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第1話: 状況が悪化する時
"かの図書館"The Libraryを手際良く快適に通り抜けた後、アリオットとアイリスは横に踏み出して壁をすり抜け、LEDの青く柔らかな点滅光だけが照らし出す空調の効いたサーバールームへと入り込んだ。
「オッケー、足元に気を付けなね。床には何も置いてなかったはずだけど用心に越したことは イッテェなこん畜生!!! ボケが!!! 足の指ぶつけただけ、大丈夫、銃が山積みになってっから気を付けなね」
「アリオット、なんで銃がサーバールームの床に山積みになってんの」
「銃置く部屋のスペースが無くなっちゃってさ。ああ、ここがドアだよ」
「言っちゃなんだけど、あんまりパッとしないアジトだね」 本当にパッとしない場所だった。外の廊下はコンクリートの床にシンダーブロックの壁、天井を覆う露出した配管という侘しさだった。「もっとこう、セクシーサイバーパンク阿片窟みたいなのを予想してたんだけどな。工業団地の駐車場の共同溝とかじゃなくって」
「オッケー、まず第一に、アタシには"アジト"は無い。スーパーヴィランじゃないんだから。第二に...」 二人はエレベーターに乗り込み、上方へと加速した。「ちょい待ち、ドラマチックな間を挟むタイミングしくったわ。やり直し。第二に...」
エレベーターのドアが開き、セクシーサイバーパンク阿片窟が現れた。サイケデリックなタペストリーやバンドのポスターが、薄型モニターや武器の収納棚を相手取って壁面スペースを競い合っている。照明は仄暗く妖艶な、リンゴ型の天井ランプから投げかけられる柔らかい金色の光。部屋の中心には、脚部分に華麗な彫刻を施した低いテーブルがあり、その上は解体されたサイバネティクス、空だったり食べかけだったりするテイクアウト容器、各種の薬物用具、ゲームコントローラー、タロットカード、ナイフ、多面ダイス、チープなSFのペーパーバック本、ばらの弾薬等々、突拍子もなく興味深い人生を象徴する儚い収集品エフェメラで覆われていた。テーブルの周りには座り心地の良さそうなソファが幾つかあり、うち二つには先客がいた。
「ねえ、アリオット、君が三つ子だなんて知らなかった」
「双子じゃない。彼女は - え、三つ子?」
部屋にいたのはどちらも、アイリスが見た限りでは、実質的にアリオットのコピーだった。片方は、両手が血肉を備えていて、顔面にクールな幾何学模様のタトゥーがあるのを別とすれば、ほぼ完全に同一人物だった。もう片方は、シルクハットや阿片チンキと同時期に流行遅れになった、緻密なルーン文字の刺繍がある黒のローブっぽいものを着ていた。
「うわ出た。アイリス、こちらはアレックス」 普通な見た目のアリオットが手を振った。「そしてこいつは、残念ながら、アリーソン」
「緋色の女が歓迎するわ、闇の淑女。どう -」 アリーソンは突然口をつぐみ、アイリスの背後を見て片眉を吊り上げた。アイリスが振り向くと、アリオットは天井を見ながら何食わぬ顔を懸命に保とうとしていた。
「闇の淑女? どういう意味、闇の淑女って?」
「ああ、ごめんなさい、あなたは... 私の友人に似ているのよ」 アリーソンは眉をひそめた。「もしかしたら"友人"は正しい言葉じゃないかもしれない。ビジネスパートナーと言うべきだったかしら。でもあなたは彼女に瓜二つだわ」 相変わらず目を合わせまいとするアリオットに、彼女は意味ありげな視線を投げかけた。
「ふーん」 アイリスは一人一人を順番に睨んだ。気まずい沈黙が続き、やがてアレックスがそれを破った。
「あっ、アンタさ、荷物を置いてきた方がいいんじゃないかな。ゲストルームは廊下の向こうだったよね? 右の二番目のドアだよ」 アレックスもやはり意味ありげな目つきをした。みんな全く同じ表情を浮かべている。しばらくするとちょっと薄気味悪くなってきた。「ちょっと休憩してきな。昼寝でもするといいよ、今日は大変な一日だったろうしさ」
