核戦争を待望する人びと
核戦争を待望する人びと 聖書根本主義派潜入記 グレース・ハルセル:著
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越智通雄:訳
朝日新聞社,1989
読後感:☆
【聖書の説くこの世の終末(ハルマゲドン)、キリストの再臨は、核戦争でしか可能にならない―とする右翼キリスト教派・聖書根本主義派は、現代アメリカの大衆はもとより政界にも少なからぬ影響力を持っている。恐るべきハルマゲドン幻想に踊り、その舞台となるイスラエル支援に熱中する人びとの生態をビビッドに描く。 】
米国政治に影響を及ぼす耶蘇教団の内情が、これである程度分かる。ただし、既に古い情報になってしまっているため☆はひとつ。
どの宗教宗派でも同じなのかもしれないが、原理主義的な運動は過激に走らざるを得なくなるようだ。その聖典の書かれた時代と未来(現在)は、時代背景が異なるにも拘らず、それが聖典(神の預言)であるゆえに時代の制約を超えているとみなし、拡大解釈を続ける。
post近代に移りつつある欧米ではいくら原理主義といっても、せいぜい中絶反対とか同性婚反対くらいのものでテロリズムに訴えるところまではいかない。pre近代といった情況化のイスラム原理主義と違い、直接的に眼に見えるかたちでの恐怖はないと云えるが、米国のような超大国の中にあって、このような聖書根本主義者がかなり居るというのは、気味が悪いというのが正直なところである。
終末思想というのはいつの時代にも出てくるもので、どうやら人間には、自分の生きる時代を特別視して捉える習性があるようだ。信じるゆえに、審判の日が近いと思いたがるのだ。ちょっとした災害や事件、いつの時代にも見られる現象にすら、神のしるしを見てしまう人間の癖。神の国の訪れを早めるためなら、最終戦争すら乞い願うという狂気。
しかしこの人々は、イエスを救世主と認めなかった当時の人々をどう考えるのだろうか。いくら奇跡を見せよと、イエスは異端視され、磔刑に処されたのではなかったか。いったい終末を待ちわびる人々は、救世主がどんな姿で現れると考えているのか。天使が喇叭を吹きながらその廻りを飛び、中空に浮きながら神の預言を説く、後光の射した超人的な現れ方を求めているのか。
だとしたら、イエスを救世主と認められなかった人々と同じ過ちを犯していると思える。救世主は荘厳な姿で現れると期待している人々が、救世主を見る日は永遠に来ないだろう。
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