高校教諭と労働法学者の往復書簡(3) 「労働法と経済」
カテゴリー: 河村先生から荒木先生へ, 往復書簡 タグ:労働条件, 需要と供給 2013年 6月 6日
『高校教諭』は、広島市立基町高等学校教諭の河村新吾先生、
『労働法学者』は、東京大学大学院法学政治学研究科教授の荒木尚志先生です。
(右上の文字サイズを「中」にしてご覧ください)
桜桃の候 連日の雨も一休み、今日は久しぶりの青空です。歴史的建造物でもある東京大学では、赤門をスタートし安田講堂をゴールとする恒例のツアーのサービスが始まり、新たな賑わいをみせているのではないでしょうか? 静かな研究生活を犠牲にしてでも広く社会に開かれているところが東大の魅力です。
さて、荒木先生からの返信を何度も読み直しました。一つ一つの疑問に丁寧に答えてくださっていることがありがたく、またそのたびに新たな発見があり、勉強になりました。特に法学部出身の教員は、法律をわかったつもりで生徒にわからせたつもりになってしまいがちです。ほかならぬ私がそうです。憲法第28条の勤労者と労働基準法の労働者の定義が曖昧なままで混同し、自営業者と雇用者との差異だけの材料で教材をつくってしまいました。つまり部分的な知識で体系上の位置づけを視野に入れていなかったのです。その点、荒木先生は「多様な労働者の概念」を言葉だけではなく図示して丸ごとわからせてくれました。この手法に大いに習いたい思いです。法教育についていえば、とかく法学入門教育になってはいけない、という観念から精確な知識をなおざりにしてしまうところが私にあります。まず初心に戻ってコアになる知識の基盤を見つけるという私自身の法教育の課題の一つが見えてきました。ありがとうございます。
また失業者が労働者である、という意外な点に着目するよりも、「問題となっているのはどの法律の規制か、その法規制の目的は何かを踏まえて、その対象となる「労働者」に当たるかを判断する」というアプローチが重要であることを再認識させられました。自由で公正な社会を形成するには、問題解決を志向する思考法として改めて法教育の学びの必要性を感じました。さらに荒木先生より、具体的で発展的なアプローチが5つ紹介されました。
(1)契約の意義
(2)市民法だけでは不十分であることの歴史的事実
(3)システムによる解決の可能性
(4)勤労基準の法定
(5)労働条件設定
私は今回(4)勤労基準の法定に挑戦してみようと思います。そこで荒木先生に今回お聞きしたいことは次の問いです。
実は本校では、修学旅行への取り組みとして、進路別研修というものがあり、私は経済や法学に関心のある生徒を担当しています。研修先としてそれぞれの関心のあるところに赴くという日が修学旅行中に一日用意されています。経済と法学ではそれぞれ違う学部に進学するかもしれませんが、広く社会科学ととらえれば共通基盤があり、また社会事象は相互に依存しているところから全体として探究できるよい機会であると考えています。経済からみた労働法、労働法からみた経済、どんな景色が見えるのか私自身、探求心を触発されました。今回は、そのクラス用に指導案を考えてみました。
法教育指導案
テーマ:「勤労基準の法定」
教材:「規制は上から下から、これって必要??」
対象学年:高校2年生
対象領域:総合的な学習の時間(公民科政治経済を基盤とする)
本時の目標:(公民科現代社会において需要と供給の原理が履修済であることを前提とする)現行の労働法では労働時間や最低賃金について労働者保護のために規制があるが、なぜそうすることが保護につながるのか経済の視点(需要と供給の原理)をゆさぶりとして生徒に考察させる。
・もし条文内で重要だと思う箇所にアンダーラインを引くとすればどこに線を引きますか?
・厚生労働省広島労働局のサイトを見ると最新の広島県の最低賃金を確かめることができます。(2)の括弧に719円と記入してください
(1)労働者、使用者
(2)労働者
(3)労働法
・(回答例):「人たるに値する生活」、「必要を充たすもの」、「労働条件」...
(1週間単位の規制であるとともに、1日単位の規制でもあることを知る)
・719円
(710円から9円引き上げられた)
×ばつ5=1800円
・1年間(12か月)
×ばつ12=21600円
(肯定的な評価例)
・賃金が下がることはないので長期的にみれば安心感を与える、...
(否定的あるいは疑問視する評価例)
・賃金の上昇以上に物価が上昇すれば意味がない、...
○しろまる次の板書をする
法学と経済の考える視点の一例
法学 ⇒ 当為
経済 ⇒ 法則
・企業側も一定の労働者数を確保したければ、どんな手段を講じることが考えられるでしょうか?
・非正規雇用者の労働条件の規制を強化、たとえばさらなる最低賃金の引き上げなどすれば労働者保護も一層強化されると思いますか?