アイリスは自分が追い出されようとしているのを察したが、事を荒立てないように努めた。ゲストルームはアジトの他の部分に比べてやけにミニマリストであり、家具はIKEAで壁は剥き出しだった。彼女は自転車を隅っこに立て掛け、バッグをベッドに放り出し、すぐさま忍び足で廊下を引き返して盗み聞きを始めた。
誰かが音楽を掛けたらしいが - きっとアリオットだろう、彼女がいつも人に勧めていた'90年代のディスコーディアン・アシッドハウス・バンドの曲だから - それでもアイリスは会話の一部を漏れ聞くことができた。アレックスかアリオットのどちらかが、明らかに動揺した口調で何か言っている。「... 敵だろ! もしかしたら ... 世界のな、だけど ... マザーファッカー ... 自分のアジトだろ?」
「爆乳ディスコルディアよ!Discordia's tits!」 うん、この感嘆詞は絶対にアリオットだ。「... ガキなんだ! 同じじゃない ... 単なる二流の奇跡術師だよ!」 ワオ。失礼な。「... れ出したのさ、その時 ... 誘拐だぞ!」
アリーソンは他の二人と違ってイギリス人らしく、しかも身の毛がよだつほどお高い寄宿学校教育を受けた人間特有の訛りがあった。「... お友達というわけでは ... 時には聖書的な ... 互いに肉欲を満たし合う ...」 なんのこっちゃ。「... とある会員制クラブで ... サッポーの信奉者たちが -」
「誰もそんな話 ... がファックした並行 ... アンタはいっつも ... 知りたくないっての!」 これは多分アレックスだ。アリオットと違って、控えめなカリフォルニア女子風の尻上がりイントネーションがある。
「あら、やめてちょうだい ... 私個人の嗜好に ...」 そこで曲が終わり、唐突な沈黙の中で、アリーソンは叫ぶように宣言した。「彼女が私をファックしたの。この際言わせてもらうけどね、私の世界のアイリスは最高の愛人だったわ」
「何言ってんすか」 アイリスは黙っていられなかった。居間から三つの同じ息を呑む音が聞こえ、彼女は入室した。「いや、マジで何言ってんすか」 誰も目を合わせなかった。
「えっと」 アリオットがおずおずと顔を上げた。「ごめんね?」
「それだけ? なんか陰でコソコソ話してるかと思えば、並行世界の私をファックしたとかどうとかって、どういう...」 アイリスは言葉を切り、目の前にいる三つの同じ顔を見つめた。「あ! そゆことね」
「さてさて。説明する義務がありそうだわ」 アリーソンもようやく顔を上げ、ウィンクした。「ちなみにだけど、あなたが私をファックしたのであって、わた -」
「今は止しな」 アリオットが立ち上がった。「よーし。アタシはコーヒー淹れてくる。その後、みんなで事情を説明する」
「うん。いいよ。了解」 アイリスは嘆息しながら、アリーソンの向かいのソファに座った。「ねえ、パイプ借りていい?」
「ああ。ハッパは頭蓋骨の中だよ」
コーヒーテーブルの上には、人間・非人間合わせて少なくとも七つの頭蓋骨があった。「ん... どの頭蓋骨?」
「全部」
「ホントに俺たちここにいていいのか? 噂は色々聞いてるんだ... もし通報されたらどうするよ? キャンパス警察にさぁ」 アルフォンス・カルティエは、バケットハットの下から神経質に辺りを見回し、茂みや木陰に秘密警察が潜んでいないかを片っ端からチェックした。金曜日の夜だというのに、ディア大学の中庭は驚くほど空いていた。きっと今夜は楽しいパーティーが校外で続々開かれているに違いない。「そいつらは人を消すんだ、スキッター! 死体は絶対に見つからない! エディを知ってるだろ、エドゥアルド・サンクレール、あいつはここで開催されたレイブに出かけて、六週間も行方不明になったんだぞ! メイン州でほとんど緊張病みたいになって見つかってさぁ、それ以来ずっと様子がおかしいんだぜ!」
スキッター・マーシャルはエディをよく知っていた。彼の基準から見てもエディはゲボカス野郎であり、同情の念は全く湧いてこなかった。彼は溜め息を吐いた。「アルフォンス、ここで誰かに睡眠薬を盛ったりしない限り、そんな目には遭わないと思うよ。落ち着きな」 袖をまくり、腕時計を確認する。「連絡した相手はもうすぐ来るはずだし、彼はここの学生だ。それも非常に重要な学生だ。だから彼が庇ってくれる」
