'12-51 東海道一人歩き その7

今回は「三島から富士まで」について投稿します

'12/11/4 (日)快晴
一昨日・昨日の箱根越えが足に来て、特に脹ら脛と大腿部の上が張っていてとても痛い。
ただ今日の行程はほぼ平坦な道だと思うので、これが救いです

Photo2時方向の三島をスタートし

少し東海道とは離れますが、「柿田川公園」に寄り道し

八幡神社を経由して

沼津方向に向かいます

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左:三島市内からの富士 9]48
市内を歩きながら振り返ってみると、富士が白いマフラーをしていました

右:茶室のある庭園 10:17
柿田川公園内にある茶室の庭園で、風情がある庭なので パチリ

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左:柿田川公園 10:46
これがどうも正面入口のようなのですが、どこからでも入れるようなので、撮った時刻が不自然なものになりました

右:柿田川の湧水 10:52
『説明によると・・・
「柿田川」・・・ほぼ全量が富士山に降った雨が三島溶岩流に浸みこみ、その先端部から湧き出る大量の地下水である。
他にも富士山の湧水は、忍野八海や白糸の滝、湧玉池が有名である

「柿田川公園」・・・湧水地から湧き出る湧き水に源を発し、清水町役場付近で狩野川に合流する清流です。
水温は一年を通して約15度前後で安定しています。
またミシマバイカモなどが有名です。
柿田川湧水郡は名水百選にも選ばれる名水で、湧水量は日に70万トンから100万トン程度で、東洋一を誇っています』

園内はとても広いようですが先を急がなくてはならないので、或る湧水を撮ってみました
ここにいた地元に人(だと思います)の話だと、「東北大震災以降 湧水量が変わったようだ」 と言っていましたが、真偽は判りません
が、富士山噴火とも関わりがあるのかなぁ
大震災の直後、富士宮で直下型の地震もあったし・・・
富士山噴火などに影響しなければ良いのですが、なんだか心配です

湧水はほかのサイトで見るともっと激しく沸く所があるようでした

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左:八幡神社社殿 11:16
柿田川公園で休んでいる時、地元の人が
「珍しい対面石というのがあるから、是非行ってみなさい」
と教えてくれた八幡神社で、街道からは少し外れますが寄り道しました

右:対面石 11:15
これが教えてくれた「対面石」で、その謂われは・・・富士川合戦に勝利した頼朝は上洛せずに東国を固めることを決意、黄瀬川に戻って宿とした。
そこへ義経が奥州平泉から駆けつけ頼朝と涙ながらに対面した。
母親は違っても、ともに平治の乱で非業の死を遂げた源義朝を父とする兄弟である。
その時、頼朝と義経が腰掛けたといわれる二つの石を対面石という
左奥に頼朝が座り その右(写真では中央)に義経が座った のだそうです

この対面石は八幡神社の左奥にあります

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左:一里塚跡 12:24
沼津一里塚公園 と表示されていてました
右側に標識が立っていますが、これは東海道共通の標識なのでしょうか、多くの所にこれと同じデザインで宿場名と旧跡?名が彫られています
この標識には、上に「沼津」、下には縦長で「一里塚跡」となっていました

右:玉砥石 12:24
この公園には、この玉砥石も置かれています
説明によると・・・『古墳時代(1000〜1500年前)のこの地方に、装身具の玉類を作るのを業としていた人たちが住んでいた玉造郷という村があったといわれ、この石は、その人たちが玉を磨くのに使用したものと思われている。
この大小二つの柱状石には数条の直線的な溝があり、これは古代に玉を磨いた痕跡であると伝えられているが、詳細は不明である。
この玉砥石は、県指定有形文化財(考古資料)に指定されている』 そうです

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沼津商店街で昼食を摂り、ブラブラしているとブラスバンドの音が・・・
それは沼津市商店街有志の吹奏楽団で
皆さん私服ですが心を込めた演奏、中でも指揮者は身振り・手振りも鮮やかで、観客は拍手大喝采でした

Photo_3沼津を過ぎるとまたもや単調な国道歩きとなり

国道からそれて千本松原へ

そして原駅から富士駅まで、電車のお世話になってしまいました

Photo_2 (これはお借りした写真です)

♪ 松原遠く消ゆるところ
白帆の影は浮かぶ
干網 浜に高くして
かもめは低く波に飛ぶ
見よ昼の海
見よ昼の海

こんな風景を思い浮かべながら「千本松原」に入りました
そして千本とはいうものの、現在は30数万本以上の松があるのだそうです
松原の中は遊歩道が造られていて、散歩やジョギングの人がチラホラと行き交ってます

早くこの歌の風景が見たい の思いで海岸に近づくと アッレー 海岸が無い !!

そうなんです。
目の前に高い壁が立ちはだかっているです。
その高さも7〜8メートルはあるのではないでしょうか

これは1976年に東海地震説が発表されてから、駿河湾の海岸では津波対策が盛んに行われるようになり、松原と海岸の間には堤防が築かれていたのです (ルート図ではブルーの点線)

千本松原を検索すると・・・『静岡県沼津市の狩野川河口から、富士市の田子の浦港の間約10kmの駿河湾岸(正式名称富士海岸、通称千本浜)に沿って続いている松原。
松林越しに富士山を望むことが出来、数々の文人たちに愛されたということでも知られている。
中でも大正15年(1926年)には歌人若山牧水が、静岡県の伐採計画に対し新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させた話は有名である。
日本百景、日本の白砂青松100選にも選ばれている』
は昔の話になってしまったようです

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左:堤防から 15:41
堤防の上から撮ったもので、何の意味もありません(苦笑)

右:千本松原 16:04
チョット残念だったのは、心無い人の仕業と思いますが遊歩道や松原内にゴミが多かったこと

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堤防からの富士 15:49
防潮堤の上から眺めた富士ですが、高い所からなので松原越しの富士が見事です(防潮堤の狙いはこれなのかなぁ 笑)

三島スタート 9:00
富士 着 17:10

歩行距離 20,2キロ (31900 歩)

【三島から原まで を終わります】

2012年12月 7日 (金) ★ 「東海道」一人旅 | 固定リンク
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