小型の原人「フローレス原人」は、現生人類ホモ・サピエンスとの出会いがきっかけで絶滅したのかもしれない。そんな可能性を示唆する研究結果が、3月30日付け科学誌『ネイチャー』に発表された。
フローレス原人(ホモ・フロレシエンシス)は、2003年にインドネシアのフローレス島にあるリアンブア洞窟で化石が発見された小型の人類。身長は1メートル余り、体重約35キロで、J・R・R・トールキンの有名な小説の小さなヒーローにちなんで「ホビット」の愛称で呼ばれている。
当初の研究で、フローレス原人はつい1万2000年前まで生きていたと推定されていた。本当にこの頃まで生きていたのなら、ネアンデルタール人より新しい時代まで生きていたことになり、現生人類とも共存していた可能性がある。(参考記事:「人類進化の「常識」を覆した"小さな巨人"、フローレス原人」 )
ところが今回、化石が発見された場所を改めて調査したところ、物語はもっと複雑であったことが明らかになった。最新の調査結果によると、フローレス原人はこれまで考えられていたよりずっと早い時期に島から姿を消していたことになり、従来の推測とは違った意味でホモ・サピエンスと出会っていた可能性が出てきたのだ。
論文の共著者であるカナダ・レイクヘッド大学のマシュー・トチェリ氏は、「2007年以降、洞窟内の発掘地点は大幅に増えました」と言う。当初の年代推定は、化石の周りの土壌を手がかりに堆積層の形成時期を割りだしたものだった。だが今回の調査で、洞窟内の堆積層のすべてが水平に堆積したわけではなく、同じような深さでも年代が大きく異なることが判明した。
新たな分析結果によると、フローレス原人の骨は10万〜6万年前のもの、石器は19万〜5万年前前後のものである可能性が高いという。つまり、5万年ほど前にホモ・サピエンスがこの地域にやって来たのと、ほぼ同じ時期にフローレス原人は姿を消したことになる。
ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けて今回の再調査をしたトチェリ氏は、「最初の発見時には古い時代の堆積物が十分露出していなかったため、フローレス原人の化石の年代を正しく推定できなかったのです」と言う。(参考記事:「南太平洋の島で謎の石器を発見、現生人類の到達前」 )
謎が謎を呼ぶ
以前の調査が洞窟の中央部と東側の壁に集中していたのに対し、今回はこの2つの場所の間と洞窟の奥の方へと発掘範囲を広げた。これにより、洞窟内のいくつかの場所では古い堆積物が浸食によって失われ、そこに新しい堆積物が入り込んだことで当初の誤解が生じたことが明らかになった。
新たな推定年代の確証を得るため、研究チームは、化石に含まれるウランの放射性崩壊を利用する手法から、砂が最後に日光を浴びてからの経過時間を測定するルミネッセンス法まで、5種類の年代測定法を用いた。
フローレス原人の化石が発見された当初は、上半身のすべての骨を発見することはできなかったのだが、その理由も浸食によって説明できるかもしれない。トチェリ氏は、「浸食があと少し長く続いていたら、骨格全体が永遠に失われていたかもしれません」と言う。
生息年代は、フローレス原人をめぐる多くの争点の1つにすぎない。最初の発見以来、少なくとも6体のフローレス原人が洞窟内で発掘されていて、人類学者たちは、彼らが最初にインドネシアにやって来た方法から、その体が小さい理由、新種の人類と考えてよいのかどうかまで、さまざまな問題と格闘している。(参考記事:「ホビットは100万年前からいた?」 )
アメリカ自然史博物館の古人類学者イアン・タッターソール氏は、この研究に関わっていないが、「謎が謎を呼んでいる状況です」と語る。「誰もフローレス原人のようなヒト科を想像することはできませんでした。そんなものを思いつくのは自然だけです」
身長も脳も小さいフローレス原人について、ホモ・サピエンスが低身長症や小頭症などにかかったためであると主張する専門家もいる。しかし、トチェリ氏が2007年に行った分析では、フローレス原人の手首の骨の構造はホモ・サピエンスの骨との類似点がほとんどなかった。むしろ初期人類やチンパンジーのものに似ていて、ホモ・サピエンスとは異なる種であることが強く示唆されている。(参考記事:「3Dプリンタでフローレス原人の脳サイズを測定」 )
現在は、フローレス原人はインドネシアにやって来た小型のヒト族の子孫、あるいは島にやって来たホモ・エレクトスが小さく進化したものではないかというのが有力な説になっている。これは「島嶼化(とうしょか)」と呼ばれるもので、資源の乏しい島で生きる生物が食料をあまり必要としない小さい体になっていく現象だ。リアンブア洞窟の発掘現場に小型化したゾウの仲間の骨が散らばっていることも、この理論に信憑性を与えている。
仲間にはなれなかった?
フローレス原人がホモ・サピエンスと出会っていたことを示す直接的な証拠はリアンブア洞窟からは見つかっていない。だが、タッターソール氏はまだ彼らが出会っていたと信じ、この出会いが悲劇的な結果をもたらしたと考えている。(参考記事:「類人猿ギガントピテクス、大きすぎて絶滅していた」 )
「長期にわたって問題なく生きてきた古いヒト属が、ホモ・サピエンスが現れた途端に絶滅するというパターンがあるのです。どういう理由かわかりませんが、ホモ・サピエンスは無敵なのです」とタッターソール氏は言う。
新たに推定されたフローレス原人の絶滅年代は、ホモ・サピエンスがこの地域にやって来た時期と一致しているようだ。
スミソニアン自然史博物館の古人類学者リック・ポッツ氏は、「今回の調査で一番興味深いのは、フローレス原人が絶滅に至った過程との関係です」と言う。「島集団は常に食料不足に脅かされているので、フローレス原人は自然に絶滅に向かったのかもしれません。たまたまそれが、近くにホモ・サピエンスがいた時期だった可能性もあります」
リアンブア洞窟やフローレス島の別の場所での発掘調査がさらに進めば、より多くの手がかりが得られ、謎のフローレス原人の進化、ライフスタイル、絶滅に関する疑問に答えられるようになるだろう。
「調査が進めば、こうした疑問の多くが解明できるでしょうとポッツ氏は言う。「どんな答えになるにせよ、魅力的なものであることは間違いありません」
文=Adam Hoffman/訳=三枝小夜子