「そうか、でも、俺そいつのこと知らねえんだよな。お前はどうやって渡りをつけたんだ?」
「彼の父は、僕の父と取引をしている。彼の父は... 輸出入スペシャリストなんだ」
「密輸業者のことか?」
「霊魂の導き手サイコポンプのことさ。おっ、来たようだぞ」
硫黄臭のする煙が芝生の一画から立ち上り始めた。草が萎れ、この世のものならざる非光unlightを放つ黒い炎に包まれた。アルフォンスは堪らず目を逸らし、拷問からの解放を懇願する魂たちの叫びが不協和音となって響き始めると、耳に指を突っ込んだ。(スキッターが平然としているのに彼は気付いた。いつものことだ。) その音が静まると、芝生の上には焼け焦げて燻る草の五芒星があり、その中には屍のように蒼白で、真紅の目を持ち、生々しい鮮血に塗れた顔の男が立っていた。「蛇ノ息子ヨリ汝ラニ挨拶ヲ送ル、マモンノ下僕ドモヨ」 男の声は鼓膜に打ち込まれる氷のように冷たい釘であり、魂という名の黒板を削る鉤爪であった。「地獄ノ王子ニシテディア大学学生自治会長、モルデカイ・ディアボルスニ汝ラハ何ヲ求メルカ?」
スキッターは何度か瞬きしてから、自分の頬を指で叩いた。「あー、君。なんか付いてるぞ。ここ。あとここ。いや、そこら中に付いてるな」 よくよく見ると、アルフォンスが鮮血だと思っていたのは口紅だった。それはもう凄い量の口紅だった。「良ければ、あー、顔を洗ってからやり直すかい? なかなか迫力があったけど、キスマークでちょっと雰囲気が削がれた気がする」
モルデカイは頬を擦り、手を確認してから溜め息を吐いた。「いや、今更だ。さてと。アイリス・ブラックを探しに来たらしいな」
「...どうしてそれを?」 スキッターは驚きを声に出した。「僕はまだ何も...」
「俺には俺の伝手があるのさ」 反キリストの口から聞いたことがない限り、人は"自慢話"という言葉の意味を真に知っているとは言えない。アルフォンスにはこの男のドヤ顔から滴る慇懃無礼さが目に見えるようだった。「そしてだな、たまたま俺はあいつの行き先を知ってるんだよ。付いてきな」 モルデカイは早足で中庭を歩き始め、マーシャルとカーターはその大股歩きに遅れまいとして半ばジョギングするように後を追った。
「じゃあ、つまり」 案の定リンゴ型だったパイプを持ったまま、アイリスは曖昧な身振りをした。「君たちは全員同一人物だけど、他の世界から来てる。どの世界にも君たちが一人ずついる。多元宇宙だっけか。どうでもいいけど。そして、多くの世界には私も存在してて、大抵は邪悪な金持ちのために経営されてる邪悪な金持ちクラブの元締めをしてる。この世界の私は違うけど、クソスーツ野郎とフランス男は私をそういう立場にしたいから、極悪非道な目的で私を誘拐しようとしてる」 彼女はまたパイプをふかした。ハイにならなければやってられない状況である。
「ああ。そういうことさ」 アリオットはそっくりさんたちと先程よりも真剣な視線を交わした。アイリスはこのやり取りを見るのにうんざりし始めていた。「そうだ、もう一つ言っておかなきゃな。アタシとしてもさ、困ってるダービー仲間を救ってやりたいgive succorのは -」
「顔も知らねえのにようI 'ardly know 'er」 アレックスは片手を上げてハイタッチを待った。誰も応じなかった。「ちょっと、勘弁してよぉ。小粋なジョークじゃん。アンタたちはノリ悪すぎなんだ」
「ダービー仲間を支援してやりたいgive assistanceのは山々なんだけどね、うん... できることはあまり無いかな」 アリオットはきまり悪そうに笑いかけた。「アタシさ、今、色んなことに手を広げすぎちゃってるんだ。それにMCDは敵に回すと厄介な連中だからさ。二、三日ぐらいならここに泊めてあげられるし、当座のカネもある程度用意するよ。偽札でも良いならもっと。だけど、そのぅ...」
