苫田ダムは理にかなうか、治水に対する有効性を疑問視し、強制調査に反感を持ちながら闘争を続行した。「ふるさとバンザイダム反対」、「次代にダムは残すまい」、 「燃える闘志でダム阻止貫徹」の幟がはためく。このような反対闘争も、平成3年森元町長の建設への方向転換に及んで、徐々にダム建設へ進むこととなる。長野知事は森元町長らを訪ね、森元町長のダム問題解決への努力に敬意を表明、全面解決へ県もできる限り努力すると約束した。また阻止同盟会の顧問元町長岡田氏が「苫田ダムを考える会」を発足し、 「苫田ダムは不要不急という思いは変わらない。水没地権者の8割以上が移転に同意し町外に移転した人が多い現状を考えると、ダム阻止一点張りでは町の発展はない」と決意した。その後、平成7年3月21日阻止同盟が立ち入り調査に同意、38年の反対運動が幕を閉じ、「平成7年・3・21会」が発足した。それはおそらく苦渋の選択であっただろう。