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'''函館山'''(はこだてやま)は、[[北海道]][[函館市]]の市街地西端にある[[山]]であり[[陸繋島]]でもある。陸繋島として表す場合でも「函館島」「函館山島」といった表現をすることは稀である。
'''函館山'''(はこだてやま)は、[[北海道]][[函館市]]の市街地西端にある[[山]]であり[[陸繋島]]でもある。陸繋島として表す場合でも「函館島」「函館山島」といった表現をすることは稀である。
(削除) [[標高]]334m、周囲約9km。 (削除ここまで)牛が寝そべるような外観から'''臥牛山'''(がぎゅうざん)とも呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakobura.jp/db/db-view/2010/09/post-152.html|title=函館山|website=函館市公式観光情報サイト「はこぶら」|publisher=函館市|accessdate=2019年7月16日}}</ref>。
牛が寝そべるような外観から'''臥牛山'''(がぎゅうざん)とも呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakobura.jp/db/db-view/2010/09/post-152.html|title=函館山|website=函館市公式観光情報サイト「はこぶら」|publisher=函館市|accessdate=2019年7月16日}}</ref>。

== (追記) 概要 (追記ここまで) ==
[[標高]]333.8m、周囲約9.5km。南西部には[[溶岩台地]]が広がり、裾は[[断崖]]となって海に迫る一方、北東部はやや緩斜面で、[[侵食|浸食]]の進んだ幾つかの深い谷に刻まれながらも豊かな[[森林]]に恵まれている<ref>函館市史 通説編第1巻 pp.66-69</ref>。

[[2001年]](平成13年)、「函館山と砲台跡」として[[北海道遺産]]に選定された。

最近は[[中国]]からの観光客が多い(追記) とされるが (追記ここまで){{要出典|date=2009年7月}}(追記) 、 (追記ここまで)函館市の資料「令和元年度(2019年)来函観光入込客数推計」によると(追記) 、函館山のみの登山客のデータは記載されていないが (追記ここまで)、函館市を訪れる(追記) [[訪日外国人旅行| (追記ここまで)訪日観光客(インバウンド観光客)(追記) ]] (追記ここまで)(追記) 記載があり、 (追記ここまで)日本人が中国と呼ぶ(追記) 大陸側の (追記ここまで)「[[中華人民共和国]]」ではなく、(追記) 諸島側の (追記ここまで)台湾と呼ぶ「[[中華民国|中華民国]]」が1位であり、訪日観光客全体の42.9%と半数弱を占めている。なお、中華人民共和国は26.3%で2位である<ref>"令和元年度(2019年)来函観光入込客数推計" 函館市 2020年(追記) p.4 (追記ここまで)</ref>。


== (削除) 地理 (削除ここまで) ==
=== 地質 ===
=== 地質 ===
約100万年前の海底火山の噴出物が土台になり、その後の噴火による隆起・沈下を繰り返して大きな島として出現。海流や風雨で削られて孤島になり、流出した土砂が堆積して[[砂州]]ができ、約5000年前に[[渡島半島]]と陸続きの[[陸繋島]]になった。 函館市の中心街はこの砂州の上にある。函館市街の地下に分布する軽石層が既知の第四紀火山噴出物と対比できないことから、函館山を給源とする可能性が指摘されている<ref>{{Cite journal|author=高橋良・伊藤久敏|year=2020|title=岩石学的特徴とU-Pb年代に基づく函館市街地下の軽石堆積物の給源の検討|journal=火山|volume=65|page=69}}</ref>。
約100万年前の海底火山の噴出物が土台になり、その後の噴火による隆起・沈下を繰り返して大きな島として出現。海流や風雨で削られて孤島になり、流出した土砂が堆積して[[砂州]]ができ、約5000年前に[[渡島半島]]と陸続きの[[陸繋島]]になった。 函館市の中心街はこの砂州の上にある。函館市街の地下に分布する軽石層が既知の第四紀火山噴出物と対比できないことから、函館山を給源とする可能性が指摘されている<ref>{{Cite journal|author=高橋良・伊藤久敏|year=2020|title=岩石学的特徴とU-Pb年代に基づく函館市街地下の軽石堆積物の給源の検討|journal=火山|volume=65|page=69}}</ref>。

* 寒川火山噴出物層 - 函館山における最も古い地質。中新世末期の海底火山噴出に伴う火山灰や火山岩礫が水中で堆積して出来たものと推定されている<ref>函館市史 通説編第1巻 pp.48-49</ref>。
* 立待岬溶岩 - (追記) [[ (追記ここまで)立待岬(追記) ]] (追記ここまで)付近に分布し、褐色がかった灰色の硬質(追記) [[ (追記ここまで)安山岩(追記) ]] (追記ここまで)<ref name="函館市史通説編1_55-56">函館市史 通説編第1巻 pp.55-56</ref>
* 千畳敷集塊岩層<ref name="函館市史通説編1_55-56"/> - 南部海岸で懸崖を成し、安山岩あるいは石英安山岩の角礫と、その間を埋める黄褐色の凝灰岩より成り立っている<ref name="函館市史通説編1_56">函館市史 通説編第1巻 p.56</ref>。
* 高龍寺山溶岩<ref name="函館市史通説編1_55-56"/> - 高龍寺山付近と寒川東方にわずかに分布する。青灰色を呈する硬質の石英安山岩<ref name="函館市史通説編1_56"/>
* 千畳敷溶岩<ref name="函館市史通説編1_55-56"/> - 南部の千畳敷と呼ばれる平坦台地を造る溶岩<ref name="函館市史通説編1_56"/>
* 御殿山溶岩<ref name="函館市史通説編1_55-56"/> - 最高峰御殿山を中心に分布している。御殿山溶岩と千畳敷溶岩は一つづきのものである可能性も考えられている<ref name="函館市史通説編1_56"/>


