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ノーベル賞受賞者の意外な実態について!
- 2012年11月21日 11:21 AM
- ノーベル賞受賞者の意外な実態について!
赤の太文字からはリンクします。
今年の10月に京都大教授の山中伸弥先生がノーベル医学生理学賞を受賞されました。それに伴い、山中先生が整形外科の医師であったとき、周りの医師よりも特別に手術が下手で、「ジャマナカと呼ばれていた。」いうエピソードが披露されました。普通なら20分で終わる手術が2時間かかることもあったそうです。そのため、山中先生は、仕方なく臨床医の道をあきらめて、基礎研究の道へ進みました。
その結果として、ノーベル賞を受賞するような立派な業績を上げることになったのですから、まさに人生、塞翁が馬のコトワザどおりですね。
山中先生と同時受賞が決まった英ケンブリッジ大のジョン・ガードン名誉教授も15歳当時通っていたイートン校の通知表では、さんざんな評価をされていました。
1949年夏学期の通知表で担当教師は、ガードン氏について、「教師の言うことを聞かず、自分のやりたい方に固執する。」と指摘。将来の道も、「科学者を目指すと承知しているが、ばかげた考えだ」と通知表に書きました。
この年のガードン氏の生物学の成績は250人中の最下位。その後、iPS細胞開発への道を開いたガードン氏は、今もこの通知表を自分の研究所に額に入れて飾っています。
上の話を読んで、私は2004年5月に出版された日本医事新報の「科学者と病」という記事や講談社から出ている「天才の通信簿」という本を思い出しました。
その記事の中で紹介されている朝永振一郎博士は、日本で2人目のノーベル賞を受賞した方ですが、生来のエリートではなかったようです。
今月のマンスリートークでは、この朝永振一郎博士(1907〜1979)の生涯を詳しく紹介したいと思います。朝永氏は、1975年に発表した自伝的エッセイ「思い出ばなし!」の中で、病弱で自分の進むべき道も見出せずにいた学生時代の思い出を書いています。
朝永氏は、学生時代を振り返って、「今から思い出してみても、学生時代に楽しかったこと、生きがいを感じたことなど、1つもなかった」と語っています。学生時代の朝永氏は「健康がすぐれなかったせいもあって、何かわけのわからぬ微熱が続いたり、不眠に悩まされたり、冬は必ず2度も3度も風邪をひき、胃弱、ノイローゼ、神経痛、そんなぱっとしない状態がいつまでも続いた」そうです。また、大学3年で専門を決めるときに、実験物理を選ばなかったのも健康上の理由からで、「学生実験のとき、1〜2時間立っていても痔の具合が悪くなるありさまでは、とてもだめだと思った」そうです。そんな朝永氏は、大学入学以来、病気ばかりしていたので、たくさんの試験を受けずに残していました。
「1年生のとき受けるべきものを2年に残し、2年生のときに受けるべきものを3年に残し、3年生になると、もはや次の年に残すわけにはいかないので、試験が山のように積み重なって、巨額な借金を前にした債務者の心境もかくやとばかり思われた」。ようです。
まがりなりにも卒論をまとめ、試験もどうにかパスしたけれども、そこに朝永氏が見出したのは、「まったく疲労困憊してしまった自分」でありました。大学卒業時の朝永氏は、自分のことを「くたくたになったあげくに、何も分かってはいないのだという劣等感のかたまりのようになって、おどおどしている存在」と表現しています。
何とか大学を卒業して、無給副手となって大学に残ったものの、「相変わらず健康はすぐれず、勉強の方も何をやってよいか暗中模索状態が続いた」。特に、同期の湯川秀樹の華々しい活躍に比較すると、不健康と無理な試験勉強で疲労困憊した自分のふがいなさが思いやられ、当時の朝永氏は「どんなつまらないものでもよいから、たった1つだけでよいから、何か仕事をし、そうしたら、そこでくぎりをつけて、あとは、どこかの田舎でささやかに余生を送ろう」と本気で考えていたということです。
こんな鬱々とした日々が3年ほど続いたあと、朝永氏は仁科芳雄と出会い、理化学研究所に活躍の場を見出しますが、のちにノーベル賞を受賞するこの物理学者は、自らの研究生活を次のように総括しています。「お前は物理が心から好きなのだろうという質問をよく受ける。考えてみると、大学を出てから30年以上も物理で飯を食ってきたわけだから、嫌いだったとは言えないかもしれない。しかし、寝食を忘れてそれに没頭したとか、研究に一生の情熱を捧げたとかいった、偉い学者を形容するおきまりの文句はおよそ使えないように思われる」「確かに、仕事が快調に進んだときは、ある程度夢中になったこともある。しかし、そんなことは十に一つ、あと九つは途中で嫌になったり、何の因果でこんな商売をやらねばならないのかと思ってみたり、今までの30年というのも結局こんな状態での繰り返しである」。
