岡部 宏生
おかべ・ひろき1958年02月03日〜2025年07月17日
last update: 20250909
・(NPO)境を越えて
・日本ALS協会東京都支部
・JPA(日本難病・疾病団体協議会)理事
■しかく書籍
岡部宏生 20230405 「境を越えてPart1 このまま死ねるか!? 」, ぶどう社■しかく寄稿
岡部宏生 20230210 「コロナ禍における重度身体障がい者の暮らし方について」,『障害学研究』第18号,p.254-259.岡部宏生 202103 「ALSの情動制止 (抑制) 困難 - その先に続く未来のために, 深い理解の必要性について」,『日本難病看護学会誌』25(3),p.219-221.
岡部宏生 202011 「京都ALS患者嘱託殺人を受けて2:悲しくて衝撃的な事件」,『月刊自治研』62(734),p.12-16.
岡部宏生 20200605 「生きることの困難さ、生きることの難しさから逃げない」,『支援』Vol.10,p.195-203.
岡部宏生 201912 「ALS患者として生死の意思決定をみつめて」,『福祉労働』165号,p.50-57.
岡部宏生 201904 「障害者の外出の阻害要因について」,『福祉介護テクノプラス』12(4)=136.
岡部宏生 201512 「機械を駆使して生きていく当事者からのPRO (Patient Reported Outcome) - 発信し続けるために - 未来的技術の中での患者の生活 (PRO)」,『日本難病看護学会誌』20(2),p.104-106.
■しかくその他の出版物
・「ライフヒストリー [Vol.02] ALS(筋萎縮性側索硬化症) 岡部宏生さんの場合」DVD / 39分 / 2015年https://shop.igakueizou.co.jp/products/nwd-02?srsltid=AfmBOorZpoA2wcexuXc4aGhe35aR87svgbr5vCnFRbJAj6F-9sj4flf3
【紹介文(抜粋)】この番組は、ALSという病により全身不随となった岡部宏生さんご本人に、ALS を発症してからの病の経過、人工呼吸器をつけた経緯、24時間365日の介護体制の構築、介護をされる時の気持ちなどをインタビュー形式で語っていただいたライフヒストリーです。
■しかく経歴
1958年東京生まれ。少年時代からスポーツが大好きで、大学時代は馬術部に所属。1980年中央大学卒業、同年建設会社に入社。
2001年自分で建設関係のコンサルタント事務所を設立(42歳)。
2006年ALSを発症(48歳)。
■しかく病歴
2006年 ALSを発症。2007年 在宅療養を開始。
2009年 胃瘻造設。気管切開。人口呼吸器を装着。
2010年 訪問介護事業所の設立のための法人を設立。
2011年 日本ALS協会副会長就任。
2012年 さくら会副理事長。
2016年 日本ALS協会会長。→辞任
2018年 「NPO法人境を越えて」を設立、理事長就任
https://note.com/npo_sakaiwokoete
■しかく在宅生活
境を超えて - Beyond the awareness gaps[フレーム]
■しかく活動実績
- 2023年04月24日 『境を越えてPart1 このまま死ねるか!?』(岡部宏生 著)出版記念オンラインイベント 開催
- 2020年04月06日 『新型コロナに関する介護/医療/保育現場へのメッセージ』
- 2016年12月04日 Beyond Awareness Gaps., at 27th Annual International ALS/MND Symposium in Dublin
- 2016/12/** Statement for patient' s alliance / 患者からの声明文, at 27th Annual International ALS/MND Symposium in Dublin
- 2016年05月23日 参議院厚生労働委員会「参考人質疑」
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- 2016年05月15日 不自由な体だからこそ伝えられることがある 国会に出席拒否されたALS患者・岡部さん
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- 2010年12月17日 「ALSを取り巻く壁と今伝えたいこと」,東京大学教養課程自主ゼミナール,於:東京大学・駒場
- 2010年10月10日 「特別ではないこと――人工呼吸器の生活」,「進化する介護 in 千葉」,重度訪問介護従業者養成研修会,主催:(NPO)リターンホーム 於:千葉市
- 2010年08月26日 「こうして暮らしています+よろしくお願いします」,障がい者政策推進議員連盟・難病対策推進議員連盟合同勉強会,於:東京・参議院議員会館 cf.医療的ケア・2010
■しかく訃報
〇2025年07月17日 「【訃報】理事長・岡部宏生の逝去につきまして」,『NPO法人境を越えて』https://note.com/npo_sakaiwokoete/n/n2ae116596a1b
(抜粋)悲しいお知らせです。
境を越えて理事長・岡部宏生が2025年7月17日に逝去いたしました。
昨年の8月に体調を崩してから入退院を繰り返しておりましたが、いつも、どんなときも私たちに「生きること」を教え続けてくれておりました。
今週に入ってから血圧が安定しない日が続いておりましたが最後までがんばってくれていました。
介助者の主要メンバーは皆、心臓が弱く動いている間に間に合い立ち会うことができました。
〇2025年07月19日 「【訃報】岡部宏生相談役」,『一般社団法人日本ALS協会』
https://alsjapan.org/7536/
(抜粋)岡部さんは、日本ALS協会において2011年に副会長に就任され、2016年から2018年には会長として協会を牽引されました。また、2017年から2023年にかけては一般社団法人日本難病・疾病団体協議会(JPA)の理事として、その後は「介護保障を考える弁護士と障害者の会 全国ネット」の共同代表、ご自身で立ち上げられた「NPO法人境を越えて」の理事長として、多方面でご活躍されました。ALS患者としての立場から、難病患者や障害当事者の声を社会に届けることに力を尽くされ、難病・障害者に対する理解の促進と支援の輪の拡大に大きく寄与されました。
〇2025年07月20日 「元日本ALS協会会長 岡部宏生様のご逝去」,『日本ALS協会神奈川県支部』
https://als-kanagawa.org/20250717
(抜粋)岡部さんは難病患者や障害当事者の声を社会に届けることに力を尽くされましたが、ALSの非運動症状についても、深い洞察と実体験に基づいた言及を多数残されています。その言葉は、医学的な知識だけでなく、ALS患者としてのリアルな体験に根ざしており、支援者や医療従事者にとっても貴重な指針となっています。
〇2025年07月24日 「【訃報】岡部宏生さん」,『NPO法人DPI日本会議』
https://www.dpi-japan.org/blog/oshirase/hiroki-okabe-passed-away/
(抜粋)岡部さんは人工呼吸器を使用し、ヘルパーの支援を受けながら、地域の中で自分らしく生きることを体現してこられました。
「どんなに重い障害があっても地域で暮らせる」、尊厳ある生の大切さをその生きざまをもって示してくれました。
■しかく記事・報道
【2025年】・2025年08月21日 「「救われているのはいつも私だった」唐田えりかが難病ALSでこの世を去った友人に伝えたいこと(連載『面影』第4回後編)」,『FRaU』
https://gendai.media/articles/-/156494
(抜粋)岡部さんのことが、大好きだ。
ほかになにか言葉にせずとも、大好きという言葉だけでいかに、「あなたを受け入れ肯定してますよ」ということを伝えられるかを、岡部さんから教わった。そこから私は、大好きな人には、大好きとちゃんと伝えられるようになった。
数ヵ月後に会った岡部さんは、黒目が思うように動かなくなり、会話することもできなくなっていた。表情が動かなくても、今喜んでくれているなということは感じることができる。
ひとりで岡部さんに話しかけ、手を握る。
大好きですよ。といつも伝えていた。
それが最後だった。
介助者さんたちは[...中略...]何時間も、毎日、毎日、何十年も一緒に生活してきた血の繋がりを持たない人に、岡部さんは愛されていた。そんなの、すごいことすぎる。
岡部さんが亡くなってからも、私は日々仕事をし、ご飯を食べ、眠っている。日常は続いていく。
「みんな辛くても、一緒に生きていきましょうね」と岡部さんは生前言っていた。
辛い。それでも自分の人生は続く。岡部さんはいなくても、私の心の中でいつも生きている。一緒に生きていくんだ。
・2025年08月21日 「女優・唐田えりかが友人を悼む 難病ALSと闘う岡部宏生さんとの出会い(連載『面影』第4回前編)」,『FRaU』
https://gendai.media/articles/-/156491
(抜粋)私は『寝ても覚めても』で、ALS という病気を知った。ALS とは、筋萎縮性側索硬化症という神経難病のことだ。日々の生活において、手足が痺れたり、転びやすくなったり、痛みが生じる中で、その病気を知らされたと岡部さんは綴っていた。
2024年には岡部さんが理事長を務める NPO 法人「境を越えて」が、トークイベントを行なった際にオープニングゲストとして参加させていただいた。
その時のイベントのテーマは「介助者だって当事者だ」。重度身体障害の当事者と介助者が語り合うという、私はなかなか知る機会がなかった世界だった。
介助者も当事者だ、というテーマ通り、介助者の方々も同じように悩み苦しみもがいていた。必死に支える中でも、腹が立つことも当然あるという。それでも一緒に生きていかないと、生き抜くことができない。