・労働時間の規制はあったほうがよいかどうか、最低賃金の規制はあったほうがよいかどうか、全4パターンのうち考えやすいものを各班で選んで、そのメリット・デメリットを明らかにしよう
・余力があれば、全4パターンを考察して、どれがより適切なのか順位をつけてみよう
・供給曲線は労働者の立場
・国内で解雇が容易な非正規雇用を増やす、海外で長時間・低賃金の労働者のいる地域に進出する、...
(労働者保護のための規制が、雇用を不安定化させ、逆に労働者保護にならない事態が想定され、よくわからなくなる)
・労働時間を規制すると過労死を防ぐことができる(メリット)
・労働時間を規制するとより多く働いて賃金をえる機会がない(デメリット)
・賃金の規制があると景気に左右されず安定した賃金をえる(メリット)
・賃金の規制があるとより多く賃金を支払うことのできる企業が賃金を低く見積もる(デメリット)
【本日のまとめ】
「労働条件の規制を厳しくしさえすれば、労働者の地位が必ず向上するわけではない。しかし、だからといって労働条件の規制は無意味ではない。労働条件の規制をすることによって( )が保障される。労働法の存在理由はそこにある。」括弧に適当な言葉を補ってみよう
・労働者保護関連であれば正解である
・人たるに値する生活
・健康で文化的な最低限度の生活
・使用者側のいいなりにならない自由
・他の労働者との平等
・労働者が自分の生活を振り返る時間
I 基礎知識の確認(正しいものに○しろまるをつけよう)
「労働法と呼ばれる法律の大半は、使用者と労働者が対等でない事実に着目して、労働者の立場を保護するために制定された。根拠は、日本国憲法の勤労者の権利による。」
⇒(1)使用者と労働者が合意をしても、労働時間や賃金などの労働条件について、(使用者 労働者)を保護するために、(使用者 労働者)を規制する
⇒(2)対等な当事者である市民を対象とした民法では、(使用者 労働者)の保護が十分ではないので、労働法を制定した。
⇒(3)一般法である民法と特別法である労働法では、(民法 労働法)が優先されるという原則がある。
II 具体例
(1)労働時間には上限がある
一日( )時間、一週間40( )時間
(2)賃金には下限がある
広島県 最低賃金 710円 → ( )円(平成24年10月1日)
III 需要と供給の原理
「労働力の需要と供給」 (価格→賃金率、数量→労働時間 読み替える)
(1)賃金が下がれば下がるほど多くの労働力を必要とするのは労働者を雇う企業側である。
⇒需要曲線は、(使用者 労働者)の立場
(2)賃金が上がれば上がるほど多くの労働力を提供するのは企業に雇われる労働者側である。
⇒供給曲線は、(使用者 労働者)の立場
平成24年10月より広島県の最低賃金は710円から719円に引き上げられた。
「新しい労働力の需要と供給」
(3)最低賃金の引き上げにより、需要と供給の一致する均衡点よりも(上部 下部)に賃金が設定される。
⇒719円で雇われたい労働者は増加し、719円で使用者が雇いたい労働者は減少する。
⇒使用者と労働者との考えの不一致により、いわゆる超過供給部分=非自発的失業者(自らの意思で失業者になるのではない労働者)の数量が増大する。
IV 知的ツール(規制は是か非か)
○しろまる各班の発表を聞き、メモをとろう
本日のまとめ
「労働条件の規制を厳しくしさえすれば、労働者の地位が必ず向上するわけではない。しかし、だからといって労働条件の規制は無意味ではない。労働条件の規制をすることによって( )が保障される。労働法の存在理由はそこにある。」
資料
労働基準法第1条
1項 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
労働基準法第32条
1項 使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。
2項 使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。
荒木先生の提案では、営業の自由を含む憲法22条や私人間に直接規律する憲法27条2項を踏まえるという王道ともいえるアプローチです。私の場合は少しトーンを落として、労働時間の規制と最低賃金の規制の2つの規制に着目させてその規制がある場合とない場合を考察させる程度です。生徒の反応で私が熱望するのは、「労働時間と最低賃金は切り離して考えてはいけない、もし賃金の引き上げがなく労働時間の短縮のみでしかも残業規制が厳格されれば、かえって労働者の実収入が減るからだ」、「市場は完全ではない、また労働者にはじっくり職業を選ぶ時間がない、企業別労働組合の日本では国家による規制は不可欠だ」などの反応です。創造力を発揮して自分のもっている知見を総動員して論理的に考えいく、これは法教育の醍醐味です。
荒木先生に教えていただきたいことは、経済からみた労働法はどのようなものなのか、という素朴な疑問に凝縮されています。私は、単純に経済は法則で考える、法学は当為で考える、と割り切っています。これでよいのでしょうか?
今回も長文での質問で恐縮しております。
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