日本の「脱自虐史観」が中国を利する理由
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謝罪を要求し続ける中韓を嫌い、さらには反米感情までをも募らせる「脱自虐史観」の考え方が、急速に日本で広まっている。自虐史観からの脱却それ自体は正しい。しかし、それだけでは日本は国際社会から孤立する。
「もう謝罪はうんざり」
自虐史観から脱却しつつある日本人
「安倍談話」の評判がいい。
<日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。>(太線筆者)
こう断言し、中韓からの非難にうんざりしている国民を喜ばせた。「安保関連法案」ゴリ押しで急落した支持率も、回復してきている。安倍総理は「自虐史観」から急速に脱却しつつある世論の「追い風」に支えられ、揺れ動きながらも政権を保っている。しかし、いま真剣に考えなければならない問題がある。「よい脱自虐史観」も行き過ぎれば「トラブルの元」になるということだ。
日本は、急速に「自虐史観」から脱却しつつある。たとえば、安倍総理の「靖国参拝」(2013年12月26日)を支持した人は、ヤフー意識調査で約8割、もっとも反安倍である朝日新聞でも約6割に達した。あるいは、「直接おわびなし」「子や孫に謝罪させるな」の安倍談話で、支持率が上昇したことなどでもわかる。
書店には、「日本は悪くなかった本」が乱立し、しばしばベストセラーになっている。「自虐史観を支持する人、支持しない人はそれぞれ何%?」というはっきりしたデータはないが、これを読んでいる皆さんも、おそらく「脱自虐史観のムード」を感じていることだろう。
「脱自虐史観」が「トレンド」になったきっかけは、何だったのだろうか?海外から見ると、11〜12年が転換点だったように思える。11年3月の東日本大震災後、「日本のため」「日本人として」というフレーズが、「右翼用語」でなくなり、ごく自然に使われるようになった。
未曽有の災害に襲われた結果、国民の中に一体感がでてきたのだろう。12年は、中韓との関係が、劇的に悪化した年である。この年の8月、韓国の李大統領(当時)が、竹島に上陸。彼はその後、「日王(=天皇)が韓国に来たければ謝罪せよ」と発言し、日本国民を激怒させた。
同年9月、日本政府は尖閣を「国有化」。中国政府・中国民はこれに猛反発し、大反日デモが起こる。日中関係はこれで「戦後最悪」になった。
こうして悪化した、日中・日韓関係。日本では「こんな無礼な国々に、謝罪しつづける必要はない」という機運が急速に高まっていった。さらに、「日本人に自虐史観を植えつけたのは、GHQだ」という事実も広く知られるようになり、「反米感情」も強くなっている。
筆者は、日本が「自虐史観から脱却しつつある」のを歓迎している。しかし、「それですべてうまくいく」と考えるのも、また問題なのだ。
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