洋上油井・ガス井からのメタン排出の確認:
温暖化対策に有効な観測手法に向けて(お知らせ)
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ同時配付)
独立行政法人国立環境研究所
地球環境研究センター
地球大気化学研究室長 谷本 浩志
地域環境研究センター
広域大気環境研究室 研究員 奈良 英樹
本論文は、9月30日付でネイチャー・パブリッシング・グループ発行のオープンアクセスジャーナル「Scientific Reports」に掲載されました。
(http://www.nature.com/srep/2014/140930/srep06503/full/srep06503.html)
1.背景
メタンは、二酸化炭素(CO2)に次いで2番目に大きい温室効果を持つガスとして知られています。また、グローバルな対流圏オゾンの濃度を維持するのにも寄与しており、直接的・間接的に気候変動や大気質に関与しています。メタンの大気中寿命は約9年と温室効果ガスの中では短く、メタンの排出を削減できれば近未来の温暖化を抑制・緩和する効果が大きく、近年ではSLCP(用語説明) (Short-Lived Climate Pollutants, 短寿命気候汚染物質)として近未来の温暖化対策の面から注目されています。これらSLCPの排出削減は、CO2対策までの「時間稼ぎ」ができる点で政策的にも重要な意味を持ちます。また、仮にCO2削減を今すぐ始められたとしても、その効果はすぐには得られない現実もあるため、(将来世代のための温暖化抑止にはCO2削減に加えて)現役世代のための温暖化抑止にはSLCP削減が必須と考えられています。
一方、大気中のメタン濃度は産業革命以前の濃度レベルの700 ppbから増え続けていますが、メタンの長期変化傾向の要因は十分に解明できておらず、発生源の把握も十分にできていない状況にあります。メタンのグローバルな排出量は、人為起源と自然起源をあわせて年間約550 Tg(テラグラム)と推定されており、油井・ガス井からの漏えいは世界中の排出の1割程度、人為起源排出の2割程度を占めます。近年では、アマゾンや南アジアなどで、これまで認識されていないメタンの発生源の存在が見つかっており、メタンの発生源についての理解がまだ不十分であること、観測の空白域であるアジア地域におけるメタン観測が必要であることが指摘されてきました。
2.定期貨物船を用いた大気中メタンの長期観測
メタンなどのSLCPは大気中寿命が短いために濃度分布が不均一になりやすい特徴があり、また発生源の分布も非一様であるため、適切な対策の策定に資する科学的な知見を得るには、高い空間分解能で、かつ地域的・世界的に均一な観測を行うことが必要です。しかしながら、SLCPの濃度分布や変動要因の把握、関連する前駆物質の発生源の分布に関する知見は断片的でした。特に、海洋上の排出源は把握することが困難で、現在広く行われている地上観測所におけるモニタリングからは検出できませんでした。
そこで国立環境研究所では、鹿児島船舶(株)ならびにトヨフジ海運(株)の協力を得て、外洋における清浄大気を観測できる日本-オセアニア航路と、アジア沿海域における地域的汚染大気を観測できる日本-東南アジア航路においてSLCPの長期観測を行っています。二つの特徴的な船舶観測の対比により、東アジア地域からの排出量を把握することを目的としています。
当該船舶の観測室に、レーザー光を利用した新しい高速分析法であるキャビティリングダウン分光法(Cavity Ring-down Spectroscopy, CRDS)を設置し、二酸化炭素、メタンなどの連続観測を複数回にわたって行いました。そのデータを用いて排出量を推計し、既存のインベントリや衛星観測と比較・解析しました。
3.結果
図1に、東南アジア地域におけるメタンの緯度分布を示します。東南アジア地域において顕著なメタンの濃度増大(ピーク)が多く観測されました。時間は短いもののメタン濃度の増加量は非常に大きく、発生源が近いことを示唆していました。また、これらのピークが観測された場所は、マレー半島の東沿岸部とボルネオ北西沿岸部の2つのエリアに集中していました。
観測されたメタンの排出源を明らかにするため、米国海洋大気庁による米国空軍防御気象衛星プロジェクト・Operational Linescan System(DMSP/OLS)センサーで観測された夜間光(night-light)のデータを調べたところ、油井・ガス井由来のガス燃焼(ガスフレア)のホットスポットが存在することが分かりました。また、ホットスポットの多くは、定期貨物船で観測されたメタンピークの近傍に位置していました(図2)。
