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岡田太郎さん死去 「人助けの名人」に救われた奇跡のボギー スポニチOB・中野信行(電撃結婚スクープ)

[ 2024年9月14日 04:30 ]

9月3日に胆のうがんのため死去した岡田太郎さん
Photo By スポニチ

【悼む】吉永小百合と岡田太郎さんの結婚を前提とした真剣交際は、危うくライバル紙にスクープされるところだった。岡田さんは現役のフジテレビ社員ディレクター。系列紙が先行していた。

私は文化部の同僚記者と会社近所の居酒屋で一杯やっていた。ほろ酔い気分で浜松町駅に着いた。携帯電話がない時代。公衆電話で当番デスクに「上がります(帰社します)」と伝えた。すると、一緒に飲んでいた同僚記者の大学時代の友人から緊急電話があったとデスクが言う。

すぐに社に戻り、同僚記者がテレビ局に勤めていた友人に電話を入れた。その内容は吉永小百合が岡田太郎さんと7年前から真剣交際しているというものだった。編集局内は騒然となった。全員で「裏取り」に走ると、情報は「大当たり」で輪転機はフル回転。1紙抜きとはいかなかったが、このビッグニュースを1973年2月23日付の1面で報じた。

結婚後、フジテレビ編成局杯コンペが桜ケ丘CCで開催され、放送担当記者だった私は岡田さんと同じ組になった。最初のロングホールで珍事が起きた。私の3打目は左にそれてOB。打ち直した5打目もOB。ところが岡田さんが「中野さんが打った最初のボールは僕のです。誤球(ペナルティー)扱いで5打目からどうぞ」と助け船を出してくれた。本来は7打目だが、打ち直したボールはピンそばに寄り、このホールは奇跡のボギーということになった。

77年春、TBSの3時間ドラマ「海は甦える」に小百合が出演。ドラマの舞台になった新潟県菱潟村(当時)に同行取材した。帰りの新幹線のグリーン車で小百合と向かい合わせに座った。"誤球"で救われた話をすると「あの人、人助けの名人なの。ウフフ」とうれしそうに笑った。小百合と渡哲也さんは悲恋に終わり、単身パリに傷心旅行に行っても癒えず、精神的にズタズタだった頃、小百合の肩を優しく抱いた人は岡田さんだったとされる。近年は2人で将棋を指す時間を大切にしていたという。

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