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『43Lab』清水利生氏&山下訓広氏 セカンドキャリアでサッカー界の「メンタルスキル」をサポート

[ 2024年12月25日 06:00 ]

43Labの清水氏(43Lab提供)
Photo By 提供写真

【蹴トピ】サッカー界にはJリーガーの心を支えるスペシャリストたちがいる。43Labでメンタルスキルコーチとして活躍する清水利生氏(39)と山下訓広氏(38)だ。清水氏はフットサルの元プロ選手で、山下氏はJ2熊本などでプレー経験のある元Jリーガー。選手たちのメンタルスキルをサポートするセカンドキャリアに迫った。(取材・構成 滝本 雄大)

【フットサル元プロ選手 清水利生氏】

サッカーだけでなく、スポーツでよく耳にする「心技体」。その中でも「心」は重要とされながら、メンタルケアはあっても、パフォーマンス向上のためのメンタルの分野はおろそかになっているケースが多い。Jリーグ複数クラブでメンタルスキルをコーチングしている清水氏も「プレー技術やフィジカルはより良くするもの(指導や練習方法)があるけど、メンタルはケアしか用意されない。より良い自分をつくるためのスキルとして成り立たせたい」と言う。

きっかけはFリーグ(日本フットサルリーグ)のFUGA TOKYO(現フウガドールすみだ)に所属していた20代の頃にある。重圧に押しつぶされ、試合で思い通りのプレーができなかった。

「20歳くらいから大事な試合になると、結果を出したい、早く理想の姿になりたい、という思いが強くなりプレッシャーに巻き込まれて何もできない状態が続いた。技術は向上しているのに試合のパフォーマンスが上がらないというサイクルに陥って4、5年は出口が見つからなかった」

そこで出会ったのが、当時チームにいたメンタルトレーナーだった。伝えられたのは「不安が原因でやっていることを全部カットしろ」。それまでは「不安=ミスをする」という思考。不安を打ち消すために食事制限や猛練習を課すサイクルだったが、助言の通り「不安だからやっている努力を全部やめた」という。

その結果、不安に対する変化が出た。

「不安=ミスではない。不安自体がミスの原因ではなく、不安を消し去ろうとすればするほどプレーに集中できなくなると気付かされた。不安をコントロールするのではなく、不安を持ったままどう行動するかにフォーカスしたら、試合で初めて練習通りの感覚でプレーできた」

この実体験でメンタルスキルコーチの道を志し、今ではJ1複数クラブで指導。今季はあるクラブのドリブラーへのサポートが印象的だったという。

「彼は仕掛けが得意な選手。監督や環境が変わって自分の思い通りに仕掛けられていなかった。練習を見ていると、迷っているように思い、声をかけると案の定"プレー選択に迷っている"と。彼が一番いい選択ができるようになるには、プレーへのマインドセットを変える必要があると感じた」

取り組んだのは思考整理だ。(1)ライフプランを見直す(2)将来の自分のために今季どのような結果が必要か?(3)結果を出すためのピッチでのフォーカスポイントは?

「彼は何のためにサッカーをするのかマインドセットできた時に迷いがなくなっていた。とにかく得点に直結するプレーが必要だった。ウイークポイントより、ストロングポイントを生かす意識を第一優先にした方が結果がついてくると感じた。その後、得点が取れてアシストもついて"とてもサッカーが楽しい"と話していた」

メンタルスキルコーチという存在はまだ根付いていないのが日本スポーツ界の現状だという。清水氏には思いがある。

「メンタルスキルはより良い自分になるためのツールだということを多くの人に知ってもらいたい。そのためには私たちが結果を出せる人間になる必要がある。スポーツ界やビジネスマン育成、教育に貢献し多くの人の結果をサポートしたい」

