ヤマダデンキの「神トイレ」に感激...難病患者が「本当にありがたかった」と語る理由〈再配信〉

第3回 優しい人々、冷たい街〜手すり1本ですっかりユニバーサル〜

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公衆トイレ写真はイメージです Photo:PIXTA

『会社四季報』『週刊東洋経済』編集長、そして『ダイヤモンド・オンライン』編集長を歴任した著者が、60歳からパーキンソン病と共に生きるようになった日々を赤裸々に告白。連載第3回は、病気や障害の当事者が本当に必要としている「バリアフリー」を考える。(ジャーナリスト 原 英次郎)

(注記)2023年8月22日公開の記事をもう一度、紹介します。全ての内容は初出時のままです

孫がトイレの前で転んだワケ

「病気になって初めて分かることがある」とは、よく言われることだ。俺は今、体が不自由になってこの言葉をかみしめている。結論から言えば、難病者に対して人々は思いのほか優しい。一方、街は冷たい。

俺がパーキンソン病を発病してから7年になるが、人間から不快な思いをしたのは、わずか2度だけ。1度目は、地下鉄で起きた。車両の扉が開いたときに、乗り込もうとする俺の肩に、ひどく肩をぶつけてきた青年がいた。バランスを取るのが下手なパーキンソン病患者としては、後ろにひっくり返る!と慌てたが、まだ症状が軽い頃だったので、何とか転ばずに済んだ。

パーキンソン病の初期は、薬も大変よく効き、見た目は健常者とほとんど変わらない。そんなオヤジが、自分が降りる前に乗り込もうとしてきたのだから、わざと肩をぶつけたのだろう。それからというもの、実際には必要はないのに、杖(つえ)を持つようにした。「私は体が不自由なんですよ」と、周りの人に知らせる「お守り」代わりだった。

それから時がたち、DBS手術(連載第1回の『「俺は今やアンドロイド」元経済誌編集長、パーキンソン病との折り合い日記』を参照)の後は、姿勢反射障害がいっそうひどくなり、よく転んでしまう。杖は、お守りから本来の機能を果たすようになった。そうして昨年12月、長女とその一人息子(4歳)と箱根に旅行をした道中、不快な出来事が起きた。

ロマンスカーに乗って箱根湯本駅に着き、俺と4歳の孫は多目的トイレが空くのを待っていた。ところが、トイレの中から出てきた中年女性が、孫が邪魔だったのか、「何やってんの、『どいて』って言ってるじゃない」とかなりの剣幕で孫を怒鳴りつけた。慌てて孫を引き寄せた瞬間、俺はバランスを失って後ろにすっ転んでしまった。4歳になったばかりの孫は、じいじのことが大好きで、何でもかんでも俺のまねをする。あろうことか、孫も私と一緒に転んで見せたのだ。

トイレの前で倒れてジタバタしている二人に気づいて、ママ(俺の長女)とばあば(俺の妻)が駆け寄ってくる。不幸中の幸いかトイレの床は濡れておらず、何とか長女と妻につかまって立ち上がれた。孫を怒鳴りつけた中年女性は、すっ転んだ俺を見て、体が不自由だと認識したのか、ドタバタ劇場が展開される中、いつの間にか姿が見えなくなっていた。

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