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2025年4月

2025年4月27日 (日)

指導要領の改訂 「10年」先送りにしない審議を

学習指導要領の改訂を巡り、中央教育審議会が議論を始めてから4カ月が経過した。教育課程企画特別部会(企特部会)委員の溝上慎一・桐蔭横浜大学教授が「始まって早々と2回目で、学習指導要領改訂の大きな枠組みが見えてきた」(『教育展望』4月号)と振り返るように、6回目(25日)までに重要な方針が着々と固まりつつある。

前回改訂時(現行指導要領)と比べて、気になることがある。一つは既視感だ。諮問が具体的なことに加え、基本的に賛同する委員が多く集まっているため一部委員を除いて異論が出にくい。文部科学省の方針を「補強」する議論ばかりで、本当に一般教員の「共感と納得」(企特部会長の貞広斎子・千葉大学副学長)が得られるのか。現行指導要領を「現場が受け止め切れていない」(天笠茂・千葉大学名誉教授、同誌特集)のがコロナ禍のせいだけでないとしたら、その反省も踏まえるべきではないか。

企特部会は毎回2時間半と通常より30分長い審議時間を設定しているにもかかわらず、恒例のように延長するほどの「白熱した議論」が行われている。ただ意見の言いっ放しに終始し、異論が戦わされる状況にはない。「言い足りなかったことは事務局にメールで送れば議事録に載せる」と言われれば、なおさらだ。結果的に予定調和的な審議だけが「委員の先生方の熱心なご議論」として残ることも、変わりそうにない。

もう一つは、微妙な違いだ。前回は諮問前に「安彦検討会」(育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会)が学術的に詰めた論議を行った末に論点整理をまとめたが、実際の諮問もその後の審議も行政的判断が働き「安彦論点整理」に沿ったとは言い難かった。一方、今回は実質的に骨子だけの「天笠検討会」(今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会)論点整理に忠実な諮問が行われたが、企特部会に入っても天笠検討会の延長戦のような議論が続けられている。

有識者検討会と中教審諮問との間隔は時の政治状況に影響された側面もあり、行政判断としては致し方ない面もあったかもしれない。それでも、これら既視感と微妙な違いには教育課程行政の根本的な問題が内包しているように思える。

これまでの取材で、複数の関係者から「一度の改訂では、やり切れないこともある」という言葉を聞いた。前回改訂時で言えば学力論の「拡張」があったものの、現場で実践した上で落とし込めなかった課題を次期改訂に持ち越すということだ。そう考えれば「見方・考え方」や「学びに向かう力・人間性等」が再考されていることにも合点がいく。

つまり、おおむね10年に1回の改訂は常に課題を次の10年に少しずつ先送りするということを意味しよう。デジタルや表形式による指導要領の構造化というのは目新しそうな話だが、実は安彦検討会の時に海外の先進例として報告されていた。

指導要領の改訂や実施には「現場との対話が必要」(関係者)だというのも、理解できなくはない。しかし、それでは改訂指導要領の理念を現場がいつまでも受け止め切れず次も同じような議論を繰り返すことになりはしまいか。その結果、子どもたちに十分な資質・能力が育成できなかったとしたら問題である。

それでも、何ら問題はないのかもしれない。何しろ「生きる力」という極めて抽象的な理念だけを掲げた1998〜99年改訂が「ゆとり教育」批判のバッシングを受けたにもかかわらず国際的には2000年に始まった「生徒の学習到達度調査」(PISA)で好結果を維持し続けている国と評価され、コロナ禍で実施が1年延期されたPISA2022では「レジリエントな国・地域」の一つにさえ認定された。

ただ、それが過労死ライン越えもいとわない現場教員の献身的な努力によって支えられていることを真剣に考える必要がある。働き方改革を進めるだの、職務に見合った処遇改善だのという話ではない。むしろ現場が自律的・創造的な教育活動や研究・研修できる環境を整える条件整備を、同時並行で議論すべきだ。

