コンテンツにスキップ
Wikipedia

南安府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江西省の南安府の位置(1820年)

南安府(なんあんふ)は、中国にかつて存在した末から民国初年にかけて、現在の江西省 贛州市西部に設置された。

概要

[編集 ]

990年(淳化元年)、北宋により虔州 大庾県に南安軍が置かれた。南安軍は江南西路に属し、大庾・南康上猶の3県を管轄した[1]

1277年(至元14年)、元により南安軍は南安路に昇格した。南安路は江西等処行中書省に属し、大庾・南康・上猶の3県を管轄した[2] 1365年朱元璋により南安路は南安府と改められた。

のとき、南安府は江西省に属し、大庾・南康・上猶・崇義の4県を管轄した[3]

のとき、南安府は江西省に属し、大庾・南康・上猶・崇義の4県を管轄した[4]

1913年中華民国により南安府は廃止された。

脚注

[編集 ]
  1. ^ 宋史』地理志四
  2. ^ 元史』地理志五
  3. ^ 明史』地理志四
  4. ^ 清史稿』地理志十三
 
陝西布政司
山西布政司
山東布政司
河南布政司
浙江布政司
江西布政司
湖広布政司
四川布政司
広東布政司
広西布政司
福建布政司
雲南布政司
貴州布政司
交趾布政司

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /