◆だいやまーく 1. カスリーン台風の惨状
台風の被害は恐ろしい。インフラ施設を破壊し、個人の財産を破壊し、人まで呑みこみ、これまでの人生をも奪ってしまう。わが国は戦前も水害は起こっていたが、戦後荒廃した各地に台風や梅雨前線による豪雨が襲った。漸く太平洋戦争が終了した時、1945年9月枕崎台風により死者行方不明3,756人、1947年9月カスリーン台風によって利根川、北上川の大破堤で死者行方不明1,930人に達した。この年の11月内務省は「治水調査会」を発足した。1948年9月アイオン台風により北上川が大被害を受け死者行方不明938人。1950年9月ジェーン台風(死者行方不明508人)、1951年10月ルース台風により山口県など死者行方不明943人、さらに1953年6月北九州梅雨前線によって、筑後川、矢部川、白川などが大水害となり、死者行方不明1,028人、7月和歌山県豪雨により死者行方不明1,015人和歌山県民4分の1が被災した。さらに9月台風13号により、近畿、東海地方が被害を受け死者行方不明478人に及んだ。この年の10月に「治山治水基本対策要綱」が決定されている。
高崎哲郎著『洪水、天ニ漫ツ』(講談社・1997)は、カスリーン台風の豪雨が、渡良瀬川、荒川、中川、利根川を氾濫させ、至る所で破堤し、関東平野を呑みこんだ、その惨状についてドキュメントとして著わしている。その被害を追ってみる。
昭和21年GHQは言論の自由、政治犯釈放、財閥解体、農地改革と民主化政策を日本政府に突き付け、日本国憲法が発布された。22年4月六・三制が発足した。
関東地方では少雨傾向であった。9月8日南太平洋マリアナ諸島付近に発生したカスリーン台風は北上し、15日午後9時房総半島館山を通過し、翌16日午前3時、銚子の沖に去り、三陸沖から17日朝北海道南海上に去った。カスリーン台風は足の遅い、風は弱く雨が多い雨台風であった。
『洪水、天ニ漫ツ』