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スーパースター松坂大輔を普通の若者にしたアテネの休日

[ 2021年10月25日 14:45 ]

アテネ五輪に出場した松坂大輔
Photo By スポニチ

【君島圭介のスポーツと人間】98年8月22日、私はウイルス性の胃腸炎のせいでベッドでうなされていた。何故、日付まではっきり覚えているかといえば、そのときテレビで夏の甲子園決勝・横浜―京都成章戦が流れていたからだ。

凄い投手が現れた。横浜が延長17回の末、PL学園を破り、最大6点差を逆転して明徳義塾も下した。エース松坂大輔が決勝のマウンドに立つこと自体が奇跡だと思った。蓄積疲労で肩も上がらずメッタ打ちにあっても松坂という17歳の少年に拍手を送ろう。病床で弱気な自分は、そんなことを考えながら見守った。

ノーヒットノーランで夏を完結させると誰が想像できただろうか。そんなあらすじを出版社に持ち込んだらボツになる。だが、松坂と横浜ナインはやってのけた。雑巾のように腸を絞られているんじゃないかという痛みも、その圧倒的な光景の前に忘れてしまった。

そしてその日から松坂は日本で一番有名な高校生になった。プライベートも監視された。友人と遊びいった先の姿を一般人に盗み撮りされ、スポーツ紙のフロントページを飾ったこともあった。コンプライアンスなどあいまいな時代だ。報道は過熱した。

ドラフト1位で西武入団、ルーキーでの球宴出場、新人王、3年連続最多勝......。日本一有名な高校生は日本一のアスリートになった。そして、野球日本代表のエースとして04年のアテネ五輪に臨んだ。黒田博樹、岩隈久志、三浦大輔、中村紀洋、福留孝介、高橋由伸らスター軍団の中にあっても主役は松坂だった。

日本代表の拠点はアテネ郊外の小さなホテルだった。海に面した閑静な住宅地で、のどかな場所だ。そこに遠い日本の熱狂は届かなかった。試合のない日の午後、ホテルから城島健司、和田毅が出てきた。「どこに行くの?」と聞くと、城島は「マック(マクドナルド)」と答えた。2人の後を松坂が歩いていた。

アテネ市民に松坂の顔を知る人はいない。無防備に連れだって歩く3人の姿は、とてもほほえましかった。ちょっと体格はいいが、普通の若者と変わらない。そのとき23歳の松坂が見せたリラックスした表情が忘れられない。

引退しても松坂がスーパースターであることは変わらない。ただ、あの日のアテネで見せた表情で過ごせる休日が、一日でも増えるといい。今はそう願う。(専門委員)

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