17歳の特攻隊員「ユキ」が両親宛てに最後の手紙、封筒の隅に書いた「小さな4文字」とは

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出撃間近に写された少年飛行兵たちの笑顔の写真。中央で微笑んでいる少年こそ、本書の「ユキ」こと荒木幸雄です。陸軍の少年飛行兵として特攻隊員となり、第七十二振武隊の九九式襲撃機に乗り込んで、沖縄沖の米軍艦に突入、わずか17歳で短い生涯を終えました。本書『ユキは十七歳、特攻で死んだ』(毛利恒之著、ポプラ新書)は、大空を飛ぶことに憧れた少年の生涯を当時の関係者たちへのていねいな取材を交えて描いたノンフィクション。戦局と共に価値観が変容し、人々の生活と生命が脅かされていくか、ここでは出撃間近の彼らの様子を伝えます。

きょうかも知れない、出撃命令

「目達原基地へ進出、待機せよ」――。

(1945年5月)ついに、第七十二振武隊に出撃待機の命令が下りました。佐藤睦男隊長以下の10名は、5月17日、対馬海峡をまたいで九州へ飛び、佐賀県の目達原基地へ向かいます。

17歳の特攻隊員「ユキ」が両親宛てに最後の手紙、封筒の隅に書いた「小さな4文字」とは出撃前に、子犬を抱いて微笑むユキこと荒木幸雄(中央)とその仲間の少年飛行兵たち 写真提供:荒木精一、朝日新聞社

荒木幸雄にとっては、大刀洗飛行学校の目達原教育隊のころ、赤トンボで初めて大空を飛んだ思い出の地です。

筑紫平野につづいて佐賀平野がひろがるなかを、筑紫次郎と呼ばれる筑後川がゆったりと西へ流れて、入り海の有明海に注いでいます。

脊振山の南の目達原基地がある一帯は、上空から見ると、みどりの田園ののどかな眺めですが、初夏の光が満ちたその空は、いまや、学徒出身の陸軍特別操縦見習士官や少年飛行兵たちのはげしい「と号訓練」(特攻訓練)の場と変わっていました。

第七十二振武隊の十機は、午後3時ごろ、全機そろって目達原基地に着陸しました。

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