=== 構成する峰 ===
=== 構成する峰 ===
函館山とは、展望台のある御殿山 (334m)をはじめとして、薬師山 (252m)・つつじ山 (306m)・汐見山 (206m)・八幡山 (295m)・水元山 (280m)・鞍掛山 (113m)・地蔵山 (286m)・入江山 (291m)・エゾダテ山 (129m)・観音山 (265m)・牛の背山 (288m)・千畳敷 (250m)といった13の山々の総称である。
函館山とは、展望台のある御殿山 (334m)をはじめとして、薬師山 (252m)・つつじ山 (306m)・汐見山 (206m)・八幡山 (295m)・水元山 (280m)・鞍掛山 (113m)・地蔵山 (286m)・入江山 (291m)・エゾダテ山 (129m)・観音山 (265m)・牛の背山 (288m)・千畳敷 (250m)といった13の山々の総称である(追記) <ref>[https://hakomachi.com/diary07/2009/08/de_1.html "座学DE「函館山の歴史をめぐる」"] まちづくりセンター活動日記 函館地域まちづくりセンター 2009年08月27日14:57更新 2024年9月21日閲覧</ref> (追記ここまで)


* [[御殿山]] - 函館山の最高点。1860年([[万延]]元年)の[[江戸幕府]]測量図では[[薬師山]]となっている。[[三角点]]高度は333.8mであるがそれより若干高い。古絵図や古い写真によるともっと尖っていたが、[[津軽要塞]](函館要塞)時代に削られ、第二次大戦後に函館山テレビ・FM放送所の置局によりさらに変形され今に至る。地質は御殿山溶岩<ref name="函館市史 通説編1_13-18">函館市史 通説編第1巻 pp.13-18</ref>。
== (削除) 地質 (削除ここまで) ==
* (削除) 寒川火 (削除ここまで)(削除) 噴出物層 (削除ここまで) - (削除) 函館 (削除ここまで)(削除) における最も古い地質。中新世末期 (削除ここまで)(削除) 海底火山噴出 (削除ここまで)(削除) 伴う火山灰や火山岩礫 (削除ここまで)(削除) 水 (削除ここまで)中で(削除) 堆積して出来 (削除ここまで)(削除) もの (削除ここまで)(削除) 推定 (削除ここまで)され(削除) てい (削除ここまで)る<ref>函館市史 通説編第1巻 pp.(削除) 48 (削除ここまで)-(削除) 49 (削除ここまで)</ref>。
* (追記) 薬師 (追記ここまで)山 - (追記) 御殿 (追記ここまで)山の(追記) 峰つづきの東の方 (追記ここまで)(追記) あり、[[薬師堂]] (追記ここまで)(追記) あり箱館市 (追記ここまで)中で(追記) [[眼科学|眼病]]を患う者がここにこもっ (追記ここまで)たとされる<ref>函館市史 通説編第1巻 pp.(追記) 523 (追記ここまで)-(追記) 527 (追記ここまで)</ref>。
* つつじ山 - [[ボランティア]]が17年間かけて函館市の花の[[ヤマツツジ|エゾヤマツツジ]]を1万本を植えたことから<ref>[https://hakomachi.com/diary07/2009/05/post%20839.html "まちづくりセンター活動日記『ツツジが見頃』"] 函館市地域交流まちづくりセンター 2009年5月29日18:47更新 2024年9月21日閲覧</ref>。
* 立待岬溶岩 - 立待岬付近に分布し、褐色がかった灰色の硬質安山岩<ref name="函館市史通説編1_55-56">函館市史 通説編第1巻 pp.55-56</ref>
* 高龍寺山 - [[1960年]]([[万延]]元年)の江戸幕府測量図や[[1883年]](明治16年)の函館港実測図によると[[愛宕山]](あたごやま)。御殿山溶岩より幾分古い高龍寺溶岩で形成される。深い谷に刻まれ険しい<ref name="函館市史 通説編1_13-18"/>。
* 千畳敷集塊岩層<ref name="函館市史通説編1_55-56"/>
* 高龍寺山溶岩<ref name="函館市史通説編1_55-56"/>
* 千畳敷溶岩<ref name="函館市史通説編1_55-56"/>
* 御殿山溶岩<ref name="函館市史通説編1_55-56"/>


== (削除) 歴史 (削除ここまで) ==
(追記) = (追記ここまで)== (追記) 火口 (追記ここまで) (追記) = (追記ここまで)==
* 谷地頭 - 形が[[爆裂火口]]に似ており、ボーリング調査資料によると地下構造がすり鉢状になっている。比較的新しい時代に生じたとされている<ref name="函館市史 通説編1_13-18"/>。
[[ファイル:千畳敷要塞跡.JPG|thumb|千畳敷要塞跡|250x250ピクセル]]
[[要塞地帯法]]([[明治32年]][[法律]]第105号)により、函館山では[[1898年]]から要塞建設が始まり、[[1905年]]までに山全体に砲台や発電所、観測所など17の施設が建設された((削除) [[ (削除ここまで)津軽要塞(削除) ]] (削除ここまで))。この時に山の頂上を削ったため、標高が348mから334mと低くなった。また、函館山が要塞地帯になったことで、山全体が[[軍事機密]]となり、[[地形図]]から函館山が消えた。函館山の[[測量]]はもちろん、一般人の入山や函館山の写真を撮影すること、スケッチをとること、函館山に関する出版や話題も厳しく制限された。当時、函館山周辺での写真は函館山が判別できないよう[[検閲]]され出版されていたため、「要塞司令部許可済」といった文言が必ず添えられていた。