メタンはガスフレアやベント(排気)、リーク(漏れ)、蒸発・飛散といった漏えい排出物として、CO2とともに油井・ガス井から排出されることから、観測されたメタンの濃度増大はこの海域における洋上油井・ガス井からの排出であったことが示唆されました。また、DMSP/OLSで観測された油井・ガス井の分布をEDGAR(Emission Database for Global Atmospheric Research)v.4.2インベントリと比較したところ、マレー半島の東沿岸部での分布に違いが見られたことから、分布の推計に大きな不確実性があることが分かりました。
次に、これらの観測結果を用いてメタンの排出量を推定したところ、東南アジアにおける洋上油井・ガス井における排出は0.1 (誤差範囲:0.02-0.32) Tg/yr であり、東南アジア全体の人為起源発生源の0.2%を占めることが分かりました。誤差範囲はメタンとCO2の比には大きな幅があったことを反映しており、油井・ガス井からの排出にはさまざまな生産プロセスが関与して変化していることが分かりました。
東南アジアだけでなく、北海、ペルシャ湾、ギニア湾、メキシコ湾なども含めて洋上油井・ガス井からの排出量をグローバルに推計すると1-2 Tg/yrとなり、森林火災や永久凍土などの発生源と同程度であることが確認されました。油井・ガス井に由来するメタンの排出量は、2010年から2020年にかけて35%近くも増加すると推測されており、今後、洋上の油井・ガス井からのメタンの排出量をより正確に把握し、モデルやアセスメントに用いられるメタンの排出インベントリを改良するために、さらなる観測的知見が必要であると考えられます。
4.解説と今後の展望
本研究における新しい高時間分解能観測により、マレーシアやインドネシアの沖合で油井・ガス井からのメタン排出が明瞭に観測され、ある程度のメタン漏出が起こっていることを実際に確認しました。油井・ガス井からの漏出は世界のメタン排出の1割程度を占めることが分かっており、当該地域におけるメタン排出源の存在と推計された排出量は想定の範囲内です。従って、未知の排出源を発見したわけではありません。また、我々の推計にはまだ誤差が大きいことに留意する必要があります。
メタン排出源には人為的・計画的な排出抑制が難しく、総排出量の約半分を占める自然発生源(湿地やシロアリなど)も多い一方、対照的に油井・ガス井からの排出は人為的対策が可能であり、その排出抑制は大きな温暖化対策効果を有すると考えられます。今後、我々の観測手法のさらなる展開、および、衛星観測や航空機観測等とのマッチングで推計の定量性が上がれば、当該地域のメタン漏出が一般的な技術による程度のものなのか、あるいは、対策技術の高い先進国の油井・ガス井より漏出が多いかどうかを知ることができ、適切な排出抑制対策が行われているかどうかを判断する良い指標になると考えられます。また、日本が提唱した新たな温暖化対策の枠組みであるJCM(用語説明) (Joint Crediting Mechanism, 二国間クレジット)の有効な活用対象になりうると思われます。
なお、本研究は地球温暖化研究プログラム PJ1「温室効果ガス等の濃度変動特性の解明とその将来予測に関する研究」および東アジア広域環境研究プログラム PJ1「観測とモデルの統合によるマルチスケール大気汚染の解明と評価」の一環として実施されました。また、環境省の地球環境保全等試験研究費(地球一括計上)「アジア・オセアニア域における長寿命・短寿命気候影響物質の包括的長期観測」の支援を受けました。
参考文献
用語説明
SLCP
温室効果を持つ大気汚染物質はSLCP(Short-Lived Climate Pollutants, 短寿命気候汚染物質)と呼ばれ、具体的にはブラックカーボン(すす、黒色炭素エアロゾルとも呼ばれる)、対流圏オゾン、メタン、一部の代替フロン類など、大気中寿命が短い物質が中心です。これらSLCPを全て足し合わせた温室効果はCO2にほぼ匹敵します。
最近、近未来(2030-2050年)の温暖化を抑制するとともに、北極やヒマラヤなど気候変化に対して特に脆弱な地域において氷床・氷河が融けてしまうなどの壊滅的被害を避けるためにはSLCPの削減が有効であり、将来(2100年)の温暖化を2°C以内(2°C以下であれば、被るリスクが小さいと予想されている)に抑制するためにも、長期的なCO2削減努力に加えてSLCPの削減対策を行うことが効果的である、との新しい知見が発表されました。
2012年に発表されたShindell らの研究では、複数の削減シナリオによる2070年までの温度上昇の予測が報告され、今すぐCO2規制を始めた場合、2070年には一定の効果が見られますが、2040年までは何も規制しない場合と大差がないことが分かりました。一方、メタンとブラックカーボンの規制には即効性があり、2040年までの温度上昇を抑制するには大きな効果がありました。この両者を組み合わせた場合に2070年における温度上昇を最も低く抑えられ、予測値の不確実性もまた小さくなることが分かりました。
