トキノキロク
トキノキロク | |
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欧字表記 | Tokino Kiroku[1] |
品種 | サラブレッド [1] |
性別 | 牝 [1] |
毛色 | 黒鹿毛 [1] |
生誕 | 1957年 5月8日 [1] |
死没 | 1974年 5月2日 [2] |
父 | ライジングフレーム [1] |
母 | マルタツ[1] |
母の父 | セントライト [1] |
生国 | 日本の旗 日本(北海道 浦河町)[1] |
生産者 | 村下義衛 |
馬主 | 桶谷辰造 |
調教師 | 松田由太郎(京都) |
競走成績 | |
生涯成績 | 49戦19勝[1] |
獲得賞金 | 1481万2600円 |
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トキノキロク(欧字名:Tokino Kiroku、1957年5月8日[1] - 1974年5月2日[2] )とは日本の競走馬、繁殖牝馬である。1960年の第20回桜花賞に優勝。翌1961年度には啓衆社賞最優秀5歳以上牝馬に選出されている。おもに大根田裕也、武田作十郎らが騎乗した。
経歴
[編集 ]母マルタツは桜花賞優勝馬ブランドソール(繁殖名ゴールドウヱツデイング)と三冠馬 セントライトの娘という良血馬で、110戦20勝という成績を挙げた頑健な競走馬だった。父は3度のリーディングサイアーを獲得したライジングフレーム。半兄には障害競走で重賞2勝を挙げたユーシュン(父ヴィーノーピュロー)、全姉には第1回阪神牝馬特別の優勝馬シュンメがいた。さらに牝系を遡ると、小岩井農場の名牝ヘレンサーフに繋がる血統である。
1959年 11月8日にデビュー。初戦の2着を経て2戦目に初勝利を挙げる。次に初めての重賞出走となった阪神3歳ステークスでコダマの4着となり、年末のオープン戦に優勝。4戦2勝でシーズンを終える。翌1960年、緒戦のオープン2戦を連勝し、単勝2番人気で桜花賞出走となった。杉村一馬を鞍上に迎えて臨んだレースでは、先頭を切ったキユーピツトを直線で交わし、追走した1番人気のチドリ、追い込んだスターロツチを抑え優勝した。
桜花賞の次に優駿牝馬(オークス)の前哨戦として渡辺正人を鞍上にNHK盃 [注 1] に出走するも、ケンマルチカラの10着に敗れた。そして優駿牝馬でも1番人気に推されながらスターロツチの9着に敗れる。
その後も4歳シーズンは休みを取らず6戦してオープン競走を1勝。翌1961年は16戦を消化、オープン特別のCBC賞など6勝を挙げて最優秀5歳以上牝馬に選出された。以降も八大競走を筆頭とするタイトルは取れなかったものの、6歳シーズンを最後に引退するまでに49戦19勝という成績を残した。
競走馬引退後は故郷の村下牧場で繁殖牝馬となる。自身の産駒に際立った競走成績を挙げる馬は出なかったが、産駒の一頭・エンタープライズ(父・ゲイタイム)が、1977年の優駿牝馬優勝馬リニアクインを産んでいる[注 2] 。
血統表
[編集 ]Flippancy Flamboyant
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]- ^ この年はNHK盃と優駿牝馬が中2週、東京優駿(日本ダービー)が中3週に組まれていたため、前哨戦に選んだ。なおNHK盃はこの年以降ほぼ毎年優駿牝馬まで中1週、東京優駿まで中2週に組まれるようになったため、NHK盃に出走した牝馬はトキノキロク以降は一頭もいない。
- ^ トキノキロクとは、同一馬主・同一調教師(松田由太郎)であった。
出典
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 『蹄跡』昭和52年度、日本中央競馬会、1978年、doi:10.11501/12441178
外部リンク
[編集 ](旧)最優秀5歳以上牝馬 |
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最優秀4歳以上牝馬 |
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