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ジョン・ハナ (アメリカンフットボール)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ハナ
John Hannah
refer to caption
2010年8月、サム・カニンガムの殿堂入り表彰の際のハナ
基本情報
ポジション オフェンシブガード
生年月日 (1951年04月04日) 1951年 4月4日(73歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジョージア州 カントン
身長: 6' 2" =約188cm
体重: 265 lb =約120.2kg
経歴
大学 アラバマ大学
NFLドラフト 1973年 / 1巡目全体4位
初出場年 1973年
初出場チーム ニューイングランド・ペイトリオッツ
所属歴
1973-1985 ニューイングランド・ペイトリオッツ
受賞歴・記録
オールプロ選出(10回)
1976年-1985年
プロボウル選出(9回)
1976年、1978年-1985年
その他受賞・記録
  • 1970年代オールディケイドチーム
  • 1980年代オールディケイドチーム
  • ニューイングランド・ペイトリオッツ永久欠番 #73
NFL 通算成績
出場試合数 183試合
先発出場試合数 183試合
ファンブルリカバー 10回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

ジョン・アレン・ハナ(John Allen Hannah、1951年 4月1日 - )は、アメリカ合衆国 ジョージア州 カントン出身の元アメリカンフットボール選手。

NFL史上最高のオフェンシブラインマンの1人として知られており、1991年にプロフットボール殿堂入りを果たしている。ニックネームは「ホグ(Hog)」。

経歴

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プロ入りまで

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1951年ジョージア州カントンで生まれた。父親のハーバート・ハナアラバマ大学のオフェンシブラインマンでジョンが生まれた1951年ニューヨーク・ジャイアンツでプレーした。アラバマ州 アルベールビルで育った彼はテネシー州 チャタヌーガのベイラー高校へ進学、アメリカンフットボール、レスリング、陸上競技を行い1967年の全米選手権で優勝したが高校3年次アルベールビル高校に移り1969年に卒業した。

アラバマ大学に進学した彼は1971年、1972年、オールアメリカンに選ばれる活躍を見せて、名将ベア・ブライアントヘッドコーチの下、シュガーボウルを制覇しチームの全米1位獲得に貢献した。また陸上競技レスリングも行った[1] 。彼の名前は大学の20世紀オールチーム及び1970年代オールディケイドチームに選ばれている。陸上競技では砲丸投円盤投を行った。1999年にカレッジフットボール殿堂入りを果たした[2] 。彼の在籍した3年間でチームは27勝8敗1分の成績を残し、彼は1933年から1982年までの50年間のサウスイースタン・カンファレンスオールチームにも選ばれた[2] 。ベア・ブライアントは後に自分が見た中で最高のオフェンシブラインマンだったと評価している[1]

ニューイングランド・ペイトリオッツ

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1973年NFLドラフトの1巡目全体4位でニューイングランド・ペイトリオッツに指名されて入団した彼は1年目から先発選手として出場、最終週の試合は足の骨折で欠場した[1] [3] 。大学時代にはウィッシュボーン隊形での起用が多かったがプロ入り後すぐにパスプロテクション、プルアウトなどのプレーを覚えた。

プロボウルに9回[4] 、オールプロに10回選ばれた屈指のオフェンシブラインマン。1978年から1981年まで4年連続でNFL選手会が選ぶ最優秀オフェンシブラインマンとなった。

ガードの彼とタックルのレオン・グレイのコンビは1970年代半ばから終わりにかけてNFLで最も優れたオフェンスラインコンビとして知られた[3]

1974年12月15日のマイアミ・ドルフィンズ戦でファンブルリカバータッチダウンをあげた[5]

1977年、契約交渉が長引いてホールドアウトしたことによる開幕からの3試合に欠場した[1] 。1978年には当時のNFL記録となるチームのシーズンラッシング獲得3,165ヤードの記録達成に大きく貢献した[1]

1978年に彼とグレイ、タイトエンドラス・フランシスによるペイトリオッツの左サイドは強力なものとなりチームはラン攻撃で3,156ヤードを獲得するNFL記録を達成(現在もNFL記録)、11勝5敗でAFC東地区優勝を果たした[3] [6] が彼も大きく貢献した。

1981年1月3日のスポーツ・イラストレイテッドでは"The Best Offensive Lineman of All Time."として表紙を飾った[7]

1985年シーズン、第20回スーパーボウルでチームがシカゴ・ベアーズに敗れた後、現役を引退した[4] 。彼が在籍した13シーズンでチームは7シーズンに勝ち越しし、負け越しは3シーズンであった。

