1.はじめに
三重県伊賀市の「寺谷池」は、ダム便覧では所在地が「伊賀市」と記載されているだけで住所も位置情報も記載がない全くお手上げ状態の位置未確認ダムでした。
伊賀市は、平成16年に当時の上野市が伊賀町をはじめとする5町村と合併して誕生しました。事実上、旧上野市が中心となって近隣町村を吸収合併したものです。しかし、新しい市の名称は「伊賀市」です。この伊賀市のある伊賀盆地は、今から400万年ほど前までは地質学的に琵琶湖の湖底であったといわれ古琵琶湖などと呼ばれています。ところが、現在は大きな河川がないため、伊賀米を生産するためにおびただしい数の溜池が存在しています。
ダム便覧では、寺谷池の所在地の記載が「伊賀市」にとどまっているものの、ダム事業者が「大山田村耕地整理組合」とされています。「大山田村」は伊賀市誕生に伴って消滅した村です。寺谷池に関する手掛かりは旧大山田村ということになります。
住宅地図を利用して調べるのも手段のひとつですが、目星が全くない状態で住宅地図を開いても、ひたすらページをめくるだけです。また、寺谷池が必ずしも記載されているとは限らず、徒労に終わる可能性も大です。いくつかある候補の付近で、地元の方に聞いてみるのが結局は近道です。旧大山田村は、「田代池」や「大平池」からも近いため、この地を訪れるついでに少しでも情報が得られればと考え旧大山田村に向かいました
幸い、通行止めもなく標識に従って鳴塚古墳まで到着することができました。鳴塚古墳は考古学ファンがよく訪れるらしく、道案内の標識がしっかりと設置されておりました。この古墳は前方後円墳です。しかし、応神天皇陵古墳(大阪府羽曳野市)や大仙陵古墳(大阪府堺市、別称:仁徳天皇陵)などに比較するとはるかに小規模なものです。お濠も見当たりません。現地の説明板によれば壬申の乱で自決した大友皇子が被葬されている可能性もあるということです。本当に大友皇子の墓であれば、この古墳は宮内庁が管理するはずです。この場所には宮内庁の標識はありませんので、現地説明板の信憑性は考古学ファンが各自で判断してください。
ともあれ、ここで車を止めて教えていただいたように坂道を登れば、寺谷池に到着できるはずです。