== (追記) 温泉 (追記ここまで) ==
[[1945年]]の[[第二次世界大戦]]終結で要塞としての存在意義を失った函館山一帯の[[国有地]]は、所管する[[大蔵省]](現在の[[財務省 (日本)|財務省]])から函館市へ無償で貸し付けられた。津軽要塞は[[アメリカ軍]]によって解体され、翌1946年10月に大蔵省から一時使用の許可を受けた函館市は12月に函館山管理事務所を設置、函館山は一般市民に再び開放された。1948年に函館市はこの一帯326.6[[ヘクタール|ha]]を[[都市計画法]]に基づく都市計画緑地「函館山緑地」とした。戦後は夜景の名所として全国的に有名になる。
* 函館市中央部温泉群 - [[北海道旅客鉄道|JR北海道]][[函館駅]]周辺の限られた範囲に分布している<ref>"函館市温泉資源保護指針のあらまし" 函館市
2024年9月22日閲覧</ref>
* [[谷地頭温泉]]


== 自然 ==
現在、御殿山第一砲台跡はロープウェイ施設や駐車場、展望台、送信所の下に現存しているものの、崩落の危険などがあり立ち入りが禁止されているが、残りの施設跡は一部見学できる。
中世以降、和人流入による人口増加により函館山の樹木が伐採された。七重村(現・[[七飯町]])の農家倉山卯之助が[[スギ|杉]]を苗から育て文化年間(1804年-1817年)に約1万本移植した。なお、移植されなかった杉は七飯町の三嶋神社境内に残されている<ref>"ピチャリ第3号" 七飯町歴史館 2008年 p.1</ref>。


約半世紀にわたって一般人の立ち入りが禁止されてきたために函館山の自然が守られ、今では絶滅寸前といわれているエゾヒキガエルなども函館山に生息している。なお、現在ではエゾヒキガエルという種は存在しないとされ、[[ニホンヒキガエル]]の亜種アズマヒキガエルの人為移入とされている。そのため法的な保護は受けておらず、逆にヒキガエルやネコなどの人為移入種による在来種の捕食が懸念されている。
(追記) [[津軽要塞]](函館要塞)の影響により (追記ここまで)約半世紀にわたって一般人の立ち入りが禁止されてきたために函館山の自然が守られ、今では絶滅寸前といわれているエゾヒキガエルなども函館山に生息している。なお、現在ではエゾヒキガエルという種は存在しないとされ、[[ニホンヒキガエル]]の亜種アズマヒキガエルの人為移入とされている。そのため法的な保護は受けておらず、逆にヒキガエルやネコなどの人為移入種による在来種の捕食が懸念されている。


この自然環境を保護するため、函館山の樹木や草花を採ることは市条例<ref>[http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/reiki/reiki_int/reiki_honbun/ar37605621.html 函館市都市公園条例]{{リンク切れ|date=2018年1月 |bot=InternetArchiveBot }} 昭和33年3月15日条例第5号、函館市</ref>によって禁止されている<ref>[http://www.hakodate-jts-kosya.jp/p_mt-hakodate.kankyouhogo.html 函館山の自然を守りましょう!] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071121065225/http://www.hakodate-jts-kosya.jp/p_mt-hakodate.kankyouhogo.html |date=2007年11月21日 }} 函館市住宅都市施設公社</ref>。
この自然環境を保護するため、函館山の樹木や草花を採ることは市条例<ref>[http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/reiki/reiki_int/reiki_honbun/ar37605621.html 函館市都市公園条例]{{リンク切れ|date=2018年1月 |bot=InternetArchiveBot }} 昭和33年3月15日条例第5号、函館市</ref>によって禁止されている<ref>[http://www.hakodate-jts-kosya.jp/p_mt-hakodate.kankyouhogo.html 函館山の自然を守りましょう!] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071121065225/http://www.hakodate-jts-kosya.jp/p_mt-hakodate.kankyouhogo.html |date=2007年11月21日 }} 函館市住宅都市施設公社</ref>。


== 歴史 ==
(削除) [[2001年]](平成13年)、「函館山と砲台跡」として[[北海道遺産]]に選定された。 (削除ここまで)最近は[[中国]]からの観光客が多い{{要出典|date=2009年7月}}(削除) 。 (削除ここまで)函館市の資料「令和元年度(2019年)来函観光入込客数推計」によると、函館市を訪れる訪日観光客(インバウンド観光客)は日本人が中国と呼ぶ「[[中華人民共和国]]」ではなく、台湾と呼ぶ「[[中華民国|中華民国]]」が1位であり、訪日観光客全体の42.9%と半数弱を占めている。なお、中華人民共和国は26.3%で2位である<ref>"令和元年度(2019年)来函観光入込客数推計" 函館市 2020年</ref>。
[[ファイル:千畳敷要塞跡.JPG|thumb|千畳敷要塞跡|250x250ピクセル]]
[[要塞地帯法]]([[明治32年]][[法律]]第105号)により、函館山では[[1898年]]から要塞建設が始まり、[[1905年]]までに山全体に砲台や発電所、観測所など17の施設が建設された(津軽要塞)。この時に山の頂上を削ったため、標高が348mから(追記) 約 (追記ここまで)334mと低くなった。また、函館山が要塞地帯になったことで、山全体が[[軍事機密]]となり、[[地形図]]から函館山が消えた。函館山の[[測量]]はもちろん、一般人の入山や函館山の写真を撮影すること、スケッチをとること、函館山に関する出版や話題も厳しく制限された。当時、函館山周辺での写真は函館山が判別できないよう[[検閲]]され出版されていたため、「要塞司令部許可済」といった文言が必ず添えられていた。