現役引退後

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彼の背番号73はペイトリオッツの永久欠番となった。1991年にプロフットボール殿堂入りを果たした。また1994年にはNFL75周年オールタイムチームに選ばれている。1999年にスポーティング・ニュースにより100人の偉大なフットボール選手の20位に選ばれたがこれはペイトリオッツの選手、ガードとしては最高のもので、オフェンシブラインマンとしてもアンソニー・ムニョスに次ぐ2番目にランクされた。

現役引退後、マサチューセッツ州にあるアカデミーのアシスタントコーチを経て、2004年に同州サマービルの高校のヘッドコーチに就任したが全敗に終わった。2005年に母校のベイラー高校のスペシャルアシスタントコーチに就任したがシーズン終了後辞任している。

2006年にスポーツ・イラストレイテッドによりアラバマ・クリムゾンタイドオールチームに選ばれている[8]

家族

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彼の弟のチャーリー・ハナ (英語版)、デビッドもアラバマ大学に進学しオールカンファレンスのラインマンとなった。チャーリーは1977年から1988年までタンパベイ・バッカニアーズロサンゼルス・レイダースでプレーし第18回スーパーボウル優勝を味わっている。

プレースタイル

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NFLのオフェンシブラインマンとしてはやや背が低いと見られていたもののスピードや敏捷性、力強さを発揮[9] 、パスプロテクション、ランブロック、スウィープでのリードブロッカーとして活躍した[1] 。また激しいコンタクトを行うポジションながら13シーズンの191試合で怪我による欠場は5試合のみであった[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g "Hall of Famers". プロフットボール殿堂. 2011年2月19日閲覧。
  2. ^ a b "College FOotball Hall of Fame". カレッジフットボール殿堂. 2011年2月19日閲覧。
  3. ^ a b c "Official New England Patriots Biography". patriots.com. 2011年2月19日閲覧。
  4. ^ a b "John Hannah, Hall Of Fame Guard". スポーツ・イラストレイテッド (2000年2月14日). 2011年2月18日閲覧。
  5. ^ "New England Patriots 27 at Miami Dolphins 34 Sunday, December 15, 1974". pro-football-reference.com. 2011年2月18日閲覧。
  6. ^ "Boston's Top 50 Athletes of All-Time #48 Steve Grogan, New England Patriots (1975-1990)". bleacherreport.com (2010年8月17日). 2011年2月19日閲覧。
  7. ^ "John Hannah". スポーツ・イラストレイテッド (1981年1月3日). 2011年2月19日閲覧。
  8. ^ "The Alltime Alabama Team". スポーツ・イラストレイテッド (2006年8月30日). 2011年2月18日閲覧。
  9. ^ Tales from the Patriots Sidelines Sports Publishing. p. 61. ISBN 1596701544

関連項目

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外部リンク

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先代
ジム・プランケット ニューイングランド・ペイトリオッツ
ドラフト1巡指名選手

1973年
ジョン・ハナ
サム・カニンガム
ダリル・スティングリー 次代
ラス・フランシス
オフェンス
ディフェンス
スペシャルチーム
キャプテン
ジーノ・キャパレッティ(オフェンス)
テディ・ブルスキ(ディフェンス)
コーチ
NFL75周年記念チーム
QB
RB
WR
TE
OL
DL
LB
DB
ST
1994年選出
NFL100周年記念チーム
QB
RB
WR
TE
OT
OG
C
DE
DT
LB
CB
S
ST
HC
2019年選出
NFL1970年代オールディケードチーム
QB
RB
WR
TE
OL
DL
LB
DB
ST
HC
NFL1980年代オールディケードチーム
クォーターバック

ランニングバック

ワイドレシーバー

タイトエンド

オフェンシブライン

ディフェンシブライン

ラインバッカー

ディフェンシブバック

スペシャルチーム

ヘッドコーチ

AP通信 オールプロ ファーストチーム選出(7回)
AP通信 1976 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
パンター
キックリターナー




AP通信 1978 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
パンター
キックリターナー




AP通信 1979 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
パンター
キックリターナー




AP通信 1980 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
パンター
キックリターナー




AP通信 1981 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
パンター
キックリターナー




AP通信 1983 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
パンター
キックリターナー




AP通信 1985 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
パンター
キックリターナー




1973年のNFL ドラフト1巡指名選手
 
各年のNFLドラフト

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