【挨拶】分散型台帳技術と「信頼」のデザイン第3回FinTechフォーラムにおける挨拶
日本銀行理事 桑原 茂裕
2017年2月28日
目次
はじめに
日本銀行の桑原でございます。本日は「第3回FinTechフォーラム」にお集まり頂き、誠にありがとうございます。
私からは、本日のフォーラムのテーマである「分散型台帳技術」について、これを金融分野に活用していくうえで日頃考えていることなどをお話させて頂きたいと思います。
1.フィンテックを支える技術と台帳管理システム
フィンテックはその言葉が示すとおり、様々なテクノロジー(技術)によって支えられています。この技術の内容は、暗号技術、ネットワーク通信技術、ソフトウェア技術、生体認証技術など、非常に多岐にわたります。これらを上手く活用し、金融サービスがグローバルに広がり、顧客にとっての利便性を向上させていく、これがフィンテックの本質です。
こうした技術のなかでも、応用範囲の広さとインパクトの大きさの両面から、分散型台帳技術(Distributed Ledger Technology)、すなわちDLTに大きな注目が集まっています。
そもそも取引を記録する記帳の歴史は古く、古代メソポタミアにまで遡ることができると言われています。紀元前18世紀頃の古代バビロニア王国においては、ハムラビ法典に基づき、取引は役人によって粘土板に記録され、重要なものについては炉で焼かれ、そうでないものについては天日干しにされたうえで保管されていたようです。台帳を改ざん不可能な形にして、その管理を役人が行うという中央集権的なシステムのもとで商取引が営まれていた訳です。以後数千年にわたって、人類はこのように台帳を集中管理するシステムによって、取引の安全性や安定性の確保を図ってきました。
こうした集中管理型のシステムに対して、近年、台帳をサイバー空間において複数の主体で分散管理するという革新的なアイデアが提起されました。DLTはこうしたアイデアを支える技術ですが、別の見方をすれば、暗号、通信、インターネットといった技術がここまで進化・発展した現代だからこそ、台帳を分散管理するという革新的なアイデアが登場してきたと言えるのではないかと考えられます。
2.集中型システムと分散型システムにおける「信頼」の確保
集中管理型のシステムであれ、分散管理型のシステムであれ、取引の安全性や安定性を担保するためには、取引が記録された台帳に対する人々の「信頼」の確保が重要な課題になります。ただし、その場合どういった点が信頼確保のカギになるかについては、集中型と分散型とで違いがあるように思います。
集中型システムの場合、特定の主体が中央集権的に台帳を管理するため、管理主体に対する信頼が大きなカギになります。信頼に足る主体が管理者になり、適切な管理を行うことによって、台帳に対する信頼が確保されます。先ほど申し上げた古代バビロニア王国においては、権威を持つ役人が管理者となり、粘土板を改ざんできないように固めたうえで保管することにより、信頼の確保を図りました。
これに対して、分散型システムの場合には、サイバー空間において複数の主体が非中央集権的にそれぞれ台帳を管理する仕組みをとるため、主体に対する信頼よりも、むしろ複数の台帳に対していかにして整合性をもって適正な取引を記録する仕組みを構築するかが信頼を確保するカギとなります。この点に関して、DLTは参加者間で合意を形成しつつ取引を記録していく仕組みを採用しています。ただ、具体的な合意形成のやり方は、必ずしも一様ではありません。例えばDLTを利用した仮想通貨のうち最も取引量が大きいビットコインでは、不特定多数の参加者が同期された情報を共有し、衆人環視のもとで確認作業を繰り返していくというパブリック型のやり方を採っている一方で、金融業界を中心に、限られた参加者のもとで合意形成を行うプライベート型のやり方を模索する動きもみられているところです。
いずれにしても、金融の分野では、他の分野に比べて「信頼」がより一層重視されることから、今後DLTを金融分野に本格的に活用していくためには、DLTを信頼される仕組みとしていかにデザインしていくかが大きなカギとなります。
