トンネルを掘り進んで最後は穴が抜ける。その最後の石が実は「安産の石」と言われる。その昔、神功皇后が三韓征伐のとき、かの地で敵を攻めあぐみ、そのとき間道に洞があり、三日三晩不眠で掘り続け、洞を貫き敵の背後より攻め大勝する。その記念に貫通の石を持ち帰り、角鹿地に上陸。御自ら産気づき、記念の石を並べて休んだところ、すこぶる安らかに男の子を出産された。これより隧道貫通点の石を「安産の石」と称し、珍重されているという。
ダム建設にはトンネル工事は多い。トンネル貫通点の石が「安産の石」になるとは驚きであり、それが古代時代まで遡り神功皇后と繋がってくるとはまた、興味がつきない。土木はそういう意味ではロマンに満ちている。
この書の著者金子毅氏は、昭和37年建設省(現・国土交通省)に入省し、その後水資源開発公団(現・水資源機構)に移り、ダム、堰の調査、建設、管理に携わった技術者である。荒川水系の二瀬ダムをはじめ、浦山ダム、滝沢ダム、利根川水系の下久保ダム、奈良俣ダム、矢木沢ダム、淀川水系の室生ダム、高山ダム、青蓮寺ダム、比奈知ダム、琵琶湖総合開発、利根川水系の利根大堰、秋ヶ瀬堰の現場を歩き、貴重な体験から、ダム造りの神髄に迫っている。「ダム造りの原点は水没者との対話から」という。
また、この書に金子氏が奈良俣ダム所長時代、群馬県水上町の山田節子町長から「所長さん奈良俣ダムを日本一のダムにしてね。波及効果が町を賑やかにしてくれるのよ」と要請されたことも記されている。ダムが水上町の町おこしに一役買うことになろうとは。では、奈良俣ダムは一体どのようなダムであろうか、水資源開発公団奈良俣ダム建設所編・発行『奈良俣ダム工事誌』(平成3年)から、そのダム建設について、追ってみたい。
◆だいやまーく 7. おわりに
前述のように、山田節子水上町長から「金子所長さん、奈良俣ダムを日本一のダムにしてね。波及効果が町を賑やかにしてくれるのよ」...奈良俣ダムは堤体積が1,310万m3で完成時は日本一の堤体積を誇った。良いことに係わる日本一は何であれ、その地域の人々にとっては誇りを感じるものだ。
水上町は、関東の北部の群馬県最北部に位置し、谷川岳、三国山の麓、利根川の源流域であり、自然に恵まれた町である。水上温泉をはじめ、法師温泉、川古温泉、赤岩温泉などの温泉は旅人の心に残り、また出かけたくなる温泉でもある。このような地に新しい名所として、奈良俣ダムが加わった。日本一のダムとなれば、人々は必ず訪れてくれる。山と川とダムと温泉のある町、水上町はやはり日本一の町であり、ダムが町おこしの一端を担っていることは確かだ。
平成22年の現在、合併によりみなかみ町と表記されるようになったが、ダムカレーの発売など、町おこしの気運は廃れていない。