[[1945年]]の[[第二次世界大戦]]終結で要塞としての存在意義を失った函館山一帯の[[国有地]]は、所管する[[大蔵省]](現在の[[財務省 (日本)|財務省]])から函館市へ無償で貸し付けられた。津軽要塞は[[アメリカ軍]]によって解体され、翌1946年10月に大蔵省から一時使用の許可を受けた函館市は12月に函館山管理事務所を設置、函館山は一般市民に再び開放された。1948年に函館市はこの一帯326.6[[ヘクタール|ha]]を[[都市計画法]]に基づく都市計画緑地「函館山緑地」とした。戦後は夜景の名所として全国的に有名になる。

現在、御殿山第一砲台跡はロープウェイ施設や駐車場、展望台、送信所の下に現存しているものの、崩落の危険などがあり立ち入りが禁止されているが、残りの施設跡は一部見学できる。


== 利用 ==
== 利用 ==
=== 日中散策 ===
市によると下記の日中用徒歩散策ルートが整備されている<ref>"函館山散策コース案内図" 函館市 2019年</ref>。
* 旧登山道コース
* つつじ山コース
* 千畳敷コース
* 地蔵山コース
* 汐見山コース
* 入江山コース
* 観音コース
* 薬師山コース
* 七曲りコース
* 宮の森コース
* エゾタテ山コース

=== 観光 ===
=== 観光 ===
[[ファイル:Panoramic cityscape from Mt. Hakodate 20060815-001.jpg|thumb|400px|函館山から望む函館市街地]]
[[ファイル:Panoramic cityscape from Mt. Hakodate 20060815-001.jpg|thumb|400px|函館山から望む函館市街地]]
[[ファイル:Hakodate-panorama.jpg|thumb|400px|山頂から夜の函館を望む]]
[[ファイル:Hakodate-panorama.jpg|thumb|400px|山頂から夜の函館を望む]]
[[ファイル:Mt. Hakodate view from Omori Beach 20080114-001.jpg|thumb|400px|大森浜から見た函館山全景。左端が[[立待岬]]。右方のアンテナ群のある最高峰が御殿山である]]
[[ファイル:Mt. Hakodate view from Omori Beach 20080114-001.jpg|thumb|400px|大森浜から見た函館山全景。左端が[[立待岬]]。右方のアンテナ群のある最高峰が御殿山である]]
{{Main|函館夜景}}
御殿山の山頂に展望台が設置され、山麓からは[[函館山ロープウェイ]]や一般道([[北海道道675号立待岬函館停車場線]]。函館山観光道路とも。季節運行バス<ref>{{PDFLink|[http://www.hakobus.co.jp/files/h29/平成29年4月28日tozan.pdf 函館山登山バス] - 函館バス 2017年7月5日閲覧}}</ref>あり)や登山道を通じてアクセスすることができる。ただし、道道675号の函館山にかかる区間は、[[二輪車]]は終日、一般車(マイカー)は4月25日〜10月15日の17:00〜22:00の間、通行できない<ref>[http://www.334.co.jp/jpn/access/ 函館山ロープウェイアクセスマップ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150419011614/http://www.334.co.jp/jpn/access/ |date=2015年4月19日 }}</ref>。さらに、10月16日から約3週間<ref>但し、2015年は10月13日から11月12日までの1ヶ月間。</ref>程の期間は、函館山ロープウェイ法定整備点検にともなう営業運転中止による交通渋滞緩和のためと日没時間を考慮して規制時間帯を1時間前倒しで実施し、16:00〜21:00の間、通行できない<ref>[http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014022000137/ 夜間の観光バス登山方法(2014年度)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150923204045/http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014022000137/ |date=2015年9月23日 }} - 函館市ホームページ</ref><ref>[http://www.334.co.jp/jpn/news/2015/10/960.php 整備点検によるロープウェイ運休のご案内] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151117020149/http://www.334.co.jp/jpn/news/2015/10/960.php |date=2015年11月17日 }} - 函館山ロープウェイホームページ</ref>。また、冬期は全面通行止<ref group="注釈">但し、2016年12月11日夕方に[[函館山ロープウェイ]]で発生した作業死亡事故の影響で、山頂に取り残された観光客を下山させる為、緊急措置として[[タクシー]]のみ通行できる措置を採った。[https://mainichi.jp/articles/20161212/k00/00m/040/083000c ロープウエー事故 男性従業員は死亡] - 毎日新聞デジタル・2016年12月11日23時31分配信(12月12日20時34最終更新)</ref>となる。
御殿山の山頂に展望台が設置され、山麓からは[[函館山ロープウェイ]]や一般道([[北海道道675号立待岬函館停車場線]]。函館山観光道路とも。季節運行バス<ref>{{PDFLink|[http://www.hakobus.co.jp/files/h29/平成29年4月28日tozan.pdf 函館山登山バス] - 函館バス 2017年7月5日閲覧}}</ref>あり)や登山道を通じてアクセスすることができる。ただし、道道675号の函館山にかかる区間は、[[二輪車]]は終日、一般車(マイカー)は4月25日〜10月15日の17:00〜22:00の間、通行できない<ref>[http://www.334.co.jp/jpn/access/ 函館山ロープウェイアクセスマップ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150419011614/http://www.334.co.jp/jpn/access/ |date=2015年4月19日 }}</ref>。さらに、10月16日から約3週間<ref>但し、2015年は10月13日から11月12日までの1ヶ月間。</ref>程の期間は、函館山ロープウェイ法定整備点検にともなう営業運転中止による交通渋滞緩和のためと日没時間を考慮して規制時間帯を1時間前倒しで実施し、16:00〜21:00の間、通行できない<ref>[http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014022000137/ 夜間の観光バス登山方法(2014年度)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150923204045/http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014022000137/ |date=2015年9月23日 }} - 函館市ホームページ</ref><ref>[http://www.334.co.jp/jpn/news/2015/10/960.php 整備点検によるロープウェイ運休のご案内] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151117020149/http://www.334.co.jp/jpn/news/2015/10/960.php |date=2015年11月17日 }} - 函館山ロープウェイホームページ</ref>。また、冬期は全面通行止<ref group="注釈">但し、2016年12月11日夕方に[[函館山ロープウェイ]]で発生した作業死亡事故の影響で、山頂に取り残された観光客を下山させる為、緊急措置として[[タクシー]]のみ通行できる措置を採った。[https://mainichi.jp/articles/20161212/k00/00m/040/083000c ロープウエー事故 男性従業員は死亡] - 毎日新聞デジタル・2016年12月11日23時31分配信(12月12日20時34最終更新)</ref>となる。

