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ブラジル

ブラジル:サンパウロ

日下野 良武(くさかの よしたけ)

にじゅうまる職業;ジャーナリスト、ブラジル文化研究家
にじゅうまる居住都市;サンパウロ市(ブラジル国)

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サントス海岸に建つ「日本移民ブラジル上陸記念碑」

サントス海岸に建つ「日本移民ブラジル上陸記念碑」

今年もまた、ブラジル日本移民記念日がやって来た。第1回移民船「笠戸丸」(約6000トン)がサントス港に着岸したのは1908年6月18日。それを記念し、ブラジル政府が「日本移民の日」に制定した。この日、日系社会では先駆者に祈りをささげるミサを行う。


第1回日本移民の数は790人ほどだ。ブラジルの初期日本移民は辛酸をなめた。言葉、食事、習慣のまったく違う国に着いた時から苦難の日々が始まる。害虫に悩まされ、風土病に効く薬はなく、開拓前線での出産で女性が犠牲になった話も多々耳にした。特に、1世紀ほど前には、蚊が媒体するマラリアで多くの働き手の男性が亡くなった。


当時の日本政府はただ送り込むだけで、世話が行き届いていたとは言い難い。どれだけの移民が泣き、餓え、言葉の壁で苦しんだことか。しかし、日本人は強かった。粒々辛苦、奮励努力で地位と財産をつくった。その証左として、第2次世界大戦中は敵国になり、日本語を使うのが禁止されたが、戦後はブラジル国民に信頼され、各界での活躍には目を見張るものがある。この国に住む一日本人として、先祖の血を引き。ブラジル社会で貢献してくれているのを頼もしく思う。


北海道出身の移住者は戦前戦後を合わせて約1万6000人、全国第4位だ。現在はサンパウロ市に北海道協会もあり、子孫らが助け合いながら郷土料理イベントを行っている。既に、日系社会は3・4世の時代。中堅の日本語教師から「娘がサンパウロ総合大学の医学部に合格しました」とか、「息子がマッケンジー工科大学の電気科にパスした」などの朗報を聞くたびに、在住の一日本人として胸を張りたい今日このごろだ。


ブラジル生まれの彼ら彼女らはブラジル人だ。とはいえ、代々受け継いできた日本文化は脈々と心の中に息づいている。絶えないよう皆で努力したい。


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