3.DLTに対する「信頼」を確保するために
それでは、DLTを信頼される仕組みとしてデザインしていくうえで留意すべき点について、私見を述べたいと思います。
第一に、「有事対応における頑健性」を確保することの重要性についてです。
サイバー空間は、常にハッキングなどの脅威に晒されています。分散型システムは、台帳が複数存在するため、こうした脅威には比較的強いと言われていますが、対策を不断に施しておくことが非常に重要です。更にそれに加えて、万が一悪意を持った主体によって台帳が改ざんされたような場合に、その事後処理をいかに行うかも重要な課題となります。事後処理が適切でないと、DLTを活用した仕組みそのものの信頼性に影響を与える事態が生じかねないからです。具体的な事例を挙げますと、昨年、多くの資金を集めた仮想通貨建てファンドにおいて、バグをついた不正によって多額の資金が引き出された事件が起こりましたが、その際、この資金を取り戻すために、仮想通貨の運営者によって本来は書き換えられないはずの取引履歴の巻戻しが実行されました。その適否については今でも意見が分かれていますが、いずれにしても、こうした事案が頻発すると、技術や仕組みへの信頼が損なわれ、ひいてはフィンテックの発展が阻害されかねないことについて、よく認識しておく必要があります。
第二に、「分散型システムのメリット・デメリット」を確認・意識しながら、DLTの応用分野を考えていくことの重要性についてです。
DLTがこれまでにない革新的な技術であることは疑いのないところですが、現時点での技術水準を前提にすれば、今の集中型システムを全面的に置き換えるような絶対的な優位性を持つまでには至っていないと考えられます。例えば、分散型システムには、障害耐性が高いという強みがある一方で、特に参加者が多数の場合には合意形成に時間がかかるという課題があります。こうした中、二重払いの防止や情報の秘匿性の確保など、利用者が安心して使えるものとするためには、技術水準、その他の様々な要素を考慮に入れつつ、分散型システムのメリット・デメリット、更に言えば、分散型の中でもパブリック型・プライベート型のメリット・デメリットを確認・意識しながら、ニーズや用途に応じて、DLTの応用分野を考えていくことが重要であると考えています。
第三に、金融機関には「技術への深い理解」が必要であることを強調しておきたいと考えています。
現在、DLTの中核的な要素の多くは、ITベンダーやFinTech企業といった、金融機関の外部のリソースにおいて研究が進められているのが実情です。こうした中、金融機関は、DLTの活用に当たっては、金融サービスの提供者として、技術をよく理解したうえで、顧客利便性の向上をはじめ金融サービスの高度化に努めていく必要があります。技術への深い理解なしには、付加価値の高いサービスを持続的に提供していくことは困難であり、問題が発生した場合にも適切な対応を責任を持って講じることができないからです。このことはDLTに限った話ではありませんが、DLTに関しては技術が新しいがゆえに、特に強く意識しておく必要があると考えています。
4.中央銀行としての取組み
中央銀行としても、その時々の先端的な技術について深く理解するとともに、必要なものについては適切に取り入れながら、最適な社会インフラを提供していくという責務を果たしていく必要があります。特にDLTは様々な分野での活用の可能性が指摘されている応用範囲の広い技術です。こうした中、日本銀行は、昨年12月に欧州中央銀行(ECB)とDLTに関する共同調査を行うことを公表したところですが、将来的に自らの業務にフィンテック技術を活用する可能性も含め、引き続き精力的に調査研究を続けていく必要があると考えています。
本フォーラムには、金融機関のみならず、ITベンダーやスタートアップ企業の方々に多数ご参加頂いております。フィンテックを支える技術の「信頼」を確保していくためには、業界の垣根を越えた前向きな議論やコミュニケーションがきわめて重要と考えられます。本日のフォーラムが、皆様にとって有益なものとなりますことを祈念して、私からのご挨拶とさせて頂きます。
ご清聴ありがとうございました。