私はある医療従事者の言葉が印象に残った。
「医者じゃない時間、医療じゃない時間、それを大事に。それを逆に医者の仕事につなげる」と言っていた。
どんな職種の人も、当たり前だが、仕事ではないその人の人生がある。その人生の中で、何をして、何と出会い、何を感じ、何を大事にしていくのか。私もこの仕事をする上で大切にしたいことだった。
・2025年08月12日 「【令和の幸福論】岡部宏生さんを悼む ALS闘病、生の喜び伝え」,『毎日新聞』東京夕刊(有料記事)
https://mainichi.jp/articles/20250812/dde/007/040/067000c
(抜粋)寝たきりの状態で24時間の介護がなければ生きられない岡部さんだったが、ヘルパーを伴って各地の講演に奔走し、NPOの運営や執筆活動などに多忙な日々を送っていた。とりわけ印象に残るのが大学や高校での講演だ。岡部さんの存在と言葉は多くの若者たちの心を動かした。
・2025年07月30日 「唐田えりか「大好きで大尊敬している大切な友人」の死去を報告 ALSと闘った岡部宏生さん追悼」,『日刊スポーツ』
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202507300000805.html
(抜粋)唐田は「大好きで大尊敬している大切な友人 岡部宏生さんが先日亡くなりました」と報告。「私は沢山のことを岡部さんから教わりました。悲しい。寂しいです。お葬式で沢山の人が別れを悼んでいるのを見て 岡部さんの偉大さと愛情の深さに改めて感謝の思いが溢れました」とつづった。
・2025年07月22日 「失いながら生きるということ ALSと闘った岡部宏生さんの死を悼んで」,『毎日メディカル』
https://medical.mainichi.jp/articles/20250720/mmd/00m/415/014000c
(抜粋)訃報が届いた翌日、下町にある自宅マンションを訪ねた。いつもと変わらない顔の岡部さんがいた。その横顔を見つめていたら、学生たちとにぎやかに過ごした夜が思い出された。
ウオッカが奇跡を起こした2009年とは、岡部さんが悩んだ末に生きること(人工呼吸器の装着)を決断した年だ。未来が見えない絶望の中で、ほんの小さな希望を見つけて駆けた。そういう自分をウオッカに重ねていたのかもしれない。
人生とは何かを失っていくことだ。年を取ればさまざまなものをなくしていく。しかし、失わなければ感じられないこともある。人生とは何かを失いながら大事なものを感じられるようになること。私が岡部さんの生きざまを見て学んだことである。
【2024年】
・2024年03月17日 「「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】」,『TBSテレビ』
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1058666?page=4
(抜粋)当初、岡部さんも呼吸器をつけずに死ぬことを考えていた。
だが、「障害に縁がない人にも生きることについて考える機会を提供したい」との思いから生きる道を選び、障害者の現状を訴えてきた。
日本で安楽死が認められることに危機感を抱いている。
【2023年】
【2022年】
【2021年】
・2021年07月31日 「[ハートネットTV] 日本で最も外出するALS患者 動かない体で旅に出る」,『NHK』
https://youtu.be/JzMM-fLqLd4?si=PITHA1dCAlYNtHnn
(抜粋)京都ALS患者嘱託殺人事件では、「動かない身体で生きる意味はない」という当事者の絶望が、社会に深い衝撃を与えた。実際、ALSの患者は約7割が呼吸器をつけずに亡くなるという現実がある。そんな中、自身もALS患者である岡部宏生さんは、呼吸器の装着に迷う患者たちを訪ね、「共に生きよう」と伝える活動を続けている。岡部さんの旅に寄り添い、生と死の間で揺れ動く当事者たちの思いを見つめる。
・2021年06月01日 「【連載3回目】介助者不足を解消するために、私は動く。」,『当事者の語りプロジェクト』
https://wawon.org/interview/story/1281/
(抜粋)社員(介助者)の業務上の相談をいつ聞くかというと、私のケアに入っている時です。利用者さんの状態や、ケア中に何があったか、時には愚痴も聞いていますが、そうしているうちに私のケアは押してしまい、予定のケアが抜けてしまうこともあります。事業所の社長としては当たり前の業務をしているわけなのですが、患者としては結構辛いものがあります。
私は上司であると同時に患者であるために、どちらの立場でものを言っているのか、混乱することもあります。二つの例を挙げます。一つは、電車の中で疲れている介助者に「座って」と言うことがよくあります。それは、思いやりという側面がないとは言いませんが、それより、仕事に差し障りがないように身体を休めてほしいという上司としての指示です。それなのに介助者は「座らなくてよい」と遠慮することがあります。そんな時は「早く身体を休めてというのは業務命令です」と言うこともあります。