徒歩で御殿山へ登るルートは複数あるが、東側の[[函館市電]][[宝来町停留場]]から、函館山ロープウェイ山麓駅と函館護国神社との間にある入り口を経て旧山道を登るのが一般的で、約2.8kmの道のりを1時間程度で登ることができる。他に北側の[[函館どつく前停留場]]から[[東本願寺]]船見支院横を経て登る短く急なルートもある。いずれも途中に照明はないので、[[夜景]]を目的に登る場合は灯りを持参するか、[[日没]]ごろには着くようにする必要がある。


* 昼間晴れた日には眼下の函館市街はもとより、[[津軽海峡]]を挟んで遠く[[下北半島]]をも望むことが可能である。
* 昼間晴れた日には眼下の函館市街はもとより、[[津軽海峡]]を挟んで遠く[[下北半島]]をも望むことが可能である。
* 都市の両側に海([[函館湾]]と津軽海峡)があり、ほぼ中央に夜景が映し出されるバランスのとれた地形であり、一望できる位置に程よい高さの眺望地点が存在する。低層建築物が多いことから街路照明が夜景の大きな構成要素となっている。眺望地点は表夜景と裏夜景の二か所あるが、当地は表夜景にあたる<ref>函館市夜景診断調査報告書 pp.66-70</ref>。
* 夜間には陸繋島のくびれた形の市街に輝く街灯りと漆黒の海の部分のコントラスト、さらにイカ釣り漁船が漁の際に灯すランプ(集魚灯)が織り成す、美しい[[夜景]]が有名である。夜景の中に「スキ」や「ハート」という文字を見つけると幸せになれたり両思いになれると言われている。[[神戸市|神戸]]の[[摩耶山]][[掬星台]]および[[長崎市|長崎]]の[[稲佐山]]とともに「[[日本三大夜景]]」である
* (削除) 春 (削除ここまで)から(削除) 夏 (削除ここまで)にかけて(削除) は (削除ここまで)[[霧]]がかかりやすく、きれいな夜景が見られない日がある。
* (追記) 5月 (追記ここまで)から(追記) 7月 (追記ここまで)にかけて[[霧]]がかかりやすく、きれいな夜景が見られない日がある(追記) <ref>函館市夜景診断調査報告書 p.15</ref> (追記ここまで)

=== 映画 ===
*『[[風が通り抜ける道]]』([[田中壱征]]監督作品)[[沖縄県]]後援、[[カンヌ国際映画祭]]2023年 披露上映作品、[[沖縄国際映画祭]]2023年 正式出品作品、一般劇場公開2024年([[イオンエンターテイメント]])


=== 放送 ===
=== 放送 ===
71行目: 106行目:
[[日本放送協会|NHK]]・[[民間放送|民放]]各局のテレビ、FMラジオの送信所が山頂展望台に近接して建っているが、アナログUHF局([[北海道テレビ放送]]、[[北海道文化放送]]、[[テレビ北海道]])および地上デジタル放送全局では青森県側に電波が飛ばないようにするため、送信アンテナに指向性がかけられている。
[[日本放送協会|NHK]]・[[民間放送|民放]]各局のテレビ、FMラジオの送信所が山頂展望台に近接して建っているが、アナログUHF局([[北海道テレビ放送]]、[[北海道文化放送]]、[[テレビ北海道]])および地上デジタル放送全局では青森県側に電波が飛ばないようにするため、送信アンテナに指向性がかけられている。


=== (削除) 教育機関 (削除ここまで) ===
=== (追記) 通信 (追記ここまで) ===
* 国土交通省函館山無線中継所 - [[国土交通省]][[北海道開発局]]函館建設部が管理する無線中継施設があり、[[1972年]](昭和47年)7月開設。函館市方面と[[木古内町]]方面の無線通信に使われている<ref>[https://x.com/mlit_hkd_hk/status/1739813350522142725 "函館山無線中継局の紹介"] 国土交通省北海道開発局函館開発建設部 2023年12月27日10:00投稿 2024年9月22日閲覧</ref>。
* 函館市立弥生小学校
* 一般社団法人移動無線センター函館第二制御局 - [[移動無線センター|一般社団法人移動無線センター]](旧・社団法人移動無線センター)が所有し、函館市総務部が利用する函館市地域防災無線の制御局。本庁管内、[[湯川町|湯川支所]]、[[亀田市|亀田支所]]、[[銭亀沢村|銭亀沢支所]]、[[戸井町|戸井支所]]の一部がサービスエリアである<ref>函館市地域防災無線 函館市 2010年</ref>。
* 函館市立青柳小学校