今回は条件整備を含めて「3本の諮問がなされている」(貞広副学長)のだとしても、企特部会・教員養成部会ともに議論の不十分さが目立つ。改訂や制度改革の課題だけでなく現場の疲弊まで10年、20年と先送りし続けていては「日本型学校教育」と自賛してきた教育実践の持続可能性も損なわれかねない。そこまでの危機感を持って、ゴールデンウィーク明けの審議に臨むべきだ。

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2025年4月 8日 (火)

教員免許「2種相当標準」化に山積する課題

教員免許状の標準を現行の1種(59単位)から2種(35単位)相当に引き下げるよう7日、文部科学省が中央教育審議会の教員養成部会に提案した。教職単位の大幅引き下げは諮問に先立つ昨年12月初めに『日本教育新聞』が特報しており、既定路線だったとみられる。免許取得のハードルを下げることで「教員不足」対策につなげたい意向のようだ。

言われてみれば単位数の積み上げで免許が取れるというのは、コンテンツ主義の極みである。教育現場の課題を全部、教職課程で扱うべきだと求め続けてきたことがカリキュラム・オーバーロードを招いてきた側面は否めまい。ただ、それは大学での開放制原則という教員養成制度がもたらしたものでもある。そんな中でも、教職実践演習の科目創設や教職課程コアカリキュラムの作成など実践的指導力や課題対応力を育成する改革が積み重ねられてきた。

確かに2種相当の単位にすることは「教壇に立つことができる」(この日の部会で発表した委員の国分充・東京学芸大学長=日本教育大学協会長)という意味で、合理性を持つ。白水始委員(国立教育政策研究所初等中等教育研究部長)が発表したように、コンピテンシーを重視して「学び続けるプロ」を育てる志向性を目指すという点では理解できなくもない。

ただし真島聖子委員(愛知教育大学学長補佐)も指摘する通り、制度化には慎重に検討すべき課題が山積しているように思えてならない。

第一に、俸給表の位置付けだ。名称を変えたとしても、新採で従来通り2種格付けとなれば実質的な待遇改悪になる。格付けを1種相当とするか、初任者研修保障とともに上申制を手厚くするかがセットで構想される必要がある。

単に単位数を減らすだけでなく「養成観の転換」で大学側・学生側の双方に自由度を上げるという理屈は、合理的説明として非常にきれいだ。きれい過ぎて、本当に一般大学で実装できるのか不安が残る。

国分委員が発表で5年一貫制を提案していたように、国立大学・学部が教職大学院にシフトすることにも注意が必要だ。養成期間が長くなる分、学費負担や学生生活費がのしかかる。それを避けて私学を選択しても、どちらが得かは見えない。学生がどう行動するか、慎重に見極める必要があろう。

真島委員の指摘した学力低下や指導力低下への批判に、どう答えるかも周到な用意が必要になる。もちろん、それだけ「優秀」な教職志望者が養成されれば文句は出ないが、厳しさを増す一方の保護者や社会の目に果たして耐え得るか。机上の空論にならない制度設計が必要だ。

最も気になるのは、養成観の転換と言いながら従来の「養成・採用・研修」観から転換できていないことだ。そもそも質保証のために採用倍率を3倍以上にしたいという発想自体、人口減少時代にそぐわないのではないか。

むしろ教員養成学部や教職課程を選択する段階で優秀な人材を選抜し、経済面でも優遇しながら採用を前提に養成するのがいい。その上で研修までシームレスにしてこそ、質向上が保障されよう。「働き方改革」にとどまらない待遇改善が不可欠なのは、言うまでもない。

議論の進め方を見ていると、既に改革のストーリーが固まっている気がしてならないのは気のせいだろうか。そのことは、セットで諮問された学習指導要領の改訂にも通じる。「共感と納得」(中教審の教育課程企画特別部会長で教員養成部会の部会長代理に就任した貞広斎子・千葉大学副学長、1月の教育課程部会で)の改革となるよう、異論にも耳を傾ける審議を求めたい。

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