これを受けて、国連環境計画 (UNEP)や世界気象機関 (WMO)といった国際組織では、科学者や政策担当者が協力して2011年に報告書を発行するなど、行政機関や国際政治の動きが急速に活発化しています。2012年5月にはG8サミットでも取り上げられ、UNEPでは「SLCP削減のための気候と大気浄化のコアリション(連携)」(Climate and Clean Air Coalition, CCAC)(http://www.unep.org/ccac/)を設立し、日本も参加を表明しました。[参照元へ戻る]
JCM
発展途上国の排出源については、途上国にその責を負わせるべきものではなく、その実態を把握することにより、有効な対策計画を策定することが重要です。対策効果の評価にはまず実態の把握が必要であり、これら途上国の対策強化は日本が積極的に支援することになっていますが、効果の高い対策を優先させるのが合理的です。日本が提唱した新たな温暖化対策の枠組みであるJCM(Joint Crediting Mechanism, 二国間クレジット、インドネシアとは既に協定済み)において、現時点では資源採掘に伴う温暖化ガス排出の対策は対象外ですが、今後の削減量の大きい対策になる可能性があります。JCMにおいては、削減量の透明性が求められており、実態把握から進める必要があると考えられています。[参照元へ戻る]
問い合わせ先
独立行政法人国立環境研究所 地球環境研究センター
地球大気化学研究室長 谷本浩志
電話:029-850-2930
E-mail: tanimoto(末尾に@nies.go.jpをつけてください)
関連新着情報
-
2025年10月15日new!報道発表—温室効果ガス削減を目指して—
大阪都市部のメタン排出を移動観測で詳細に調査(大阪科学・大学記者クラブ、文部科学記者会、科学記者会、筑波学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配付) -
2025年7月7日報道発表アジア低緯度域からの放出増加により
大気メタン濃度が急上昇(2020–2022年)
—多様なプラットフォームの観測データを活用した放出量推定—(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会、宮城県政記者会、東北電力記者クラブ、文部科学記者会、科学記者会、大学記者会(東京大学)、立川市政記者クラブ同時配付) -
2025年7月7日報道発表長期観測データの統合解析から
2022年までのメタン濃度の変動が明らかに
—国環研と協力機関による日本独自の観測の貢献—(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配付) -
2024年11月1日報道発表CO2以外の温室効果ガス排出削減が温暖化を減速させていることを検出
〜1998年から2012年の温暖化減速期についての分析〜
(文部科学記者会、科学記者会、環境記者クラブ、環境記者会、筑波研究学園都市記者会、神奈川県政記者クラブ、横須賀市政記者クラブ、青森県政記者会、むつ市政記者会、高知県政記者クラブ、沖縄県政記者クラブ、名護市駐在3社) - 2024年9月6日更新情報波照間・落石岬ステーションにおける大気メタン濃度観測データとして、2024年3月までのデータを追加公開しました。
-
2024年4月17日報道発表同位体モデルと精密観測によりメタンの「足あと」を辿ることが可能に
〜メタンの放出量削減には農業およびごみ埋立における対策も重要〜(文部科学記者会、科学記者会、宮城県政記者会、東北電力記者クラブ、神奈川県政記者クラブ、立川市政記者会、筑波研究学園都市記者会、横須賀市政記者クラブ、青森県政記者会、むつ市政記者会、高知県政記者クラブ、沖縄県政記者クラブ、名護市駐在3社同時配付) -
2023年9月26日報道発表冬季の湿原におけるメタン排出推定値の精度向上
湿原モデルは北方湿原からの冬季メタン放出量を過小評価していた(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配付) -
2023年9月11日報道発表「いぶき」(GOSAT)と「いぶき2号」(GOSAT-2)の温室効果ガス濃度の整合性調査
— GOSATシリーズによる温室効果ガス濃度の長期間データ整備の取り組み —(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配付) - 2023年4月18日報道発表「いぶき」(GOSAT)の温室効果ガス濃度推定手法の更新—衛星観測による温室効果ガス濃度の新たなデータセット—(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配付)
-
2022年11月28日報道発表衛星観測データのモデル解析により中国北東部におけるメタン漏洩が明らかになりました
〜温室効果ガス観測技術衛星GOSAT(「いぶき」)の観測データによる研究成果〜
-
2022年3月10日報道発表メタンの全大気平均濃度の2021年の年増加量が