* 函館市立青柳中学校
=== レーダー施設 ===
* [[北海道函館西高等学校]]
旧・函館海洋気象台函館山気象レーダー観測所 - 現・[[函館地方気象台]]の気象レーダー。[[1962年]](昭和37年)7月開設、[[1992年]](平成4年)10月[[横津岳]]山頂付近に移転<ref>[https://www.data.jma.go.jp/hakodate-c/knowledge/radarkansoku.html "気象レーダー観測"] 函館地方気象台 2024年9月22日閲覧</ref>。

== 記念碑 ==
* 伊能忠敬北海道最初の測量地 - [[伊能忠敬]]は以前北海道の測量を函館山から行ったとされた。それを記念して1957年(昭和32年)4月、函館市が山頂展望台に記念碑を設置した。ただし、新たな資料により実際の起点は[[松前郡]][[福島町]]吉岡であった。[[2018年]](平成30年)[[4月27日]]に[[伊能忠敬北海道測量開始記念公園]]の竣工式とともに除幕式を行った<ref>[http://donan-museums.jp/archives/397 "南北海道の文化財『伊能忠敬北海道最初の測量地』"] 道南ブロック博物館施設等連絡協議会 2015年10月24日更新 2024年9月24日閲覧</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 出典 ===
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
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{{参照方法|date=2013年4月}}


* 自治体誌・資料
* [http://www.hakodate.or.jp/nature/h-yama/ 函館山の自然] 函館インフォメーションネットワーク
** 函館市総務部函館市史編さん室編 『函館市史』 函館市
* 山田大隆 [https://web.archive.org/web/20090226044852/http://hokkaido-jin.jp/heritage/12.html 北海道人: 北海道遺産: 函館山と砲台跡] 北海道
*** 通説編第1巻 1980年
* 渡辺道子 [https://web.archive.org/web/20140408213847/http://www.lib-hkd.jp/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_04/shishi_07-01/shishi_07-01-17.htm 函館山と観光 "新日本百景"で全国第1位]、[https://archive.is/20140408025738/http://www.lib-hkd.jp/hensan/hakodateshishi/shishi_index.htm 『函館市史』デジタル版] 通説編第4巻第7編、函館市
*** 通説編第4巻 2002年
* [https://archive.ph/nVXw 函館山略年表]{{リンク切れ|date=2014年4月}}、[https://archive.ph/XI3Q 特別企画展「函館山−過去,現在,そして未来へ−」]{{リンク切れ|date=2014年4月}}、市立函館博物館
** 石井幹子デザイン事務所 『函館市夜景診断調査報告書』 函館市 2004年
(追記) * (追記ここまで)* [https://archive.ph/nVXw 函館山略年表]{{リンク切れ|date=2014年4月}}、[https://archive.ph/XI3Q 特別企画展「函館山−過去,現在,そして未来へ−」]{{リンク切れ|date=2014年4月}}、市立函館博物館
* その他
(追記) * (追記ここまで)* [http://www.hakodate.or.jp/nature/h-yama/ 函館山の自然] 函館インフォメーションネットワーク
(追記) * (追記ここまで)* 山田大隆 [https://web.archive.org/web/20090226044852/http://hokkaido-jin.jp/heritage/12.html 北海道人: 北海道遺産: 函館山と砲台跡] 北海道


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2024年9月24日 (火) 05:48時点における最新版

曖昧さ回避 滋賀県の「箱館山」とは異なります。
函館山
青函連絡船記念館摩周丸から見た函館山(2024年5月撮影)
標高 334 m
所在地 日本の旗 日本 北海道 函館市
位置 北緯41度45分33秒 東経140度42分16秒 / 北緯41.75917度 東経140.70444度 / 41.75917; 140.70444 (函館山) 座標: 北緯41度45分33秒 東経140度42分16秒 / 北緯41.75917度 東経140.70444度 / 41.75917; 140.70444 (函館山)
種類 成層火山[1]
函館山 (北海道南部)
北海道南部の地図を表示
函館山 (北海道)
北海道の地図を表示
函館山 (日本)
日本の地図を表示
プロジェクト 山
テンプレートを表示

函館山(はこだてやま)は、北海道 函館市の市街地西端にあるであり陸繋島でもある。陸繋島として表す場合でも「函館島」「函館山島」といった表現をすることは稀である。 牛が寝そべるような外観から臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれる[2]

概要

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標高333.8m、周囲約9.5km。南西部には溶岩台地が広がり、裾は断崖となって海に迫る一方、北東部はやや緩斜面で、浸食の進んだ幾つかの深い谷に刻まれながらも豊かな森林に恵まれている[3]

2001年(平成13年)、「函館山と砲台跡」として北海道遺産に選定された。

最近は中国からの観光客が多いとされるが[要出典 ]、函館市の資料「令和元年度(2019年)来函観光入込客数推計」によると、函館山のみの登山客のデータは記載されていないが、函館市を訪れる訪日観光客(インバウンド観光客)は記載があり、日本人が中国と呼ぶ大陸側の「中華人民共和国」ではなく、諸島側の台湾と呼ぶ「中華民国」が1位であり、訪日観光客全体の42.9%と半数弱を占めている。なお、中華人民共和国は26.3%で2位である[4]

地質

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約100万年前の海底火山の噴出物が土台になり、その後の噴火による隆起・沈下を繰り返して大きな島として出現。海流や風雨で削られて孤島になり、流出した土砂が堆積して砂州ができ、約5000年前に渡島半島と陸続きの陸繋島になった。 函館市の中心街はこの砂州の上にある。函館市街の地下に分布する軽石層が既知の第四紀火山噴出物と対比できないことから、函館山を給源とする可能性が指摘されている[5]

