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タイ

タイ:バンコク

青柳 みちよ(あおやぎ みちよ)

職業...主婦ライター

居住都市...バンコク(タイ)

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弾丸の形が印象的な石板

弾丸の形が印象的な石板

「203高地」を訪れることは、今回の旅のいちばんの目的でもありました。
日露戦争の激戦区となった場所です。


旅順の街には大砲のレプリカが多い

旅順の街には大砲のレプリカが多い

203高地の名前の由来は、軍事地図の中で203番目にあったから、という説と、
激戦によって206メートルあった山が3メートル低くなった故とする説があるそうです。


この激戦で乃木将軍も身内を亡くしたそうです

この激戦で乃木将軍も身内を亡くしたそうです

当時ははげ山だったということですが、今は草木が茂り、これと言った特徴も持たないありふれた風貌の山です。
そこに建てられた「爾霊山」の塔は、亡くなった兵士たちの魂を鎮めるために、
203高地に落ちていた弾丸や薬莢(やっきょう)を鋳造して作ったと言われています。


「罪の証拠と恥の柱」とつづられた説明書き

「罪の証拠と恥の柱」とつづられた説明書き

203高地での激戦は10日間に及び、ロシア軍は5000人、日本軍は10000人の死者を
それぞれ出したということですが、日本側はもっと多くの死者を出したという説もあります。
また乃木希典の二男もこの激戦で命を落としたそうです。


日本軍はこちら側から上がって攻めてきたのだとか

日本軍はこちら側から上がって攻めてきたのだとか

203高地からは旅順港を望むことが出来ます。
旅順港は大連港同様「天然の良港」と言われ、冬でも凍ることのない不凍港です。
この港の存在が旅順を悲劇の地にしたと言っても良いかもしれません。
激戦の後203高地を占領した日本軍は、旅順港に陣取ったロシア艦隊を撃沈しました。

重々しい歴史を感じさせる場所でした。


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