1.はじめに
四国で「うどん」といえば、「さぬきうどん」が圧倒的に有名です。「さぬきうどん」は、今日では、全国的なブランドとして知られています。ところで、同じ四国の御所(徳島県)という地区には「たらいうどん」という伝統料理があります。私はどちらかといえば「そば派」ですので、うどん如きで遠出させられるのは正直なところどうかと思います。
しかし、徳島県の御所には、「御所池」という粗石モルタル造の素適なダムがあります。折角ですから家族サービスを兼ね帰路は大渋滞に巻き込まれることを覚悟の上で、休日に「たらいうどん」を食べに当地に赴くことにしました。
御所は、現在徳島県阿波市土成町に編入されています。この地は鎌倉時代に承久の乱で敗者側にまわった土御門天皇が流された所です。「御所」という地名は、かつて土御門天皇の在所があったということに由来しているものと思われます。この地区には位置未確認ダムがいくつか残されていました。この機に乗じてその一つである「浦之池」を攻略できそうです。このレポートはダムに関するものですから「うどん」については、ここまでとします。
2 浦之池
地図では、阿波市土成町浦池という場所にそれらしい貯水池が描かれております。これが第1の候補です。地名が浦池(うらのいけ)ということも「浦之池」の存在を匂わせます。阿波市土成町には他にも想定される貯水池がありましたので、こちらを第2・第3の候補と考え用意しておきます。いずれの貯水池も手許の市販地図では名称の記載がありませんでした。
途中、道の駅で地図を開いて第1の候補地が「浦之池」であるかどうか尋ねてみると、
「はい、そうですよ。ここは浦之池という池ですよ。」ということでした。予想が的中しました。
「ええ・・・ただ、浦之池は農地の中にあるので、少しわかり難いでしょうから地図を描きましょうか。」と大変ご丁寧な対応です。
場所さえ特定できれば、ナビが誘導してくれますのでこれは固辞し、ためらわずその場所に直行することにします。「浦之池」に到着です。
「史跡浦之池」という石柱が立っています。この場所は「浦之池」に間違いありません。それで、堤体は?というと・・・、堤体はありませんでした。
田圃の下に沈んでいるような地形で、本当に地図を描いてもらわなければ、普通は気づきません。ロックフィルダムのリップラップに使用されるような岩石で護岸されている部分はあります。しかし、見わたす限り堤体はありません。そもそも、ダム便覧によれば「浦之池」は、堤高19m程の重力式コンクリートダムです。
この浦之池は、いわゆる「普通の池」でした。石碑がいくつかありました。そのうち平成元年に建てられた石碑の全文を紹介します。
「浦之池は、別名大池・御池または万代池といわれている。
承和十六年(846)国司として赴任したてきた山田阿波介宿彌古嗣が、承和年間(847年頃)干害で困っているこの地に築いたと伝えられている。一説には昔地震にあい、陥没して池になったともいわれているが、陥没地を利用して池としたものとも考えられる。面積は、1.929ヘクタールで、当初は堤がなかったが、明治維新の頃堤を築いたといわれている。水深は約1.8メートルで、古来から水が湧出して枯渇することがなかったといわれている。
しかし、現在は池も築造当時より小さく土砂で埋まって水深も浅くなり、水の湧出も少なくなっている。
平成元年十二月 土成町」
この町には、「浦之池」が2つあるのでしょうか。いずれにしても『史跡浦之池』をダムと認定することは、全日本ダム党の幹事長がいかに権力者であっても困難な話です。四国の吉野川北岸には中央構造線(メディアンライン)が通過していますから、地震で陥没したという説には十分根拠がありそうです。
地元の人に「浦之池」について聞いてみたところで『史跡浦之池』に行き着くことになります。
「いいえ、お尋ねしているのは史跡の方ではなく重力式コンクリートの方の浦之池です。」などと言っても多分意味は理解されないでしょう。このため、第2・第3の候補地に向かうことにしました。
第2の候補地は、予測していた通り砂防堰堤のように見えます。貯水も行われているようです。「水通し」と呼ばれる越流部があって外見は砂防です。しかし、砂防堰堤に良く見られる「水抜き」はありません。このため下流面は砂防堰堤のような"顔"は持っていませんが、やはり主目的は砂防でしょう。右岸には、スピンドルのようなものがありました。農業用水として利用されているようです。
4.第3の候補地
第3の候補地は、このようなものでした。
堰堤は、大規模な曲線を描いています。アーチ式でしょうか。軽い曲線のアーチ式砂防堰堤はそれほど珍しくはありませんが、このような大規模なものは初めてです。こちらも堤頂部にスピンドルのようなものが確認できます。
ダムや砂防堰堤に詳しい方に写真を見ていただきましたが、「調べてはみるものの、やはり砂防でしょう。」というお答です。私も同感です。
付近に石碑がありましたが、「ダム記念碑」とあるだけで、残念ながらダム名が刻まれておりません。碑文中『土地改良組合』の文字から判断すれば、この水はやはり農業用水に利用されていると考えられます。
なお、「ハイブリッド砂防堰堤」という考え方があります。詳細はこちらを参照してください。
5.終わりに
位置未確認ダムを探してもたいていはこのような状況に陥ります。簡単には辿り着けないことから現在でも位置未確認のままであるのかもしれません。この地区にはまだ「浦之池」である可能性がある貯水池がありますので、引き続き調べて行きたいと思います。
最後になりましたが、本日のメインディッシュである御所池を紹介します。
「御所池碑」という石碑が建てられていました。建立が昭和14年とは思えないほどきれいな字面でした。
石碑には、
・この地域は、古くから水利に恵まれず、藩政のころからたびたび溜池築造の陳情があったが実現しなかった。
・明治になっても進展がなかったが、昭和9年の未曽有の風水害をきっかけにダムが計画されることとなった。
・しかし、この地区の地層は亀裂が多く粗悪な岩盤であったこと、日華事変の影響で諸物価が高騰したことなどで計画が遅れた。
・多くの困難をのりこえて、昭和14年2月11日にようやく竣工した。
という内容が刻まれています。
あえて竣工日を「2月11日」つまり紀元節(現在の建国記念の日)として、天皇に由緒のある御所池らしさを演出しています。戦前の天皇の神格性を考慮すれば、とても大事な溜池であったのです。
後世のために、記録をしっかり残すのはとても大切なことです。
【平成25年12月 追記】
その後、日本ダム協会さんの調査等で、北緯34度07分52秒、統計134度19分12秒に位置する堤体が浦之池であることが判明しました。この堤体は、本文中「第2の候補地」として推定した場所に存在していました。「浦之池」は、現在「浦池」という堤体名でダム便覧に掲載されています。
(2010年5月作成、2014年1月追加)
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