【挨拶】 AIと金融のフロンティア 日本銀行決済機構局・金融市場局合同コンファレンス 「AIと金融サービス・金融市場」における挨拶
日本銀行総裁 黒田 東彦
2017年4月13日
目次
1.はじめに
本日は、日本銀行決済機構局・金融市場局合同コンファレンスに、多数の方々のご参加を頂き、誠にありがとうございます。
本日のコンファレンスは、AIなどの新しい情報技術と金融の接点という、まさに金融のフロンティア領域に焦点を当てたものです。この場に、このように様々な分野を代表する方々にお集まり頂いていること自体、現在の金融の潮流を象徴しているように思います。
2.AI・ビッグデータ分析と金融
金融の本質としての情報処理
今日、AIやビッグデータ分析といった言葉を、新聞や雑誌などで見ない日はありません。これらの新しい情報技術は、顧客の属性分析等のマーケティングへの活用や、様々なシステムの制御、さらには医療、経済分析、気象予測など、幅広い分野で応用が進められています。
こうした中、AIやビッグデータ分析が新たなフロンティアを切り拓く可能性が期待される分野として、金融にも大いに注目が集まっています。実際、「フィンテック」と呼ばれる新しい金融サービスの提供や、各種金融市場での取引、さらにはリスク管理やコールセンターの運営といった広範な金融実務において、これらの技術を活用する取り組みが行われています。
このように、新しい情報技術の金融への活用が期待されていることは、金融の根源的な機能が「情報処理」であることを踏まえれば、決して不思議ではありません。
金融市場や決済システムといった金融インフラは、大量の情報を効率的に処理する場とみることもできます。例えば、一人の人間が、世界中にある膨大な数のプロジェクトのリスクやリターンを全て評価することは困難です。この点、金融市場では、多くの人々によるリスクやリターンの評価が集約され、「価格」という形で皆に共有されます。この金融市場を利用することで、それぞれの市場参加者は、他の多くの人々の評価を活用することができるわけです。このように、金融は、高度な情報処理を通じて、経済社会の有限な資源を有望なプロジェクトに継続的に振り向けていくことを可能とし、経済の発展を支えています。膨大な情報の高速処理を通じて、新たな付加価値創造を可能とするAIやビッグデータ分析は、このような金融の本質ともいえる情報処理機能を、一段と効率化・高度化する潜在力を持っていると考えられます。
データのさらなる活用
加えて、金融が、有効活用する余地の大きいデータの宝庫であることも、AIやビッグデータ分析の応用が期待されている、もう一つの背景と考えられます。
例えば、支払決済に伴い、「誰が、何を、いつ、どこで買ったか」といったデータまで集めて分析することができれば、ビジネスに大変有用な情報となり得ます。こうした中、近年の情報技術の進歩や、こうした技術を裏付けとするポイントカード等のビジネスの発達により、取引に付随するビッグデータの収集・分析も、より行いやすくなっています。
変化する環境への対応
さらに、AIなどの金融への応用が注目されている3つめの背景として、金融市場の状況や金融サービスを取り巻く環境が、様々な要因の複雑な相互作用を反映しながら、時々刻々と変化するものであることも挙げられます。
例えば金融市場は、同様の刺激に対して常に同じ反応をするわけではありません。昨日は殆ど反応しなかったような情報に対して、今日の市場は大きく反応する、といったことも頻繁に起こります。同様に、その時々の経済環境の変化に伴い、様々なプロジェクトの成長性やリスク、金融サービスへのユーザーのニーズなども、日々変化しています。AIは、経済や市場で日々観察される新たな大量の情報をもとに、採るべき対応の方向性を迅速に示すことなどを通じて、市場取引や金融ビジネスなどにおいて、環境変化への的確な対応を支援する技術としても、期待されているように思います。
3.新たな課題
市場価格の形成や市場構造などへの影響
一方で、AIなどの新しい技術の金融への応用を巡っては、関係者や政策当局にとっての新たな課題も指摘されています。
既に金融市場では、高速通信やプログラムを用いた「高頻度取引」や「アルゴリズム取引」が行われるようになっています。これらの取引については、市場の流動性を高めるとの評価がある一方で、「類似のアルゴリズムに基づく取引が大量に行われることで、市場のボラティリティを過度に高めるのではないか」、さらには「高頻度取引に対応できない市場参加者が取引から退出し、市場参加者の多様性が失われるのではないか」といった見方もあります。AIやビッグデータ分析の応用は、こうした傾向を一段と強めるのではないかと懸念する声も聞かれるところです。政策当局としては、このような様々な見方があることも踏まえながら、新しい情報技術の応用が市場価格の形成や市場構造などに及ぼす影響を、注意深くフォローしていく必要があります。
「情報セキュリティ」や「プライバシー」の確保
また、先程申し上げたように、AIやビッグデータ分析の金融への応用が期待されている背景の一つとして、金融取引に付随するデータの有効活用というニーズがあるように思います。このことは、金融サービスの提供に当たり、情報セキュリティやプライバシーの確保が一段と重要になることも意味しています。この面での関係者の真摯な取り組みは、新しい情報技術を活用した金融サービスに対する利用者の信頼を確保し、その発展を促していくという観点からも重要です。
