'12-52 東海道一人歩き その8

今回は「富士から清水まで」を投稿します

'12/11/5 (月) 曇り
きょう(11/5)の天気予報によると、天気は下り坂で午後には雨が降り出す との事ですが、きょうの予定では「さった峠」を越えたいと思っているので、急遽お得意の手抜きをしなければならないかも (イエ しました 笑)

Photo_4スタートは3時方向にある「富士」

9時方向に向かい、富士川を渡り

南下して「富士川駅から蒲原まで」電車を利用

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左:富士川橋 9:02
富士川に架かる橋は何の変哲もない普通の橋でした

右:橋の上からの眺め 9:10
「富士はあの方角に見えるのだろうなぁ」 と思いながら パチリ

Photo_9富士川駅から蒲原まで 電車を利用したので、蒲原駅から歩き出します

由比本陣跡を通り

由比駅を過ぎ、少し南下すると昔ながらの家が点在してます

望嶽亭から急な登りが少し続くと、後は緩やかな登りがさった峠駐車場まで続き

駐車場はベンチなど置いてあって、展望台にもなっています

ここから道は下りに変わり、興津(オキツ)に向かいます

(思っていたよりも難儀をせずに「さった峠」を越えました)

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左」由比本陣跡 10:35
『由比宿の本陣屋敷跡です。由比宿は小宿で、ここ1軒だけが本陣でした。
屋敷の広さは、間口33間(60メートル)、奥行き40間(73メートル)、面積は1300坪(4300平方メートル)あります』
近くには「広重美術館」や「由比宿交流館」などがあるようですが、先を急ぐのでパス

右:おもしろ宿場館 10:37
ここの2階がレストランになっていたので、時間は早かったのですが「桜えびのかき揚げ」を食べることにしました。
かき揚げは円盤状の形になっていますが、型に入れて揚げるのかなぁ?

1階は 『由比出身の画家の松永宝蔵氏がデザインした人形で旅籠、桶屋、寺小屋など、上り下りの旅人で賑わった江戸時代の宿場町や、本陣奥間に参勤交代のお殿様やお姫様、豪華絢爛な大名駕籠や家臣など本陣の様子が楽しくわかります』
との事ですが、ここもパス

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左:「さった峠は?」 10:56
このレストランから撮った「さった峠」方向ですが、オバチャンの話では「先端の突き出たあたりが さった峠」だそうです

右:桜エビとシラスの町
蒲原・由比に入ると、途端に「桜えびとシラス」の宣伝が多くなります
そこで由比では「桜えびのかき揚げ」と、別な場所で「シラス丼」を食べました。

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左:街道筋 12:17
街道を南下するにつれて街道筋の家々も変わってきて、その風情を楽しむことが出来ました

右:趣のある家(1) 12:19

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左:趣のある家(2) 12:50

右:名主の館 12:54
『明治期に建てられた東海道名主の館で、低い軒の瓦葺き、正面の潜り戸付きの大戸、格子など当時の寺尾地区の民家の面影をよく残しています。
邸内には小池家に伝わる古文書、高札など貴重な品々が展示してあり、国の登録有形文化財にも指定されています』とのことです

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左:趣のある家(3) 12:50

右:街道筋 12:54

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左:望嶽亭 12:57
『さった峠の東口のふもとにあり、その昔、脇本陣、茶亭として多くの文人墨客で賑わった所です。
明治元年3月7日、幕臣の山岡鉄舟 が官軍に追われ、望嶽亭の蔵屋敷で漁師に変装、隠し階段より脱出し、当時最新式フランス製十連発のピストルを残して行ったと言われています。
当時と変わらない建物、部屋の佇まいとピストルが歴史を物語っています』
(この話も違った見方(異論)を持つ人もいるようです)

地元の人の話では
「ここを管理していたオバアチャンが今は清水のほうに行っているので、このオバアチャンが居る時だけ見学ができる」
と言っていました

右:登り口 12:57
今までは緩い登り坂でしたが、この望嶽亭の前からこの様な急勾配の登りになります。
登り口に杖が置いてあり 「ご自由にどうぞ」。
けれどもこの登りもそれほどは長い距離ではなく、登り切るとまた緩い登りになります
(さった峠駐車場に行くと、杖を返す場所がありますから安心です)

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左:何の調査? 13:09
ここ周辺は地滑りが多いようで、「由比地すべり管理センター」があって、この人たちはそこの職員なのでしょうか、交信中のようなので話を聞くことが出来ませんでした

右:ミカン畑 13:14
登り切ると道の両側にはミカン畑とびわ畑にかわり、急斜面にミカンが鈴なり。ビワはあまり見ませんでしたが収穫は終わっていたのでしょうか?

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左:さった峠 14:20
空を見上げると青空が少し見えたので富士が見えるかどうか、ここであの青空に賭けることにして大休止
結局その青空も消えてしまい、願っていた富士は残念ながら見ることが出来ませんでした

さった峠
『清水市と由比町の境界部は、山が海へと突き出す地形となっており、古くは海岸線を波にさらわれぬよう駆け抜ける必要があった。
このため、同様の状態であった新潟県・富山県境の親不知と並び称されたり、東海道の三大難所として語られてきた。このため山側に迂回コースとして造られたのが「さった峠」である』 とのことです

右:歌川広重「由比(さった峠)」

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左:さった峠からの下り
この下りも思っていたほどではなく、国道に合流するとまた退屈な国道歩きになってしまいました

右:身延追分碑 15:26
『身延道は ここと日蓮宗総本山である身延山久遠寺を結ぶ街道となっているが、鎌倉時代には既にこの道は駿河と甲斐・信濃を結ぶ重要な街道であった。
戦国時代、甲斐の武田信玄が駿河国に侵攻した時もこの道であった』

清水に近付くと小雨が降り出しましたが、雨降りのスタート?が遅かったので、無事に「さった峠」を越えられたのはラッキーな1日でした

【以上で「富士から清水まで」を終わります】

2012年12月 8日 (土) ★ 「東海道」一人旅 | 固定リンク
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