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2020年8月28日 (金)

「悪夢」の安倍首相退陣を歓迎する

本ブログは2008年2月、第1次安倍内閣が立ち上げた教育再生会議の最終報告を論じることをもって立ち上げた。一介の業界ライターにすぎない本社が偽新聞社を立ち上げて社説などと大上段に構えたのは、同会議第1次報告が公教育を「機能不全」と指弾してオール教育界が「悪平等」「形式主義」「閉鎖性・隠蔽主義」「説明責任のなさ」「危機管理体制の欠如」に陥っていると言葉を尽くして非難した悪夢を再び招いてはならないと思ったからだ。

だから第2次安倍内閣発足後、注意深く政権の文教政策をウォッチしてきた。改めて思うのは、教育を内閣の最重要課題と言い続けてきた首相は、公教育に関して何の関心も持っていなかったのではないか、ということだ。

教育に関して語る安倍首相は、常に原稿を読んでいた。第1次内閣の下で「ダメ教員」の排除が換骨奪胎された教員免許更新制の制度化の時でさえ、そうだった。肉声らしい肉声を聞いたのは15年2月、当時の民主党が農水相の献金問題を追及している時に「日教組!(の献金問題はどうするんだ)」とヤジを飛ばしたくらいだ。教育問題への関心の程度は、支持を受ける日本会議などの認識と大して違いがない。

教育再生実行会議もスタートダッシュこそ数回程度の議論で次々と政策を実現していったが、これには当時の下村博文文部科学相の手になるところが大きかった。それもせいぜい第3次提言ぐらいまでで、世間一般では高大接続改革の発端と思われている第4次提言ですら民主党政権で始まった中央教育審議会での論議を約半年遅らせただけで、それも提言内容は差し戻された中教審でひっくり返されるしまつだった。

「成果」であるはずの政策はどうか。第1次提言で実現したいじめ防止対策推進法の下でも、重大事態は一向に減る気配はない。いじめを深刻化させない条件整備を怠ったてきたからだ。小学校教員の3割、中学校教員の6割が過労死ラインを超えて働くような過酷な勤務実態を常態化させたのも、広い意味で第1次内閣以来の安倍政権の無策が招いたものだと言っても過言ではない。少なくとも第2次内閣以降で悪化したことは、文部科学省の06年と16年の教員勤務実態調査を比較すれば明らかだ。

学制改革という大山鳴動で義務教育学校一つしか生み出さなかった第5次提言以降は、安倍内閣や与党自民党の「やってる感」に利用されてきただけで11次もの無駄な提言を積み重ねてきた。しかもその後は1年2カ月も休眠状態に置かれ、新型コロナウイルス感染症に伴う9月入学論の混迷を経て先月やっと再開した。

9月入学論で言えば、首相の「政治判断」による最長3カ月の一斉臨時休校要請を挙げなければならない。当時から0〜18歳の感染力が弱いことは指摘されており、ましてや全国一律の適用など無意味どころか子どもが安全・安心に学ぶ機会を奪っただけで学校現場にも児童生徒にも保護者にも与えた被害は甚大だ。

実は、いいこともやっている。代表例の一つが、第5次提言で忘れ去られながらも消費増税の口実として急浮上した幼児教育と高等教育の無償化だろう。ただし前者は「質」が置き去りにされ、後者は一貫して「真に必要な」学生に限られていたから、コロナ禍でバイトもできず退学を検討せざるを得ないような学生は最初から対象外だった。手放しで評価していいのは、所得連動返還型奨学金制度の実現くらいかもしれない。

ごくわずかな成果を差し引いて余りあるのが、森友・加計両学園問題に代表されるように「行政を捻じ曲げた」ことだ。官邸官僚の威を借りた経済官庁の攻勢ばかりが強くなり、文教政策も常に守勢に回らざるを得なくなっている。先に論じた「虎ノ門文学」にしても、その涙ぐましい努力の一端だ。

常に政権への忖度(そんたく)を前提にせざるを得ない行政が、安倍首相の退陣によって正常化されるのなら誠に結構なことだ。文教政策に限っての話だが、首相の言に反して「悪夢」は民主党政権ではなく安倍政権にあったと断じざるを得ない。

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2020年8月28日 (金) 社説 | 固定リンク
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