「信頼」や「ガバナンス」の確保
このほか、「AIの活用に伴って、金融市場などの金融インフラにおいて、人間によるコントロールが難しい事象が起こることはないか」といった懸念も聞かれることがあります。このようなAIに対する人々の複雑な心情は、約半世紀前の映画「2001年宇宙の旅」にも通じるものがあるように思えます。現在、こうした懸念が、金融への応用に関して聞かれやすいのは、医療などと同様、金融においても「信頼」が大きな意味を持つからではないかと思います。
いかに精巧なロボットとわかっていても、「手術の際、人を一切介在させず、全てロボットに任せたいか」と言われれば、万が一の事態も考えて躊躇する人は少なくないでしょう。同様に、金融でAIを活用していくうえでは、イベント発生時も含めた責任分担やガバナンスに関し、人々の十分な信頼を得られる枠組みを構築していくことが重要になると考えられます。
4.AIと金融のフロンティア
以上申し述べたような留意点を踏まえつつも、AIやビッグデータ分析といった新しい技術は、金融のフロンティアを一段と拡大し、経済社会に大きな貢献を果たしていく潜在力を持っていると、私は考えています。
歴史を振り返りますと、金融は、鋳造技術や印刷技術、近年では電信やコンピュータなど、その時々の技術進歩を取り入れながら発展を遂げてきました。例えば、証券はもともと紙の技術から生まれましたが、その後の技術進歩を受けて、紙は電子媒体に取って代わられました。ただ、媒体が変わったからといって証券市場がなくなった訳ではありません。むしろ、証券の電子化により、証券市場は地理的制約から解き放たれて拡大しました。今や証券市場は、国境を越えて資金の調達側と運用側を繋ぐ、大規模なインフラとなっています。
金融は、様々な経済主体や、それらが産み出す財やサービス、未来に向けたプロジェクトなどを、空間や時間を超えて繋ぐ機能を果たすものです。このような機能は、経済のグローバル化や技術革新に伴い、一段と重要になってきます。AIやビッグデータ分析は、その技術の性格上、こうした金融の機能を一段と高め得るものと考えられます。例えば、AIやビッグデータ分析を通じて、世界中に散らばるプロジェクトと資金をより効率的に結びつけることができれば、有望なプロジェクトをより多く実現することができるようになり、世界経済の発展にも資することになるでしょう。また、新しい情報技術を活用することで、一人一人の属性によりフィットした金融サービスが提供されれば、経済厚生の増加にも繋がることになります。
この中で、中央銀行を含む政策当局にとって大事なのは、新しい情報技術そのものに過度に警戒的・消極的な対応をとるのではなく、これがもたらす新たな課題に適切な対応を採っていくことを通じて、新しい技術のメリットを最大化し、マイナス面を最小化するよう努めていくことです。そうした対応は十分に可能であるとも考えています。
さらに、人間とAIを対峙する関係として捉えるのではなく、両者がどのように補い合うことが望ましいのか、建設的に考えていくことも重要だと思います。例えば、人間の判断は、時に、既存の枠組みにとらわれすぎ、新たな変化を見逃すリスクを抱えています。この点、膨大なデータから先入観を持たずに新たな関係性を見出すAIは、人間の陥りがちな「思い込み」の歯止めになるかもしれません。一方で、AIの弱点を、人間の感性や常識、想像力などが補える領域も大きいように思います。
5.結びにかえて
今日の情報技術の先駆となる、多くのデータの自動計算やアルゴリズムといった発想を打ち出した人物として、私は、17世紀のフランスの哲学者であり数学者でもあったパスカルを思い起こします。パスカルは今から400年近くも前に、コンピュータの祖先ともいえる「機械式計算機」を作りました。また、パスカルは、世界初の公共交通機関である乗合馬車を考案した人物でもあります。これは、「多くの人々を少ない馬車で効率的に運ぶため、パリ市内を東西、南北、さらに環状に繋ぐルートを敷く」といったアルゴリズム的発想に根差しており、当時としては、現代のカーシェアリング以上に画期的なアイディアであったといえるでしょう。
このパスカルは、同時に、「人間は考える葦である」と、人間の主体的な思考の重要さについて語っています。この言葉は、我々が新しい技術に対処する上で、重要な示唆を持つように思います。
人間の役割が全体としてAIに淘汰される可能性が万が一にもあるとすれば、それは、人間が主体的に考えることを止めてしまう時ではないでしょうか。AIやビッグデータ分析といった新しい技術を、金融のさらなる発展や向上に結び付けていくにはどうすればよいのか、また、これに伴う新たな課題にいかに対処すべきか、我々自身が主体的に考えていくことが、何よりも重要だと思います。
このような観点からも、本日この場で、AIと金融という最先端の論点について、各分野を代表する方々による議論が行われることは、大変意義のあることだと思います。
本日の会合が皆様にとって有益な場になるとともに、AIなどの新しい情報技術による金融のフロンティアの開拓が、経済社会のさらなる発展に寄与するものとなるよう、心より祈念しております。
ご清聴ありがとうございました。