「世界のマクドナルド」を育てた男がハンバーガーの前に売っていた「意外な商品」
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AIの進歩は目覚ましく、いつか人の仕事をAIが奪う、といわれるようになりました。とはいえ、「仕事をする」ということの本質に変わりはありません。藤井孝一さん監修の『誰もが知っている億万長者15人のまさかの決断』(青春出版社)から、フランチャイズ方式でマクドナルドを世界的企業に飛躍させた、マクドナルドの実質的な創業者、レイ・A・クロック(1902〜1984)のエピソードを前後編で紹介します。
「世界のマクドナルド」を誕生させた出会い
アメリカのロスアンゼルスの中心部から東に80キロメートルほど車で走ったところにサンバーナディーノという住宅街がある。
1940年、ここに1軒の小さなドライブインがオープンする。マックとディックのマクドナルド兄弟が経営するハンバーガー・レストランだ。その名のとおり「マクドナルド」の発祥となるレストランである。
だが、この時は誰ひとりとしてこの店から「世界のマクドナルド」が誕生するとは思いもしなかった。それはマクドナルド兄弟とて同じだった。1950年代半ばのある日、ひとりの人物に出会うまでは......。
男の名はレイ・A・クロック。当時52歳でミルクシェイク用のマルチミキサーの全米販売権を持つセールスマンだった。この中年のセールスマンが地元で評判だった「マクドナルド」を全米に、やがては世界を股にかけるフランチャイズに成長させてしまうのである。
クロックの取引先の中でマクドナルド兄弟の店は以前から興味を引く店だった。通常なら1軒に1〜2台で十分なミキサーをマクドナルド兄弟の店は時には8台も注文することがある。その地域の販売担当者から店の評判を聞いてはいたものの、いったいどのような繁盛店なのか、一度自分の目で確かめてみたいと思っていたのだ。
そうしてわざわざサンバーナディーノまで出向いたクロックはそこで驚くべき光景を目にする。ランチタイムにはまだ少し早い時間なのにもかかわらず、マクドナルド兄弟の店のカウンターには長蛇の列ができており、しかも従業員は客の注文をものすごいスピードで右から左へとさばいている。
──その時間は1人あたりわずか15秒もかからない。猛烈な勢いでハンバーガーやフライドポテト、そしてミルクシェイクが売れていく。複数のミキサーが必要になる理由は一目瞭然だった。
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