2011年以降で最大になりました
〜温室効果ガス観測技術衛星GOSAT(「いぶき」)の
観測データより〜(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配付) - 2021年12月14日報道発表衛星観測が捉えた南米亜熱帯地域のメタン放出量と気象の関係 〜温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」によるメタン推定値と降水データの解析〜(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会、文部科学記者会、科学記者会同時配付)
-
2021年1月29日報道発表過去30年間のメタンの大気中濃度と放出量の変化
:化石燃料採掘と畜産業による人間活動が増加の原因に
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会、千葉県政記者クラブ、文部科学記者会、科学記者会同時配布) -
2020年11月17日報道発表温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」(GOSAT)のプロキシ法によるメタン濃度推定の誤差補正
〜10年間の観測データの解析〜(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配布) - 2020年11月12日報道発表温室効果ガス観測技術衛星2号「いぶき2号」(GOSAT-2)による観測データの解析結果(二酸化炭素、メタン、一酸化炭素)と一般提供開始について(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配布)
-
2020年8月6日報道発表世界のメタン放出量は
過去20年間に10%近く増加
主要発生源は、農業及び廃棄物管理、
化石燃料の生産と消費に関する部門の人間活動(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会、文部科学記者会、科学記者会同時配付) - 2019年7月5日報道発表温室効果ガス観測技術衛星2号「いぶき2号」(GOSAT-2)の観測データのプロキシ法による解析結果(メタンと一酸化炭素)について(筑波研究学園都市記者会、環境記者会、環境省記者クラブ同時配付)
-
2019年6月17日報道発表東アジアのメタン放出分布をボトムアップ手法で詳細にマップ化(お知らせ)
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、文部科学記者会、科学記者会同時配付) - 2018年1月10日お知らせ公開シンポジウム『地球温暖化と大気汚染による影響の軽減に向けた新たな取り組み-短寿命気候汚染物質(SLCP)の影響評価とその削減対策-』開催のお知らせ【終了しました】
-
2017年11月21日報道発表
西シベリア上空のメタン濃度は高度によって上昇度に差異があると判明(筑波研究学園都市記者会、環境省記者会、環境省記者クラブ、文部科学記者会、科学記者会、宮城県政記者会同時配布) -
2017年5月16日報道発表東アジアの炭素収支の問題に決着:
東アジア陸域生態系によるCO2吸収は進んでいない
—中国からの人為起源排出量のバイアス影響を新たな手法で評価—
(文部科学記者会、科学記者会、神奈川県政記者クラブ、横須賀市政記者クラブ、青森県政記者会、むつ市政記者会、高知県政記者クラブ、沖縄県政記者クラブ、名護市駐在3社、筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ同時配付) -
2016年9月23日報道発表2013年夏季の東北アジア上空の大幅なメタン高濃度の原因を解明
-温室効果ガス観測技術衛星GOSAT(「いぶき」)の観測能力の高さを実証-
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ同時配付) - 2016年2月1日報道発表大気化学輸送モデルを用いた新たな手法により地域別のメタン放出量を推定〜熱帯域、東アジアの放出量に従来推定と異なる結果〜(筑波研究学園都市記者会,文部科学記者会、科学記者会、神奈川県政記者クラブ、横須賀市政記者クラブ、青森県政 記者会、むつ市政記者会、高知県政記者クラブ、沖縄県政記者クラブ、名護市駐在3社同時配布)
- 2014年3月27日報道発表「いぶき」(GOSAT)の観測データを用いた全球の月別メタン収支の推定結果について
- 2013年5月20日更新情報オンラインマガジン環環の5月号が公開されました
- 2012年2月23日更新情報オンラインマガジン環環の2月号が公開されました
- 2011年7月21日報道発表西太平洋上における1994〜2010年の大気中メタン濃度の長期変動要因 ─民間定期船舶を利用した大気観測結果とその解析─(筑波研究学園都市記者会 配付)