秋、サハリン女性のスタンダードファッション!

黒の革ジャンに黒のニットパンツ。またはジーンズ。
ナイスバディの人も、それなりの人も着こなす、秋冬限定のサハリンの若い女性のスタンダードファッション。
紅葉もさることながら、女性のファッションにも夏から秋への移ろいを感じる今日この頃です。
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サハリン縦断ツーリングのための、道路情報(2013.7現在)第4弾

サハリン縦断ツーリングのための、道路情報も今回が最終回。オハ近郊の様子をお伝えします。

オハで知り合ったジーマとコースチャ。171cmの筆者が小さく見える。両人とも190cm程の大男。
彼らに連れられ、オハ近郊を観光ツーリング。
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場所は今一不明。また、言葉もあまり通じず良くは判らなかったが、コインを打ち込んで祈ると、願いが叶うと云うオブジェ。
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サハリンで最初に採掘された油田跡(1928年10月)。今から90年ほど前から採掘されていたとは驚きだ。
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オハでは、海底ガス油田だけではなく、今でも陸上での石油採掘が行われている様だ。
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ネクラソフカ(オハから西へ30km)の海岸でバーベキューを楽しむジーマとコースチャの仲間達。気さくで人懐っこいロシア人。バーベキューを御馳走になる。
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物寂しいポムリ湾(汽水湖)
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ツーリング後は、ジーマのガレージで洗車。ユジノサハリンスクでの再会を、固く約束し握手。
本当に気さくで良い奴らだった。
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復路省略
ユジノサハリンスク到着時。走行距離はメーター読みで1,922km
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【プチサハリン縦断ツーリング情報】
道路状況は、3年前とは異なり明らかに改善されていて、コルサコフからスタロドブスコエまでだった舗装路が、ポロナイスクまで完全舗装化。
また、雨が降るとエンデューロコースと見間違うばかりに泥沼状態となっていたノグリキ〜オハ間は、砕石が投入され、一部を除き高速走行も可能なフラットダートに変貌。
今では、雨天であっても、オフロードバイクでなら、初心者でもサハリン縦断は可能だ。
写真は3年前のノグリキ〜オハ間。坂を登れないで立ち往生している大型トラック。
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オハ到着後のバイクの状態。まるで、エンデューロレース後の様。
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オハから更に北、コレンドー自然保護区(撮影3年前)。写真には無いが、オハ〜コレンドー間は、今でも雨が降ると泥沼状態(今回確認済み)。
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往復2千キロにもなるサハリン縦断ツーリング。体力に自信がなかったり、列車の旅も楽しみたい人へのお勧めプラン。ノグリキから夜行列車でユジノサハリンスクへ戻るのも一つのツーリングスタイル。
写真は3年前、ノグリキ駅でのバイクの貨車への積込みの様子と貨車内の様子。
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サハリンツーリングに関する問い合わせは、
稚内コルサコフ国際定期フェリーを運行するハートランドフェリー稚内支店(TEL0162-23-3780)へ。
http://www.heartlandferry.jp/sakhalin/index.html

サハリン縦断ツーリングのための、道路情報(2013.7現在)第3弾

第3弾は、ティモフスコエからオハまでの道路状況の報告です。

ティモフスコエを過ぎ間もなく、オハまでの距離336kmを示す標識。ここからがまた、ダートの始まり。
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スミルニィフ〜ティモフスコエ間によく似た、硬いフラットダートが続く。
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オハへの道は、ノグリキ市内中心部を通らないが、チョッと寄り道して市内散策。
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ノグリキ北近郊では、道路工事が真最中。
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ヴァル近郊の様子。明らかに北緯50度以南と植生の違いを感じる。また、ダートも砕石から粘土質に変わってきた。
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ノグリキ〜オハ間の中間地点にあるピリツン川。ノグリキ〜オハ都市間バスの乗り換え地点になっている。
料金は片道1000ルーブル。
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オハまで、残すところ、数十キロ。
粘土質の悪路が出現するも、ごくわずか。以前に比べ、道路改良は著しく進んでいるようだ。
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オハまで、後わずか。
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オハに到着。メーター読みで、ユジノサハリンスクから、894km 。街中心部の広場では結婚式が。
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サハリンツーリングに関する問い合わせは、
稚内コルサコフ国際定期フェリーを運行するハートランドフェリー稚内支店(TEL0162-23-3780)へ。
http://www.heartlandferry.jp/sakhalin/index.html

ユジノサハリンスクの『街の日』

先週の土曜日、ユジノサハリンスクの誕生を祝う『街の日』のイベントが、市役所前広場とその周辺の道路を閉鎖し、盛大に開催されました。
そもそも、ユジノサハリンスクの始まりは、1882年、当時のコルサコフ管区長官V・N・ウラジミール少佐の名前に因んだ開拓集落『ウラジミロフスカ』の誕生まで遡ります。
その頃、サハリン各地では次々と集落が誕生していましたが、『ウラジミロフスカ』はそれら開拓集落の最も古い一つとして誕生したものです。
その後、日露戦争を経て1908年8月に豊原。更に、ソ連侵攻の翌年(1946年7月)には、ユジノサハリンスクへと二度の改名を経て現在に至っています。
今年で開基131年となるユジノサハリンスク。毎年開催される式典、数々のアトラクションの規模も、石油天然ガス開発による経済発展に伴い、毎年盛大になってきているようです。
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子供達を楽しませる数々のアトラクション
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レーニン通特設会場でのプチスポーツ大会
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サハリン縦断ツーリングのための、道路情報(2013.7現在)第2弾

今回はポロナイスクからティモフスコエまでの道路状況の報告です。

ポロナイスクを通過し間も無く、ここが初ダートの始まり。
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ポロナイスク以北近郊も徐々に、舗装化が進んでいるようだ。
ダートと舗装路が、スミルニィフ(旧気屯)まで交互に続く。
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スミルニィフを後にしばらく進むと、『樺太・千島戦没者慰霊碑』の看板が。
スミルニィフから北緯50度線までは終戦直後も戦闘が続いた大激戦地。多くの人命が失われた地だ。
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旧国境線の町、ロシノ(旧半田沢)。かつての激戦を物語るトーチカに、未だに残る弾痕。
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北緯50度線の対日戦勝記念碑。そこから林の中に100m程入った所にある旧国境の標石の台座。
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旧ソ連側の旧国境の町オノール。すでに、メーター読みでの走行距離は、400km を超える。
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大きな砕石が敷き詰められたダード。グレイダーを掛けているものの、激しい振動が手・腕に伝わる。
パンク、ボルトの緩み、そして荷物の落下に注意が必要だ。
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ティモフスコエ近郊、ダートと舗装が交互に続く。
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初日、ティモフスコエに宿泊。
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サハリンツーリングに関する問い合わせは、
稚内コルサコフ国際定期フェリーを運行するハートランドフェリー稚内支店(TEL0162-23-3780)へ。
http://www.heartlandferry.jp/sakhalin/index.html

サハリン縦断ツーリングのための、道路情報(2013.7現在)第1弾

7月中旬、3年ぶりにサハリン縦断ツーリングに挑戦。4泊5日の旅に出た。
今回の旅の目的は、既にご紹介しているように、サハリン縦断ツーリングを目指すライダーのための、GS、カフェ、ホテル、そして、肝心の道路状況の取材。
それでは、サハリン縦断ツーリングの全貌を4回に分けお伝えします。

ユジノサハリンスクを出発して30分。オハまでの道のり(832km)を示す標識。
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宮澤賢治の不朽の名作『銀河鉄道の夜』のモチーフになったとされる白鳥湖(レビラジェリ湖)。
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真っすぐな道と北海道の風景と見間違うばかりの大自然。ロシア国旗が無ければ、正に北海道そのもの。
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ヴズモーリエ(旧白浦)へ到着して間も無く、一つ目の橋を渡って右折、海岸へ向かう。皇紀2600年記念と刻まれた鳥居が今も残る。
駅前には、ヴズモーリエ名物「カニを売る露店」が並ぶ。
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イリンスキー(旧久春内)への分岐点。2百数年前、間宮林蔵が樺太探検をした際、アイヌ人に船を担がせ横断した、東西にサハリンで最も狭い区間(約30km)。オハへはマカロフ(旧知取)方面を直進。
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マカロフへ到着。ストレスのない快適な道は、まだまだ北へ続く。
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ポロナイスク(旧敷香)まで12km。そして、最北の街オハまで578kmの地点。ハマナスを始めとする野生の草花が咲き乱れる。
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サハリンツーリングに関する問い合わせは、
稚内コルサコフ国際定期フェリーを運行するハートランドフェリー稚内支店(TEL0162-23-3780)へ。
http://www.heartlandferry.jp/sakhalin/index.html

道北物産展 in サハリン

先週の土日(9/7・8)、ユジノサハリンスク市内最大のショッピングセンター『シティモール』において、道北6市(稚内、旭川、紋別、名寄、士別、留萌)主催による物産展が盛大に開催され、スイカ、メロンの果物を始め、米、野菜等の道産品の他、北海道由来の食材を使用した加工品、民芸品が販売されました。
中には、販売と同時に完売してしまう物もあり、改めて日本の食材に対する人気の高さを再認識すると伴に、ここでの販売価格が日本の2倍〜3倍もしていたにもかかわらず、アッという間に売れてしまった現実に、いつもながらサハリンの方々の購買力に驚かされた次第です。
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開会式には6市長の他、北海道高橋知事も列席
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稚内市サハリン事務所への行き方

今年に入ってから『アムールスカヤ通の窓から』をご覧になって下さっている方々の当事務所への訪問が急増しています。
ただ、当事務所はユジノサハリンスク駅から徒歩5分、町のど真ん中にある割には、とても分かりづらい所にあるため、いつも『迷ってしまいました』と云う、お話をよく耳にします。
『アムールスカヤ通の窓から』をご覧の皆さん。当事務所へお越しの際は、下記の地図をご参考下さい。
ユジノサハリンスク市アムールスカヤ通62A-103号室(1F)
稚内市サハリン事務所からのお知らせでした。
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見習いたい! サハリンの交通マナー

「皆さん。近頃、信号機の無い横断歩道の前で、道路を渡ろうとして立っていても、中々車が止まってくれない、な〜んて事ありませんか?」
写真は、平日の朝8時半頃、ユジノサハリンスク中心部にある信号機の無い横断歩道での一コマ。
ご覧の通り、ここサハリンでは、歩行者優先が徹底していて、略100%止まってくれます。
そのためなのか、左右の安全確認をしないまま横断する人も結構いて、少々驚かされたりします(稚内でも、ロシアの方が突然、横断歩道を渡るのも、そのため?)。
日本には、『車は急に止まらない』と云う交通標語がありますが、サハリンではすぐに止まるものと信じられているのでしょうか?
日本で忘れ去られつつある歩行者に対する優しさ。
日本のドライバーの皆さん。もう一度、初心に帰って見習ってみては如何でしょうか。
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2013年08月 2013年10月