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古舘伊知郎 テレ朝アナウンサー時代に与えられた「陰」のミッション「気が触れたように...」

[ 2023年8月7日 15:06 ]

古舘伊知郎アナウンサー
Photo By スポニチ

フリーアナウンサーの古舘伊知郎(68)が6日までに更新されたYouTubeチャンネル「笑う小沢と怒れる仁志」にゲスト出演。テレビ朝日のアナウンサー時代に社の業務としてこなしていた「裏の仕事」を明かした。

古舘は1977年(昭52)にテレビ朝日へ入社。当時人気絶頂だった「新日本プロレス」の実況で一躍有名になり、84年までの7年間、局アナとして活躍した。

「全国区」になる前の古舘が目をかけられたのが、石原プロモーションの名物専務として知られた小林正彦氏(2016年死去)だった。「お前、プロレスの実況が終わったら、石和温泉(山梨県)に来い、と言われて」。当時、テレ朝では同プロモーションが製作する「西部警察」が放送され、同専務の言葉は「社命」。古舘が駆けつけると、ホテル、旅館が貸し切られ、俳優から裏方さんまで招いた大宴会が開催されていた。

「僕は何で呼ばれているか、というと、女性が水着姿でステージ上で、泥レスをやるんですよ。泥のレスリング。それを気が触れたように実況するんですよ」

すべてに豪快だった石原プロの、豪快すぎるイベント。「プロレス実況担当、古舘伊知郎アナウンサーが鹿児島県立体育館から急遽戻られまして、会社の業務として来てくださいました...」と当時を思い出し、実況口調で再現した。

さすがの古舘も、本職の実況、長時間の移動を挟んで、泥レスの実況、そして石原プロのお酒による歓待で、終了頃にはグロッキー状態に。酸欠状態で真っ青な顔になり、宴の終わった石原軍団と廊下で出くわした。「別にオレの顔なんか認識されてないだろう、と思って、"お疲れ様です"って行こう」としたら、背中を軽く叩く人物がいた。石原裕次郎さん(1987年死去)だった。

「古舘くん、顔が青いよ。オレ、実況の途中から心配してたんだよ。大丈夫か、水飲むか?」。そう言って、ペットボトルを手渡してくれた。

「だからもう、一生忘れないですよ」。レジェンドの大きすぎる「心遣い」に、いつまでも感謝していた。

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