朝永氏は、仕事が予想通り行った時は嬉しいが、大部分は予想外れで幻滅の悲哀をなめることが多く、それが習い性となって、何をやっても熱っぽいうちこみ方などできるものではないと語っています。
このように、朝永氏は、若くして文化勲章を受章し、東京教育大学学長や日本学術会議会長を歴任するなど、いわば位人臣を極めた学者であるにもかかわらず、驚くほど自己評価の低い回想をしています。朝永氏の語るセルフ・イメージがかくも低いことには、若い頃から病弱で思うような生き方ができなかったことや、自らを語るにクールで控えめな都会人としての資質も影響していると思います。
しかし他方、「仕事がうまくいったときのよろこびも、考えてみれば、純粋な真理追究のよろこびではなかったようだ。そこには功名心という雑念が入っている。」「ほんとうの偉い学者はこんな雑念に悩まされることはないはずだ。それに比べて、まるで邪念妄想のかたまりのような自分の何とつまらない者であることよ!」といった記述をみると、朝永氏が、社会的地位や世俗的栄誉に惑わされることなく、自らの限界や欠点を見抜く類い稀な自己洞察と正直さを兼ね備えた人間であったということが、少なからず影響しているのではないかと想像されます。
あるいは、朝永氏は真の意味で自分に自信があったからこそ、ここまであけすけに自らの弱点を公にすることができたのでしょうか?
いずれにしても、朝永氏の人生をみていると、彼もまた、「病みながら生きる存在」だったのではないかと思えてきますが、そういえば、風呂場で怪我をしてノーベル賞授賞式に出席できなかったというのも、どこか、病気がつきものだった朝永氏の人生を象徴しているようです。
なお、朝永氏が1974年に行った講演「京都と私の少年時代」では、小学生の頃、学校へ行くのが厭で、朝になるとお腹が痛くなったという不登校を思わせるエピソードが語られていて、この世界的な物理学者が、学校に関して、かなりの不適応であったことが分かります。
朝永氏は、一般人から見たら、ノーベル賞を受賞した「ものすごく偉い学者」なのに、本人が、自分のことを、「ほんとうの偉い学者なら、こんな雑念はない。」とか「自分は邪念妄想のかたまりのつまらないものだ。」という低評価しているのは、とても意外なことですが、一般人からしたら非常に親しみが持てる話です。
ちまたのサラリーマンたちが夜の飲み屋で、「俺は仕事が出来ないダメな奴だ。」と周囲の人たちに愚痴をこぼすのと、よく似ていますね。
(エジソンは、授業中に「1+1=2」と教えられても鵜呑みにすることができず、それに対して「なぜ?」と質問して、教師を困らせたりしていました。また、アインシュタインは、5歳頃まであまり言葉を話さず、学校に入ってからも言語障害だと思われていました。)
今月のマンスリートークで私が一番強調したいのは、人生において素晴らしい業績を上げた方々も、初めから周囲より飛びぬけて優れている存在ではなかったということです。
いろんな失敗をしながら、自分の適性にピタリと合ったものに出会ったときに、その人の本領を発揮出来るのだということを理解して下さい。たとえいまの職場でダメな人と思われていても、別の職場に行けば素晴らしい人になれるかもしれないのです。
ご自分のお子さんが、学校で劣等生だったり、問題児であっても、決して一生ダメな子供とあきらめる必要はありません。
学校を出てから、他の方がやらないような仕事について、すごい成功を収めるかもしれないのです。過去の具体例としては、高校進学を断念し中学校しか出ていない斎藤一人さんが、納税額日本一になった例があります。また、スポーツの世界を見ると、プロ野球に入って数年間全く活躍出来なかった尾崎将司選手 は、ゴルフに転向して日本一のプロゴルファーとなり、ジャンボ尾崎と呼ばれるようになり、通算勝利数113勝という未曾有の実績をあげています。
学生時代は、確かにNo1がすごい評価を受けますが、社会に出たらOnly Oneで十分なのです。
若くてまだ人生経験が未熟で、自分にはどんな適性があるかが全く分からない方は、とにかくいろんなことに挑戦してみて下さい。
その結果として、きっと自分に合ったものが見つかるはずです。
文責
谷口雄一
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