。当然、記憶はありません。しかし、節目ごとに『しあわせ運べるように』を歌ったり、卒業式では偉い人が「君たちの生まれた頃に...」と必ず引き合いに出したり。1994〜95年に阪神間で生まれた私たちは、なにかと「震災」と結び付けられて育ちました。 そうしたなかで、当事者意識のようなものが芽生えていったのだろうと思います。学生時代には、「人と防災未来センター」へ自主的に出向いたり、東遊園地で行われる「1.17のつどい」を訪れたり...。もちろん自発的な