もう一つの例は、介助者の仕事のスタイルや態度についてです。ケアは上手く、しっかりと仕事はしていても、人に悪い印象を与える態度のヘルパーがいます。その人には「社会人としてはそれではダメだ」と言う時がありますが、ただ介護の職人だと思えば問題は無いということになります。その人にケアのことについて注意をする時と、社会人としての根本的なことを注意する時、「今のはどっちですか?」なんて聞かれることがあります。
・2021年05月28日 「【連載2回目】自分の人生を諦めないために事業所をつくる」,『当事者の語りプロジェクト』
https://wawon.org/interview/story/1271/
(抜粋)このケア予定表は、基本的には数年間変わっていません。患者によって差はありますが、呼吸器をつけた患者のだいたい平均的なものだと思います。気管切開をして間もなくは、この予定表のモザイク模様がもっと入り組んでいて、いったいどれだけの事業所と人がかかわれば足りるのか、と気が遠くなるものでした。
健康だった時は仕事をしっかり伝えることと、相手のためにと思って厳しくしていました。自分が思っていることを伝えることが大事だと思っていました。相手が自分をどう思うかより、まず伝えることを優先するというスタンスでした。では、どうして今は怒れないかと言うと、まず自分の介助を辞めてほしくないと考えるからです。介助者の確保が難しくて、呼吸器をつけて生きるのを諦めようかと思ったくらいに苦労したので、もし怒って辞められたらどうしようかといつも心配しているのです。
・2021年05月25日 「【連載1回目】生きる決意をしても、生きることの困難が立ちはだかった」,『当事者の語りプロジェクト』
https://wawon.org/interview/story/1258/
(抜粋)生きることの決意自体は揺らぎませんでした。ただ、家族のケアを前提とせずに生きるために必要な介助者と、その給料などにあてる公的支援が確保できず途方に暮れていました。「生きる決意をする」ことと「生きていけること」とは別でした。
【2020年】
【2019年】
【2018年】
【2017年】
・2017年10月06日 「【政治】国会出席拒まれた、ALS患者の岡部さん 共生社会へ論戦を」,『東京新聞』朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201710/CK2017100602000127.html
(抜粋)自身が国会出席を拒否された経験について「質疑に時間がかかるなどの理由を挙げられ、ショックだった」。ALSなどの難病患者は、医療費負担などが増えているケースが少なくない。「経済効率性を優先する安倍政権の姿勢を見ていると、私たちは『社会の重荷』と言われている気がしてしまう」
「障害者が暮らしやすい社会は『人にやさしい社会』。それは高齢者が住みやすい社会でもある。どう実現するのか、各党は根本的な論戦をしてほしい」と指摘。「選挙が終わっても続けてほしい。国民一人一人が考えるきっかけになるはずだから」と訴える。
<国会出席拒否問題> 衆院厚生労働委員会は2016年5月、入院中の難病患者らにヘルパーの付き添いを解禁するなどの障害者総合支援法改正案を巡り、岡部さんを参考人招致したが、「質疑に時間がかかる」として一転、出席を拒否した。国会運営を巡る与野党対立が背景にあった。批判が殺到し、渡辺博道委員長(自民)が岡部さんに謝罪。参院厚労委は岡部さんが出席して質疑した。
【2016年】
・2016年06月28日 「参院委員会で意見陳述 ALSの岡部氏「難病でも"境を超える"しなやかな社会を」」,『AERA Digital週刊朝日』
https://dot.asahi.com/articles/-/109937?page=1
(抜粋)医療保険制度で人工呼吸器を給付されるのは、日本とオランダ、台湾ぐらいです。多くのALS患者が人工呼吸器をつけてでも生活できる社会になってほしい。難しいことかもしれませんが、そういう社会はしなやかで強い。"境を超える"ことが大事なのです。
UP:20100905 REV:20101013, 1214, 27, 20171009, 1026(青木 千帆子), 20190415, 20200408(岩﨑 弘泰 ), 20230318,(高 雅郁(カオ・ヤユ)➡)20250830, 0903, 0905, 0908, 0909(中井 良平[0903, 0908, 0909])
◇ALS ◇日本ALS協会東京都支部 ◇日本ALS協会 ◇障害者(の運動)史のための資料・人 ◇病者障害者運動史研究 ◇WHO
◇ALS ◇日本ALS協会東京都支部 ◇日本ALS協会 ◇障害者(の運動)史のための資料・人 ◇病者障害者運動史研究 ◇WHO