スポンサーサイト
1月17日を前に・・・
平成7年1月17日(火) 午前5時46分
阪神・淡路地区に住む者にとって忘れることの出来ない、強烈な体験とその記憶。
今も忘れることはありません。
すさまじい揺れで目を覚まし、これまでの自分の経験に無かった、いつまでも続く揺れの恐怖に声すら出ませんでした。
その後も続く余震の恐ろしさに耐えながら見るテレビから流れてくる情景は、目を覆いたくなるばかりで、ニュースを読む男性アナウンサーは耐えられなかったのか突然泣き声に変わっていったことを覚えています。
自宅のベランダの上空には神戸方面へ向う自衛隊のヘリコプターが何機も飛び、その空を見上げながら「一人でも多くの人が助かりますように」とひたすら祈っていました。
その頃、仕事の途中で立ち寄った献血ルームに、それまでに見たこともない数の若い人たちが列を作っていました。
人のために何かをしたい、という気持ちを強くもった若者が多くいたように思います。
人は、何か困難に遭うとき、とても人間らしく、助け合たり、優しくなったり出来るのに、平和で満たされる時間が続くと、弱く、おかしくなってなっていく動物なのでしょうか。
あってほしくない災害や事故でつらい思いをする人が無くなり、人の心も平和で優しい社会になるって難しいことなのかな、と毎年この日に思います。
阪神・淡路地区に住む者にとって忘れることの出来ない、強烈な体験とその記憶。
今も忘れることはありません。
すさまじい揺れで目を覚まし、これまでの自分の経験に無かった、いつまでも続く揺れの恐怖に声すら出ませんでした。
その後も続く余震の恐ろしさに耐えながら見るテレビから流れてくる情景は、目を覆いたくなるばかりで、ニュースを読む男性アナウンサーは耐えられなかったのか突然泣き声に変わっていったことを覚えています。
自宅のベランダの上空には神戸方面へ向う自衛隊のヘリコプターが何機も飛び、その空を見上げながら「一人でも多くの人が助かりますように」とひたすら祈っていました。
その頃、仕事の途中で立ち寄った献血ルームに、それまでに見たこともない数の若い人たちが列を作っていました。
人のために何かをしたい、という気持ちを強くもった若者が多くいたように思います。
人は、何か困難に遭うとき、とても人間らしく、助け合たり、優しくなったり出来るのに、平和で満たされる時間が続くと、弱く、おかしくなってなっていく動物なのでしょうか。
あってほしくない災害や事故でつらい思いをする人が無くなり、人の心も平和で優しい社会になるって難しいことなのかな、と毎年この日に思います。
[フレーム]