「いいよ、分かってる」とアイリスは言った。「私の方でどうにかする。多分スリーポートからは逃げるべきだよね、あいつらが探しに来るだろうし。あ、ところで私たちが今いる場所はどこ?」
「ユーテック。滞在はお勧めできないわ。最低の街だから」 アリーソンが冷笑した。「ドイツ人だらけよ。おまけにフランス人も」
「しかも官僚主義が蔓延ってるから、EUの市民権が無い限りは職に就く必要があるんだよ。さっき言った通り、アタシもできればアンタの仕事を見つけてあげたいけど...」 アリオットは肩をすくめ、言葉を濁した。
「手一杯なんだよね、了解。イギリスの市民権なら持ってる。でも... ブレグジットがあったから。だからどっちみち超長期的な解決策にはならないよね」
「奴らが絶対探しに来ない場所、どこだか分かる?」 アレックスが思慮深げに顎を撫でた。「ファッキン中部アメリカさ。アレだよ、クリーヴランド辺りに引っ越しな。髪切って、名前も変える。スターバックスに勤める。絶対見つかりっこないね」
「...ふぅん」 アイリスは眉をひそめた。「あーあ、最悪。でも上手くいきそうな気がするよ。クリーヴランドには絶対行かないけどね、くたばれオハイオ州。シカゴは魔法に詳しい人が多すぎる。ミルウォーキーにしようかな。それかミネアポリス。だけど、車が必要になる」
「ああ」 アリオットが頷いた。「アタシが車を調達する」
「運転免許証も。あと、運転の速習講座。生まれてからずっとスリーポート住みだったから、一度も車走らせたことないんだ」
アリオットは嘆息した。「そっちもどうにかするよ」
「よっしゃ。あいつはいつもここに一服しに来る」 モルデカイは年経た松林の中にひっそりと存在する切り株を身振りで指した。彼はキャンパスの中心部を貫いて伸びる鬱蒼とした渓谷、ディア・キャニオンへと二人を案内し、曲がりくねった小道を何本も通っていた。アルフォンスはすっかり道に迷っていたが、スキッターがかなり自信ありげに見えるので心配するのを止めることにした。(上手くいかなかった。) 「あと、おぅ、五分程度で来るはずだから、その時に捕まえりゃいいさ。報酬は朝までにビットコインで振り込んでくれよな。あばよっ!」 朗らかに手を振って、モルデカイは来た道を引き返していった。アルフォンスとスキッターは短い待ち伏せを開始した。
五分が過ぎた。そして十分、十五分、二十分。雨が降り始めた。二十五分が経過した時、アルフォンスはスキッターにもう帰ろうと言うつもりで振り返った。スキッターはいなかった。「え。スキッター?」 パニックに襲われながら周囲を見回す。「スキッター、冗談は止せ。俺が不安障害持ちだって知ってるくせに」 相方を必死に探しつつも、彼は帰り道の方へと歩き始めた。しかし、そこにはもはや道は無かった。密集した木々が壁を作っているばかりだ。「スキッター?」 誰かが肩を叩いた。「ああっよかったぁ、俺...」 振り返ると誰もいなかった。ただの木の枝だ。しかし、先程までここに木は無かったはずだった。「スキッター、面白くないからもう止めてくれ。どこにいるんだ?」
風と雨の中にかすかな囁きが聞こえて、アルフォンスは耳を澄ました。また聞こえた。「足... 元...」 息を詰まらせ、くぐもったスキッターの声だった。アルフォンスが下を向くと、湿った土の中に半分埋もれ、首周りに木の根が巻き付いたスキッターの顔があった。
悲鳴を上げるより先に、木々がアルフォンスに掴み掛かった。
« ビッグ・サプライズを見る目無し || 最新モデルの逃走用ジープ || 思いもよらない胸糞展開 »
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「最新モデルの逃走用ジープ」著作権者: ch00bakka、C-Dives 出典: SCP財団Wiki http://scp-jp.wikidot.com/latest-model-getaway-jeep ライセンス: CC BY-SA 3.0
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