余命宣告を受けた写真家が教える「将来の夢」と「なりたい職業」の決定的な違い
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34歳でガンを発病し、余命宣告を受けた写真家が、幼い息子への「手紙」として本を書き遺した。夢というのは、職業のその先にあるもの――息子に授ける、夢をつかむための生き方とは。本稿は、幡野広志『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
お金と仕事は夢を叶える
ためのツールにすぎない
僕は絵馬が好きだ。神社に行って、人の願いごとを見ていると面白いし、神さまになった気分を味わえる。
絵馬をひっくり返して裏側を見ていると、いろんな願いごとが書いてある。合格祈願、恋愛のこと、健康というのも定番だ。「○しろまる○しろまるになれますように」という願いごともたくさんある。
「公務員になれますように」
「医者になれますように」
「絶対、ゲームクリエイターになりたい!」
こんな絵馬を見ていると、「それって夢じゃなくて職業選択だろう」と思う。
宇宙飛行士でも公務員でもユーチューバーでもケーキ屋でも、そんなものはただの職業で、なればいいだけの話だ。
夢というのは、職業のその先にあるものだと僕は思う。
「医者になって、多くの人を救いたい」というのが夢だから、「医者になりたい」で願いごとを完結させてしまったら夢がないと感じる。
「公務員になって、しっかりお金をもらって安定した人生を送りたい」なんてことが子どもっぽい字で書かれた驚きの絵馬まであるけれど、お金をもらって安定するのがその子の夢なんだろうか。その子が考える「安定した人生」は、お金や福利厚生で叶えられるのだろうか。公務員になってどう生きたいのかは、さっぱり見えてこない。
息子が大きくなったときに、絵馬に職業を書いたりしないように、僕はしっかり教えておきたい。
「職業を夢にしてもあんまり意味がない」
「夢を叶えるためにお金と仕事というツールがあるんだよ」
お金と仕事というツールを得るために必要なのが学歴や職業で、それ以上の意味はないんだよ、と。
小学生の僕は、学校で「将来の夢は?」と聞かれると、「幸せになりたい」と答えていた。幸せになるという夢は、今も変わらない。
まわりの友だちはみんな
「夢」として職業をあげていた
ところがこれは大人からすると奇妙な答えだったらしく、先生に怪訝な顔をされた。
「この子は深刻な問題を抱えているんじゃないか」と心配されたりもした。
大人が変な顔をすると、僕は困った。早生まれで成長が遅く、運動も勉強も苦手だった僕は自己肯定感が低くて、大人に否定されたらすぐに自信がなくなったのだ。
「僕は間違っている。きっと、どこかおかしいんだ」
そう思ってまわりを見れば、友だちはみんな「夢」として職業をあげている。僕も合わせて職業を言うようになり、「幸せになりたい」という本当の夢は封印した。
でも、大人になった今は思う。おかしいのは、みんなのほうだと。
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