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岡田太郎さん "アップの太郎"に"昼メロ"定着...テレビ史に功績残した敏腕プロデューサー

[ 2024年9月14日 04:30 ]

9月3日に胆のうがんのため死去した岡田太郎さん
Photo By スポニチ

【評伝】岡田さんはテレビ史に功績を残した敏腕プロデューサーだった。

1954年、勤務していた総理府の付属機関、国立世論調査所が閉鎖。同調査所からの紹介で、ラジオ局の文化放送に入社した。58年、文化放送とニッポン放送を主体に創設されたフジテレビに移り、開局とほぼ同時に開始のドラマ「陽のあたる坂道」の演出を任された。テレビ映像を自由に編集できる技術がない時代。岡田さんは2人の俳優のアップを複数のカメラで映し、それらのカメラを何度も切り替えることで、俳優が見つめ合うシーンを臨場感をもって描き出した。この演出で"アップの太郎"と呼ばれるようになった。

60年には、毎日新聞に連載されていた不倫をテーマにした小説「日日の背信」のドラマ版を演出。同作でもアップを多用し、官能的なシーンを生み出した。放送開始が午後1時で、主婦層を中心に大ヒット。各局が同時間帯にメロドラマを放送し"昼メロ"というジャンルを定着させた。

70年代にはテレビのカラー化に伴いフジが経費削減のため制作部門を別会社化。一時ドラマ現場から離れた。

81年、フジが金曜午後8時に2時間の時代劇枠「時代劇スペシャル」を新設するのを機にチーフ・プロデューサーとして現場復帰すると、再び敏腕ぶりを発揮。東映、勝プロダクション、三船プロダクションなどが制作に参加。大川橋蔵さん、三船敏郎さん、仲代達矢(91)ら出演陣も豪華で、裏番組に日本テレビ「太陽にほえろ!」などがある中、平均視聴率15%前後をキープ。スタッフからは「太郎さんが出てくると全てがスムーズに進む。大黒柱」と慕われた。

晩年は妻の写真集の撮影をしたりベストスイマー表彰式に代理出席したりと"小百合の夫"として活動した。

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