  • 寒川火山噴出物層 - 函館山における最も古い地質。中新世末期の海底火山噴出に伴う火山灰や火山岩礫が水中で堆積して出来たものと推定されている[6]
  • 立待岬溶岩 - 立待岬付近に分布し、褐色がかった灰色の硬質安山岩 [7]
  • 千畳敷集塊岩層[7] - 南部海岸で懸崖を成し、安山岩あるいは石英安山岩の角礫と、その間を埋める黄褐色の凝灰岩より成り立っている[8]
  • 高龍寺山溶岩[7] - 高龍寺山付近と寒川東方にわずかに分布する。青灰色を呈する硬質の石英安山岩[8]
  • 千畳敷溶岩[7] - 南部の千畳敷と呼ばれる平坦台地を造る溶岩[8]
  • 御殿山溶岩[7] - 最高峰御殿山を中心に分布している。御殿山溶岩と千畳敷溶岩は一つづきのものである可能性も考えられている[8]

構成する峰

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函館山とは、展望台のある御殿山 (334m)をはじめとして、薬師山 (252m)・つつじ山 (306m)・汐見山 (206m)・八幡山 (295m)・水元山 (280m)・鞍掛山 (113m)・地蔵山 (286m)・入江山 (291m)・エゾダテ山 (129m)・観音山 (265m)・牛の背山 (288m)・千畳敷 (250m)といった13の山々の総称である[9]

  • 御殿山 - 函館山の最高点。1860年(万延元年)の江戸幕府測量図では薬師山となっている。三角点高度は333.8mであるがそれより若干高い。古絵図や古い写真によるともっと尖っていたが、津軽要塞(函館要塞)時代に削られ、第二次大戦後に函館山テレビ・FM放送所の置局によりさらに変形され今に至る。地質は御殿山溶岩[10]
  • 薬師山 - 御殿山の峰つづきの東の方にあり、薬師堂があり箱館市中で眼病を患う者がここにこもったとされる[11]
  • つつじ山 - ボランティアが17年間かけて函館市の花のエゾヤマツツジを1万本を植えたことから[12]
  • 高龍寺山 - 1960年(万延元年)の江戸幕府測量図や1883年(明治16年)の函館港実測図によると愛宕山(あたごやま)。御殿山溶岩より幾分古い高龍寺溶岩で形成される。深い谷に刻まれ険しい[10]

火口

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  • 谷地頭 - 形が爆裂火口に似ており、ボーリング調査資料によると地下構造がすり鉢状になっている。比較的新しい時代に生じたとされている[10]

温泉

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自然

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中世以降、和人流入による人口増加により函館山の樹木が伐採された。七重村(現・七飯町)の農家倉山卯之助がを苗から育て文化年間(1804年-1817年)に約1万本移植した。なお、移植されなかった杉は七飯町の三嶋神社境内に残されている[14]

津軽要塞(函館要塞)の影響により約半世紀にわたって一般人の立ち入りが禁止されてきたために函館山の自然が守られ、今では絶滅寸前といわれているエゾヒキガエルなども函館山に生息している。なお、現在ではエゾヒキガエルという種は存在しないとされ、ニホンヒキガエルの亜種アズマヒキガエルの人為移入とされている。そのため法的な保護は受けておらず、逆にヒキガエルやネコなどの人為移入種による在来種の捕食が懸念されている。

この自然環境を保護するため、函館山の樹木や草花を採ることは市条例[15] によって禁止されている[16]

歴史

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千畳敷要塞跡

要塞地帯法(明治32年 法律第105号)により、函館山では1898年から要塞建設が始まり、1905年までに山全体に砲台や発電所、観測所など17の施設が建設された(津軽要塞)。この時に山の頂上を削ったため、標高が348mから約334mと低くなった。また、函館山が要塞地帯になったことで、山全体が軍事機密となり、地形図から函館山が消えた。函館山の測量はもちろん、一般人の入山や函館山の写真を撮影すること、スケッチをとること、函館山に関する出版や話題も厳しく制限された。当時、函館山周辺での写真は函館山が判別できないよう検閲され出版されていたため、「要塞司令部許可済」といった文言が必ず添えられていた。

1945年第二次世界大戦終結で要塞としての存在意義を失った函館山一帯の国有地は、所管する大蔵省(現在の財務省)から函館市へ無償で貸し付けられた。津軽要塞はアメリカ軍によって解体され、翌1946年10月に大蔵省から一時使用の許可を受けた函館市は12月に函館山管理事務所を設置、函館山は一般市民に再び開放された。1948年に函館市はこの一帯326.6ha都市計画法に基づく都市計画緑地「函館山緑地」とした。戦後は夜景の名所として全国的に有名になる。

現在、御殿山第一砲台跡はロープウェイ施設や駐車場、展望台、送信所の下に現存しているものの、崩落の危険などがあり立ち入りが禁止されているが、残りの施設跡は一部見学できる。

利用

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日中散策

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市によると下記の日中用徒歩散策ルートが整備されている[17]

  • 旧登山道コース
  • つつじ山コース
  • 千畳敷コース
  • 地蔵山コース
  • 汐見山コース
  • 入江山コース
  • 観音コース
  • 薬師山コース
  • 七曲りコース
  • 宮の森コース
  • エゾタテ山コース

観光

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函館山から望む函館市街地
山頂から夜の函館を望む
大森浜から見た函館山全景。左端が立待岬。右方のアンテナ群のある最高峰が御殿山である
詳細は「函館夜景」を参照

