塚越町
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塚越町 | |
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北緯35度9分53.13秒 東経136度55分28.69秒 / 北緯35.1647583度 東経136.9246361度 / 35.1647583; 136.9246361 | |
国 | 日本の旗 日本 |
都道府県 | 愛知県の旗 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 中区 |
町名制定 | 1909年(明治42年)10月1日 [1] |
町名廃止 | 1977年(昭和52年)10月23日 [2] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052 |
ナンバープレート | 名古屋 |
塚越町(つかごしちょう)は、愛知県 名古屋市 中区の地名。1977年(昭和52年)、同区新栄二丁目・新栄三丁目に編入され、消滅[3] 。
地理
[編集 ]東は高松町1丁目・千種本町1丁目、西は下奥田町、南は東陽町11丁目、北は菊里町に接する。
学区
[編集 ]- 高等学校 - 尾張学区
- 中学校 - 名古屋市立白山中学校
- 小学校 - 名古屋市立王子小学校(当時)[4]
人口
[編集 ]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年)
292人[5]
1955年(昭和30年)
306人[5]
1960年(昭和35年)
284人[6]
1965年(昭和40年)
291人[6]
1970年(昭和45年)
259人[4]
1975年(昭和50年)
212人[4]
歴史
[編集 ]地名の由来
[編集 ]千種町の旧字に由来するとみられる。
沿革
[編集 ]- 1909年(明治42年)10月1日 - 愛知郡 千種町字塚越の大部分と字西塚の一部により、名古屋市中区塚越町として成立[1] 。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区塚越町となる[1] 。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区塚越町となる[1] 。
- 1947年(昭和22年)5月1日 - 一部が王子町に編入される[1] 。
- 1977年(昭和52年)10月23日 - 住居表示実施に伴い、中区新栄二丁目・新栄三丁目に編入され、消滅[3] 。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ a b c d e 福岡清彦 1976, p. 4.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 786.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, pp. 785–786.
- ^ a b c 名古屋市総務局統計課 1977, p. 49.
- ^ a b 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 81.
- ^ a b 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 74.
参考文献
[編集 ]- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 福岡清彦『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。
関連項目
[編集 ] 西 塚越町 東
南
東陽町11丁目
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