【挨拶】金融ビジネスにおけるチャットボットの活用〜新しいコミュニケーション・サービスの現状とその可能性〜
第6回FinTechフォーラム
日本銀行理事 桑原 茂裕
2018年8月3日
はじめに
日本銀行理事の桑原でございます。本日は第6回FinTechフォーラムにお集まりいただき、誠に有難うございます。
今回のテーマは、金融サービスのインターフェースに大きな変革の波をもたらしつつあるチャットボットです。元来、多くの対人サービスは、人と人との会話を通じたコミュニケーションによって提供されてきました。フェイス・トゥ・フェイスの会話が電話になり、それがファクシミリや電子メールになっても、人と人とがコミュニケーションをとるというスタイルに変わりはありませんでした。それがチャットボットの登場により、テキスト入力や音声を通じた問いかけに対して、ロボットがその内容を解釈し、適切な回答を返すという全く新しい情報提供スタイルが広がりつつあります。入力のデジタル化とともに、出力がロボット化されたところがイノベーション上の要点であると考えています。
1.コミュニケーション・サービスとは
こうしたチャットボットとのやり取りを、はたしてコミュニケーション・サービスと呼ぶのか。この問いは、英国の数学者であり暗号学者、コンピューター学者でもあったアラン・チューリングが提唱したチューリングテストを思い起こさせます。チューリングテストとは、機械が知的かどうか、言い換えれば、その機械を人工知能と呼んでいいかどうかの判断基準を示すものです。人間がある問いを発し、機械によって返された回答が、機械によるものか人間によるものかの区別ができなければ、それは人工知能とみなせると考えたのです。
このチューリングテストをチャットボットに当てはめるとどうなるか。まずは、ユーザーがあるサービスを求めて質問や要望を投げかけます。これに対して、チャットボットが人間によるサービスと遜色のない回答を返せたら、それはチャットボット版チューリングテストをパスできたと言えるのではないでしょうか。その場合のポイントは、顧客満足度にあるのだと思います。AIや自然言語解析の発展によって、人間と同等、もしくは人間以上の満足度を与えることが可能になる、そうした世界が目の前に広がりつつあります。もちろん、対話の質だけではなく、疲れ知らずで24時間365日働けるという利点があるのは言うまでもありません。
こうした潜在力を持った新しい技術が、金融ビジネスにどのような変革をもたらしつつあるのか。それをどのような技術が支えているのか。それが今回のフォーラムのテーマです。
2.チャットボットは揺籃期から飛躍期へ
2016年から17年にかけてチャットボットのビジネス活用が一気に加速しました。これに先立つ2010年代前半がチャットボットの揺籃期にあたります。AIが米国のクイズ王を打ち負かし、スマートフォンに初めて音声アシスタント機能が搭載されたのが2011年でした。スマートスピーカーが販売開始されたのが2014年、SNSにチャットボットが組み込まれ始めたのが2015年です。
2016年になると、宅配便の集荷や再配達の受付、自治体が提供する家庭ごみの分別相談サービスなど、試験的な導入も含め、実用化が急速に進み始めました。問い合わせに対する情報提供に止まらず、その先にある顧客ニーズ、例えばスマートフォンのプロバイダーを乗換えるためのサービス画面を提示して契約締結まで行ったり、エアコンの故障をエラーメッセージから診断して修理の予約まで行うサービスなども登場しつつあります。いわゆるコミュニケーション・ツールから、契約やサービス提供に至るまでシームレスにつないでいくビジネスツールに進化を遂げる動きまで出始めているのが現在の状況です。
3.金融機関でのユースケース
最初は「実用には適さない」とか「単なる会話遊びではないか」とか言われることもあったチャットボットですが、このように、十分実務に活用できる段階に到達しつつあります。金融機関の方々も、その可能性に早くから注目し、いろいろな用途にチャットボットを活用する試みに取り組んでこられました。
具体的には、対顧客サービスへの活用として、例えば資産運用や保険に関する相談にチャットボットが応対してくれるサービスが提供されています。スマートフォン上でコンシェルジェや企業キャラクターの姿をしたチャットボットが金融商品や金融サービスを案内する様子をご覧になられた方もおられるのではないでしょうか。
また、実用化事例ではこうした対顧客サービスへの活用に注目が集まりがちですが、それにとどまらず、企業内でのサービス提供に活用されているケースも少なくありません。大企業化し事業部門が細分化されるほど、そして事業内容の専門性が高まるほど、日々の業務において生じる企業内部での問い合わせは増加していく傾向にあります。労働力不足に悩む企業や、労働生産性の引き上げを図りたい企業にとって、貴重な労働力が内部での情報の問い合わせやその対応に多くを割かれるのは避けたいところだと思います。チャットボットは、顧客サービスの改善や効率化のみならず、こうした内部費用の削減を通じても、金融機関の生産性や収益力の向上に寄与することが可能です。
更に、チャットボットについては、その導入後においても、顧客ニーズや顧客満足度、企業内照会の発生頻度やその内容などがデータベース化されるため、顧客サービスの更なる改善や業務プロセスの見直しなどに継続的につなげていくことも期待できると考えられます。
4.暗黙知の「見える化」と組織知の再検討
チャットボットについては、別の観点からの効用も期待できます。
そもそもチャットボットを実用に供していくためには、対顧客サービスであれ、企業内部での活用であれ、個々人や企業内の各部門に蓄積されている情報や判断基準をビジネスナレッジとして抽出し、データベースとして整備する作業が必要になります。人間や組織は、様々な条件や文脈を加味して複雑な判断を下しています。それをアルゴリズムとして明確に定義したり、どのような情報を総合的に組み合わせて回答や対応を導き出しているのかを、改めて確認してみる。そうした作業を通じて、従来個々人や各部門の中に蓄積されていた暗黙知を「見える化」して組織全体で共有することが可能になります。それと同時に、既に企業内で共有されていた組織知についても、その内容について改めて見直しを行う契機にもなり得ます。チャットボットの活用段階のみならず、その導入過程においても、企業のマーケティング戦略や仕事のやり方について、思わぬ気付きが生まれるかもしれません。こうしたことは、大きな意味で、企業そのものの価値を高めることにつながるものと考えられます。
おわりに
チャットボットは新しいコミュニケーション・サービスのかたちを提示しています。
チャットボットそれ自体は、顧客満足度の向上や企業内サービスの充実を図るためのツールではありますが、その働きは、人間や組織のあり方と深くかかわってきます。こうした観点から見ると、チャットボットを知ることは、人間や組織を再発見することになるのかもしれません。
本日は、チャットボットを導入されている金融機関の方々にご登壇頂き、各企業でのユースケースを具体的に語って頂きます。また、デベロッパーの方々からは、チャットボットという新しいサービスの背景で、どのようなIT技術が活用されているのか、自然言語解析や意図理解手法など技術的な側面にも踏み込んだお話を伺います。
こうしたことを通じて、金融ビジネスにおけるチャットボット活用の現状や可能性についての理解を深めるとともに、金融機関の未来のビジネスモデルに思いを馳せてみる、そういう場になれば幸いでございます。本日のフォーラムが有益なものとなりますことを祈念して、私からの挨拶とさせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。