御殿山の山頂に展望台が設置され、山麓からは函館山ロープウェイや一般道(北海道道675号立待岬函館停車場線。函館山観光道路とも。季節運行バス[18] あり)や登山道を通じてアクセスすることができる。ただし、道道675号の函館山にかかる区間は、二輪車は終日、一般車(マイカー)は4月25日〜10月15日の17:00〜22:00の間、通行できない[19] 。さらに、10月16日から約3週間[20] 程の期間は、函館山ロープウェイ法定整備点検にともなう営業運転中止による交通渋滞緩和のためと日没時間を考慮して規制時間帯を1時間前倒しで実施し、16:00〜21:00の間、通行できない[21] [22] 。また、冬期は全面通行止[注釈 1] となる。

  • 昼間晴れた日には眼下の函館市街はもとより、津軽海峡を挟んで遠く下北半島をも望むことが可能である。
  • 都市の両側に海(函館湾と津軽海峡)があり、ほぼ中央に夜景が映し出されるバランスのとれた地形であり、一望できる位置に程よい高さの眺望地点が存在する。低層建築物が多いことから街路照明が夜景の大きな構成要素となっている。眺望地点は表夜景と裏夜景の二か所あるが、当地は表夜景にあたる[23]
  • 5月から7月にかけてがかかりやすく、きれいな夜景が見られない日がある[24]

映画

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放送

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詳細は「函館山テレビ・FM放送所」を参照

NHK民放各局のテレビ、FMラジオの送信所が山頂展望台に近接して建っているが、アナログUHF局(北海道テレビ放送北海道文化放送テレビ北海道)および地上デジタル放送全局では青森県側に電波が飛ばないようにするため、送信アンテナに指向性がかけられている。

通信

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レーダー施設

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旧・函館海洋気象台函館山気象レーダー観測所 - 現・函館地方気象台の気象レーダー。1962年(昭和37年)7月開設、1992年(平成4年)10月横津岳山頂付近に移転[27]

記念碑

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脚注

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注釈

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  1. ^ 但し、2016年12月11日夕方に函館山ロープウェイで発生した作業死亡事故の影響で、山頂に取り残された観光客を下山させる為、緊急措置としてタクシーのみ通行できる措置を採った。ロープウエー事故 男性従業員は死亡 - 毎日新聞デジタル・2016年12月11日23時31分配信(12月12日20時34最終更新)

出典

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  1. ^ 日本の火山の位置(函館山火山)
  2. ^ "函館山". 函館市公式観光情報サイト「はこぶら」. 函館市. 2019年7月16日閲覧。
  3. ^ 函館市史 通説編第1巻 pp.66-69
  4. ^ "令和元年度(2019年)来函観光入込客数推計" 函館市 2020年 p.4
  5. ^ 高橋良・伊藤久敏 (2020). "岩石学的特徴とU-Pb年代に基づく函館市街地下の軽石堆積物の給源の検討". 火山 65: 69. 
  6. ^ 函館市史 通説編第1巻 pp.48-49
  7. ^ a b c d e 函館市史 通説編第1巻 pp.55-56
  8. ^ a b c d 函館市史 通説編第1巻 p.56
  9. ^ "座学DE「函館山の歴史をめぐる」" まちづくりセンター活動日記 函館地域まちづくりセンター 2009年08月27日14:57更新 2024年9月21日閲覧
  10. ^ a b c 函館市史 通説編第1巻 pp.13-18
  11. ^ 函館市史 通説編第1巻 pp.523-527
  12. ^ "まちづくりセンター活動日記『ツツジが見頃』" 函館市地域交流まちづくりセンター 2009年5月29日18:47更新 2024年9月21日閲覧
  13. ^ "函館市温泉資源保護指針のあらまし" 函館市 2024年9月22日閲覧
  14. ^ "ピチャリ第3号" 七飯町歴史館 2008年 p.1
  15. ^ 函館市都市公園条例 [リンク切れ ] 昭和33年3月15日条例第5号、函館市
  16. ^ 函館山の自然を守りましょう! Archived 2007年11月21日, at the Wayback Machine. 函館市住宅都市施設公社
  17. ^ "函館山散策コース案内図" 函館市 2019年
  18. ^ 函館山登山バス - 函館バス 2017年7月5日閲覧 (PDF)
  19. ^ 函館山ロープウェイアクセスマップ Archived 2015年4月19日, at the Wayback Machine.
  20. ^ 但し、2015年は10月13日から11月12日までの1ヶ月間。
  21. ^ 夜間の観光バス登山方法(2014年度) Archived 2015年9月23日, at the Wayback Machine. - 函館市ホームページ
  22. ^ 整備点検によるロープウェイ運休のご案内 Archived 2015年11月17日, at the Wayback Machine. - 函館山ロープウェイホームページ
  23. ^ 函館市夜景診断調査報告書 pp.66-70
  24. ^ 函館市夜景診断調査報告書 p.15
  25. ^ "函館山無線中継局の紹介" 国土交通省北海道開発局函館開発建設部 2023年12月27日10:00投稿 2024年9月22日閲覧
  26. ^ 函館市地域防災無線 函館市 2010年
  27. ^ "気象レーダー観測" 函館地方気象台 2024年9月22日閲覧
  28. ^ "南北海道の文化財『伊能忠敬北海道最初の測量地』" 道南ブロック博物館施設等連絡協議会 2015年10月24日更新 2024年9月24日閲覧

参考文献

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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2013年4月)

関連項目

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ウィキメディア・コモンズには、函館山 函館山からの眺望 夜景 に関連するカテゴリがあります。

外部リンク

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道北の山
大雪山
道東の山
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夕張山地
樺戸山地
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道央の山
道南の山
旧版・北海道百名山
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