キングスピード
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キングスピード | |
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現役期間 | 1968年 - 1970年 |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栃栗毛 |
生誕 | 1966年3月10日 |
死没 | (不明) |
父 | オートキツ |
母 | クインダービー |
母の父 | フルブーム |
生国 | 日本の旗 日本(鹿児島県 霧島市) |
生産牧場 | 牧園牧場 |
馬主 | 坂田綾子 |
調教師 | 夏村辰男(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 40戦16勝 |
獲得賞金 | 6742万円 |
勝ち鞍 | 平地30戦6勝 障害10戦10勝 |
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キングスピード(1966年 3月10日 - 不明)とは日本の競走馬。日本最多障害連勝数10勝をあげた競走馬である1970年 啓衆社賞最優秀障害馬受賞。平地競走でも重賞の1969年 京都杯を制覇した。
経歴
[編集 ]1968年 8月10日の小倉でデビューすると、ほぼ休み無く走り続け翌年の皐月賞にも出走歴がある(22着)。その後も毎日杯の2着がある程度の成績であり、京都杯では12頭立ての最低人気であった。しかし、不良馬場を活かしての大逃げで2着アカネテンリュウに9馬身差の圧勝を飾った。続く菊花賞ではハクエイホウらの存在でハナに立てず、3コーナーで一杯になり20着に敗れた。
障害入りしたのは1970年の2月から8月の間であるが、すべて圧勝。10戦10勝の成績を残した。
しかし、脚部不安を発症して長期休養に入り、再び出走する事が無いまま1972年に登録を抹消、地方競馬へ転出した。 その後の消息は不明である。
エピソード
[編集 ]- 京都杯は東京優駿勝ち馬ダイシンボルガード、同2着のミノル、後の菊花賞馬アカネテンリュウ、翌年の天皇賞(春)馬リキエイカンなどの豪華メンバーだった。
- 1970年8月9日の障害オープンは前年の京都大障碍の勝ち馬ブゼンエイトとのマッチレースで行われ、キングスピードがレコードで快勝している。単勝120円の配当だった。
血統表
[編集 ] Mahubah
*星友
1923 Sir Martin
1923 Sir Martin
Colna
Athasi
第五マンナ
1939 黒鹿毛 *Shian Mor
1939 黒鹿毛 *Shian Mor
マンナ
Selene
ranai
1925 Rebelais
1925 Rebelais
Dark Sedge
白漣
ゼンエイ
1937 善祖
1937 善祖
タイエー
父のオートキツは1955年の不良馬場で行われた東京優駿を8馬身差で圧勝した名馬であり、重適性の高さも父から受け継いでいる。母のクインダービーも鹿児島産で、2代母のオールクインは宮崎産という生粋の九州血統である。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ "血統情報:5代血統表|キングスピード|JBISサーチ(JBIS-Search)". JBISサーチ. 公益社団法人 日本軽種馬協会. 2019年10月20日閲覧。
- ^ a b c "キングスピードの血統表|競走馬データ". netkeiba.com. 2024年6月23日閲覧。
外部リンク
[編集 ]- 競走馬成績と情報 JBISサーチ
啓衆社賞 |
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優駿賞 |
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JRA賞 |
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