最近のトラックバック

2025年3月31日 (月)

中教審の「発信」 二極分化を助長していないか

昨年12月の中央教育審議会に対する学習指導要領の改訂諮問を巡り、文部科学省が「諮問の要点をイラストやアイコン等も交えて分かりやすく整理したポイント資料」(概要版2ページ、詳細版14ページ=表紙等を除く)を作成した。27日にはX(旧ツイッター)にも上げ「ぜひ学校や教育委員会での研修等にもご活用いただければ幸いです!」と書き込んだところ、コメントでは「伝わりにくいです」「こんな見づらい分かりづらい資料、久々に見たわ」「『分かりやすい言葉』で書いてよ! イラストも抽象的で意味ないし、この画像に、税金から何円かけたの?」と非難ごうごうだった。

......この後に簡単な所見でも加えれば、立派な「こたつ記事」の一丁上がりである。しかし、ここには笑って済ませられない重層的な問題が含まれているように思えてならない。

もちろん、SNSで発信している教員が圧倒的多数派だと決めつけるつもりはない。ただ、一定数の本音を反映していることも確かだろう。一方で中教審の教育課程企画特別部会(企特部会)には減少気味とはいえ初回は約1000人の傍聴登録があり、28日の第4回会合は配信動画が31日朝まで視聴可能になっていたため視聴回数は約1600回に上った。28日夜の段階では約1200回で止まっていたから、土日の間に「拡散」した分も少なくないとみられる。それくらい関心を持って審議を見守ってる層も、確かに存在する。

問題は、関心のある層とない層に二極分化していることだ。そして文部科学官僚も中教審委員も、関心のある層しか見ていない。校長会や教委団体といった関連団体も、この層に含めていい。

そうした二極分化は、実は現行指導要領の審議過程で始まっていた。現行指導要領が「道半ば」(諮問理由)なのを、コロナ禍のせいばかりにできない。

だからこそ文科省は、審議過程をオープンにすることで「現行学習指導要領の実装を図る」(武藤久慶・教育課程課長、『教職研修』4月号の巻頭インタビュー)参考にしてほしいとしている。これに対して先のXにあった「審議中の事をなぜ研修しなきゃいけないんですか?」というコメントは、これまた重層的に本質を突いている。

第4回会合では、授業時数特例校や教育課程特例校の制度を一般化して国への申請を不要にするという重要な提案が文科省事務局からあった。しかも生み出した「調整授業時数」を、他教科や新教科、裁量時間(仮称)だけでなく「授業改善に直結する組織的な研究活動等」にも使えるようにするという。

もしそれが当たり前になれば、先のようなコメントは出てこなくなるだろう。まず諮問の内容が妥当かどうか、校内で談論風発の機会が保障されるからだ。その上で「上」に対して、現場からの積極的・具体的提言が活発化しよう。それこそが「一緒に次の学びをつくっていく」(栗山和大・教育課程企画室長、『教育新聞』電子版1月23日)ことにつながる。

現実には、審議を含めた国の動向を同僚間で話題にする「余白」すらないだろう。そもそも情報収集はSNS頼りで、一般紙はもとより専門紙・誌を読む余裕もない。特例校の一般化が進んでも、調整時数が教育活動に消えてしまっては事態は変わらない。結果的に、二極分化がますます進行しないか。

そもそも特例校を創設するという話を聞いた時、なぜ現場を信頼して最初から一般化しないのかと疑問を抱いていた。今さら中教審委員に「文科省、偉い!」と絶賛されても、決して喜んではいけない。

諮問の「ポンチ絵(概念図)化」にみられる通り、「分かりやすく整理」(1月の企特部会初会合での事務局提案)すべきは諮問自体ではない。諮問の背景にある考え方、もっと言えば諮問の基になった「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」論点整理の解説だ。現場での議論は、そこから始まる。「審議の最中で、まだ何も決まっていない」などと逃げてはいけない。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

にほんブログ村

↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

2025年3月31日 (月) 社説 | 固定リンク
Tweet

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /