必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第4弾(旧豊原町役場)

現存する旧庁舎は、火災で焼失した初代・二代目の庁舎に代わり、昭和3年(1928年)に竣工されたもので、サハリンに唯一残る旧町役場。
現在は、オフィスビルとして供用されている。

住所:ユジノサハリンスク市コムニスチチェスキー大通41
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玄関周りは、今も往時の面影を残し情緒あふれる面構えをしているものの、ピンク色に塗り潰された壁面はどうにも頂けない。
階段の手摺も塗装を施してはいるが、形状は往時そのもの。
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必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第3弾(旧樺太庁豊原病院)

旧樺太庁豊原病院は、当時の最先端技術を用いた鉄筋コンクリート造りの建物として昭和6年(1931年)に竣工。
建築から既に80年を経過する地下1階3階建て造り。
今なお、ベッド数150を持つ現役の病院(ロシア陸軍病院)として供用されているものの、残念ながら老朽化が著しく来年には解体が予定されている。
サハリン州内でも歴史的建造物としてその保存を望む声が上がっています。
http://news.astv.ru/news/32849

住所:ユジノサハリンスク市チェーホフ通41
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2013年12月12日撮影(病院裏手のアパート10階から撮影)
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必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第2弾(旧樺太守備隊衛戍病院)

衛戍(えいじゅ)病院とは、旧日本陸軍の駐屯地におかれた病院の事。
樺太の建物に関する文献によると、旧樺太守備隊衛戍病院はサハリンで最も有名な旧樺太庁博物館(1930年)より古い、明治41年(1908年)に竣工。
既に100年を経過しているものの、現在も一般住宅として立派に供用されている。
日本人の一人として、出来うる事ならこの建物も是非後世に残してもらいたいものです。

住所:ユジノサハリンスク市サハリンスカヤ通34B
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今でも当時の面影をしっかり残している。
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必見!サハリンの樺太時代の建物探訪(旧樺太守備隊司令官官舎)

皆さん。サハリンが嘗て日本領だったことは知っていますよね。
日露戦争後、ポーツマス条約(1905年)により北緯50度以南が日本領となり、太平洋戦争での敗戦(1945年)までの40年間、南サハリンは樺太と呼ばれる地となりました。
この間、当時の日本最先端の建築技術を投入したであろう建物が、今なお数多く現存しているのです。
今日はその中の一つ、旧樺太守備隊司令官官舎をご紹介します。
1908年11月に建てられたこの建物は、ゴシック風の佇まいを感じる一部木造作りの洋館。
現在は軍事裁判所として利用されています。

住所:ユジノサハリンスク市ネベリスカヤ通44a
アパートに囲まれて建っているため少々分かりづらい。
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今後、機会を見て古き樺太時代の建物をご紹介していきたいと思います。
乞うご期待!

必見!宝台ループ線

ホルムスク(旧真岡)から、道なき道を車で進むこと40分。更に、そこから徒歩30分。
秘境と呼んでも可笑しくない、そんな所に宝台ループ線はあった。
サハリンが樺太と呼ばれていた時代、豊かな森林資源を背景に、樺太各地で数多くの製紙工場が操業していた。
一方、その頃、冬期間、流氷によって閉ざされる大泊(コルサコフ)港に代わる生産物の積出し港として、不凍港である真岡港が注目され、真岡と樺太各地とを連結する路線建設が急務となっていた。
宝台ループ線とは、豊原(ユジノサハリンスク)と真岡を結んでいた豊真線の中でも、最大の難所であった西樺太山脈越えに建設された、そんな鉄路(宝台〜池ノ端)だった。
豊真線は終戦後も旧ソ連に引き継がれ利用されていたが、1994年冬の大雪によるトンネル内の崩落事故で、今ではベンスカヤ(旧奥鈴谷)〜ニコライチュク(旧池ノ端)間は廃線となっている。
以前には、ホルムスクから鉄路を利用したループ線見学ツアーもあったと聞くが、今では週末にダーチャに通う市民の足として、ニコライチュクまで運行されているに過ぎない。
正に、産業遺産としての価値が高い「宝台ループ線」。
日本全国の鉄ちゃん、鉄子の皆さん。ただ単に、眠らせておくのは勿体ないとは思いませんか?
近い将来、観光鉄路としての復活を心から願うばかりです。
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廃線となった今では、既にトンネル内の線路は撤去されている。
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ニコライチュク駅に停車する列車と、旧手井貯水池(写真上)。
道無き道と、列車が通らないため真っ赤に錆びた線路(写真下)
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必見! 旧王子製紙敷香(旧樺太)工場

先週、某新聞社の残留日本人の取材に同行し、ポロナイスク(旧敷香)を訪れた際、旧王子製紙敷香工場の遺構を探索してきました。
旧王子製紙敷香工場は、戦前、樺太に存在した9工場の内の一つで、戦後はソ連崩壊までの間、国営の製紙工場として稼働していたとのことです。

工場跡は、ポロナイ川(旧幌内川)の支流『チョロナイ川』沿いにある。
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往事の繁栄を伺わせる大工場跡。
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引込み線跡地には雑草が生茂げ、微かに枕木の痕跡を見ることが出来る。
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内部は完全に荒れ果て、危険な事、此の上無い。
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50mは在ろうか、と云う大煙突。100年後も在り続けることを感じさせる堅牢な造り。
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必見!アニワ岬灯台(中知床岬灯台)

7月21日、ロシア人の知人が所有するクルーザーでアニワ岬へ行ってきました。
訪問の目的は、クルージング自体が持つオプショナルツアー(日本人を対象)としての魅力度調査と、個人的には岬の突端にある『アニワ岬灯台(中知床岬灯台)』の訪問です。

アニワ岬は、日本側に向かって突き出る形で2つある岬の東側、コルサコフから直線で南東に100Km程の所に位置する岬です。
朝10時頃、コルサコフ港を出港。知人のキャプテンIとその息子S。
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2時間半程で目的地アニワ岬へ到着。
灯台は岬のさらに先、小さな岩礁にあり鴎の棲み処となっている。
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内部は廃墟と化しているが、ソーラーパネルが設置されていて、今現在も立派に供用(無人化)されている。
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アニワ岬までの海岸線には、世界遺産『知床』に似た風景が広がっている。
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