これからも選手たちの心を支え続け、世の中へメンタルスキルを広めていく。

◇清水 利生(しみず・としき)1985年(昭60)7月17日生まれ、山梨県出身の39歳。小中高時代はサッカーに打ち込む。山梨・韮崎高卒業後の04年にfunf spieler山梨でフットサルを始め、06年からはFIRE FOXに加入。09年から日本フットサルリーグ(Fリーグ)所属の FUGA TOKYO(現フウガドールすみだ)に所属。12年からデウソン神戸に移籍し、14年に現役引退。同年にリコレクトへ入社しメンタルトレーナーとして活動スタート。18年に独立し、現在は43Lab代表取締役を務めJリーグでは磐田、ラグビーリーグワンでは相模原などのサポートをしている。

【J2熊本などでプレー 山下訓広氏】

清水氏とともに43Labで活躍しているのが山下氏だ。J2熊本で2年間プレーした後、シンガポール、ミャンマー、インドネシアのリーグを渡り歩き、計11年間のプロ生活を過ごした。現役時代はメンタルの不調は特になかった。

「各国で過酷な環境を過ごしてきた。夢や目標さえあればサッカーを続けていける、俺はどんな場所でもやっていけるぞみたいな根拠のない自信が出来上がっていました。その状態で引退したのでセカンドキャリアも楽しみにしていました」

だが、現役引退後に状況が一変する。プロとは違う世界。外国人労働者と企業をつなぐ人材派遣会社の営業職で働くと自信を失った。

「ここでも目標を決めて、俺なら何でもできるからチャレンジしようと思っていましたが、営業すればするほど自分の自信がどんどん削られていく感覚がありました。大手の企業へ営業に行くと、手が震え、声も出なかった。サッカーではなかなかそんなことはなかったので不思議でした」

そんな時、知人から紹介された清水氏にメンタルスキルについて教わった。

「清水さんに自分の経験を解き明かしてもらうと、"俺なら何でもできる"というハードルが凄く高くなり、そのハードルが越えられないことで自分への否定感を日々味わっていたことに気づきました。それにより自分の自信が日々削られているのかと...」

自らの経験を生かしたい思いが強くなり、メンタルスキルコーチへの道を志した。現在はジュニアアスリートや育成年代、Jリーグやフットサル選手の若手をサポートしている。

「子供たちの中には自分のことを認められず、人と違うことに不安になってしまう子もいます。育成年代のサポートでは自己肯定感を育み主体的に物事に取り組めるようなサポートを心がけています。また若手選手のサポートでは練習や公式戦の中で不安を感じ、本来の目的のためではなく不安にならないための練習を繰り返してしまう選手もいたりします」

そんな選手をサポートする場合、不安によって普段と違うプレーをする様子を見極める。

「ある選手は不安になると、無意識にトラップの時目線が下に落ちていた。自分の気づかないところで行動が変わってしまっている。"自分がいつも見ている視点はどこか"と行動を見直し意識する場所を一緒に整理していきました。その後の試合で"めちゃめちゃ調子いいです!"と言ってくれたことが凄くうれしかったですね」

今後も若手選手へのサポートを続けつつ、将来的に成し遂げたい目標もある。

「子供たちが自分の成長に満足していけるようにメンタルトレーニングの中できっかけを届け続けたいです。そして、ずっとサッカーをやってきたからいつの日か、日本代表に対応できるようになりたいですね」

未来のサムライブルー戦士になる心を育てていく。

◇山下 訓広(やました・くにひろ)1986年(昭61)5月29日生まれ、千葉県出身の38歳。センターバックを主戦場に流通経大柏高、流通経大を経て09年にJ2熊本に加入。翌10年に退団し、11年からシンガポール・プレミアリーグでプレー。その後はミャンマー、インドネシアのリーグを渡り歩き、19年限りで現役引退。一般企業勤務を経て21年から43Labでメンタルスキルコーチ。現在は育成年代などのジュニアアスリート、来季J1の岡山で若手選手をサポートしている。

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